第2話 センシティブ

 発狂した宇佐美を取り押さえるのに、昼休みが犠牲になった。

 間の悪いことに午後一発目の授業は合同体育だ。女子は十周、男子は十五周、校庭を走らされる。ただでさえキツいのに昼食を搔っ込んだ直後になってしまった。


 クラスメイトからのヘイトを一身に受けた宇佐美は、周回カウントの騙し討ちに合い(残り一周のところを三周と言われたり、ラップタイムが遅れているなどと言って不当に急かされたりする)ほうほうの体で男子更衣室に戻ってきた。


「まったく、このクラスは呪われてるぜ!」


 持久走の記録用紙を、格子状のロッカーに叩きつけて宇佐美はぼやいた。

 いじりやすいと思って忍と猿渡の間に割り込んで来るのだ。忍は関わり合いになりたくなかったが、猿渡はイライラと返した。


「自業自得だ、このスケベ野郎」

「はい、スケベって言う人がスケベなんです~。なんでちゃんとアイディアを出したオレが責められて、タマ無し野郎どもがのさばってるのか、理解に苦しむぜ!」

「僕はスケベじゃないが!」


 真っ赤になって言い返す猿渡は、もう宇佐美のペースだ。面白がって亀井も一緒になってからかい始めた。


「いや猿渡はどスケベだろ」

「さっき持久走で学級委員様の揺れる胸めっちゃ見てたよな」

「み、見とらんし!」

「いや見てた見てた」

「なあ、門馬クン、こいつとペア組んでたよなあ」

「え? あ、う、うん」

「ほら! 門馬クンの豊満なたわわをガン見してたんだろうがよ!」

「宇佐美おまえまじで死ねま!」


 なぜか門馬にまで飛び火している。聞くに耐えなくて、忍は早々に着替えを終わらせた。だが、その場を離れようとした時、首に宇佐美から腕をかけられた。


「日和ってねーで忍きゅんを見習え!コイツはおまえの愛しのカズヒちゃんと一つ屋根の下で同居までしてるんだぞ!」

「親公認だなんて、差をつけられちゃったね、猿渡クン……(裏声)」

「こっ、このっ……てめっ……」


 忍はため息をついて宇佐美の腕を外した。「親とケンカして一時的に避難してるだけだから」と、からかわれるたびに何度も繰り返し伝えたことを、もう一度強調して言う。


 宇佐美は言い返した。「いや、それさあ!」


「だから、絶対おかしいだろ。家庭の都合がどうとかで、同級生女子の家に転がり込むとか、エロマンガの主人公みたいなこと普通あります!?」


 同様に納得いかない男子は多いようだ。やりとりに耳をそばだてて、ちらちらと視線を送ってくる。もうこのやりとりにもケリをつけたい。

 忍はため息をついて、あまり言いたくなかった一つの事実を述べた。


「仕方ないだろ。ほかに行く当てがないんだよ」

「はーッ!? じゃー猿渡んちにでも行けば!」

「はあ……?」

「そうだぞ、猿渡は弟二人から毎日虐げられてかわいそうなんだから」

「忍きゅんが猿渡んちに行って、猿渡が大柴んとこに行けばいいな!」

「僕を巻き込んで変なシャッフルをするんじゃねえ!」


 どうあっても三角関係を煽り立てたいらしい。

 言葉をなくす忍に、宇佐美はピンと来たのか「よし。よしよし」と更衣室の隅からホワイトボードを引っ張り出してきた。


「ボンクラ野郎ども、大柴だけが女じゃねえ! ここで2年2組のイケてる女子ベスト3を発表してやろう」

「炎上しそ~」

「それ単なる宇佐美の趣味じゃん……」

「うるせえ、宇佐美王国は民主主義だ! モノ申したいやつは順番に前に出ろ!」


 宇佐美はホワイトボードにキュッキュッとペンを走らせた。


 ★宇佐美・選

 ◎1位 牛山 れに

 文句なしの巨乳!スタイル抜群!ベストバニガメドレッサー賞。

 ◎2位 立花 繭

 ロリ巨乳!背は低いけど引っ込み思案だし頼めばバニガメも着てくれそう。

 ◎3位 獅子戸 玲於奈

 隠れ巨乳!親しみやすさナンバーワンギャルだしバニガメも着てくれそう。


 宇佐美が最後まで書き終えるより先に、盛大なブーイングが起こった。


「ざけんな、全部バニーガールメイド基準じゃねえか!」

「コスプレが好きなのか女子が好きなのかどっちかにしろ」

「いっそマネキンと付き合え」

「オーオー雑魚どもが賑やかだな! 行けっ亀ックス、次はキミに決めた!」

「ブボバババ」


 ★亀井・選

 ◎1位 獅子戸 玲於奈

 ナイス上腕二頭筋!女子バレー部エースは伊達じゃないぜ!

 ◎2位 矢野 真鶴マヅル

 まさに筋肉の塊だ!さすが吹奏楽部唯一のスーザフォン奏者!

 ◎3位 象橋 キザハシ彼方

 筋トレに打ち込む姿がアツいぜ!ダイエット成功が待ち望まれる!


「目のつけどころが変態くせえ!」


 叫んだのは女子バレー部のマネージャーを務める妻鳥メドリ徹だ。一度ならず二度までも部員の獅子戸をエロい目で見られて耐えられなかったらしい。

 亀井は眉間に皺をよせて「失礼な!」と鼻白んだ。


「俺は汗をかいて悶える筋肉系女子にもっと増えてほしいだけだッ」

「それが変態くさいっつってんだよ!」

「うるさいなあ。じゃあ次は妻鳥が書けよ」

「やだよ! なんで俺が」

「さぞかしステキなご趣味なんでしょうねえ。下半身属性かな?」

「宇佐美ー、俺も書いていい?」

「鳳はダメ!スカしてるから!」


 宇佐美が噛みつくように答える。蝶子という彼女がいるのを知っているから不愉快だったようだ。聞いた話では、宇佐美、亀井、蝶子の三人は同じ中学の出身で、宇佐美は妹分と付き合っている鳳のことをあまりよく思っていない、らしい。

 ややこしい人間模様に、忍は嘆息する。


 宇佐美のバニガメ宣言に触発されたうえ、持久走の直後で生存本能を刺激されてもいたのだろう。気が付けば男子更衣室は地獄の様相を呈していた。


 宇佐美に捕まった妻鳥は泣きながら『ぼくは鼠家ネズミヤさんの黒ストッキングが大好きです』とホワイトボードに書かされているし、柔道部の辰雄は、演劇部の陽炎、虎瀬の二人から「自分の気持ちに正直になれ」「おまえだって公星ちゃんにバニガメてほしいはずだ」などと詰められている。

 学級委員の門馬に目をやれば、なぜか二の腕を揉ませてもらおうとする男子たちから、宗教じみた囲みを作られていた。まんざらでもなさそうに見えるのが怖い。


 亀井は「びゅーん」と飛行機のオモチャで遊ぶ子供のような声を上げて、ペンを忍の胸に押し付けた。「じゃー次は忍きゅんな」


「……えっ」


 突き放すようにペンを託されて、忍はホワイトボードの前に立たされる。こういう雑な絡み方は初めてではない。

 だが、この場でどうふるまうべきなのか、忍にはわからなかった。何を書いても、書かなくても、和寿妃に恥をかかせるだけのような気がする。


 ――白妙、と。


 もしそう書いたら、浮かれたクラスメイトはどう思うのだろう。シラけてこの場を収めてくれるだろうか。2年2組の女子じゃないからだめなのか。

 人の名前を使った、ただの遊びのはずだ。しかし忍は動けなかった。誰のこともそんな目で見られないし、面白くないし、誰からも面白がられたくない。


「どけや」


 猿渡が、忍を肩で突き飛ばす。

 猿渡はペンを取り上げて、ヤケになったようにホワイトボードに書き殴った。


 ★猿渡・選

 ◎1位 大柴 和寿妃

 ◎2位 大柴 和寿妃

 ◎3位 大柴 和寿妃


「これで満足だろ! とっとと散れやヴォケどもが!」


 大きな音を立ててペンをホワイトボードに叩きつけると、猿渡は大股で更衣室を去って行った。男子更衣室は水を打ったように静まり返り、だが、気まずい沈黙に耐えかねてか、口々に喋りだし始めた。


「いや逆ギレこっわ」

「猿渡クンはマジで冗談が通じないから」

「つーか巨乳なら川尾とかもよくない?」

「いや胸はともかく性格キツすぎて無理」

「それを言うなら俺は獅子戸が無理だわ」

「出たよ処女厨~」


 ケラケラ笑いながら更衣室を出て行く声が遠ざかる。

 忍は、ひとり更衣室に残って、ホワイトボードに残された和寿妃の名前を消す。自分は和寿妃にふさわしくないのではないか。そんな気がしてならなかった。


 次の時間は文化祭準備だ。

 急ぎ足で校舎に戻ると、クラスは騒がしかった。振り向いた宇佐美が、まったく悪びれずに「おう、忍きゅん」と笑う。身構える忍に、顎をしゃくって続けた。


「やっぱこのクラスは呪われてるぜ」


 覗き込んだ教室の有様に、忍は呆然とする。

 教室中の机が薙ぎ倒され、中央に段ボールの残骸が転がっている。グレーの床を赤く濡らしているのは、ペンキだろうか。部屋中にシンナー臭が充満している。

 ペンキは、ただ一つ直立している席の上で倒れて、机のふちから今も粘度の高い雫を垂らしている。不登校の、貉 百合絵の席だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る