第11話 みせす・ぼるぞい
それから和寿妃は、貉からさらに話を聞こうとドア越しに色々と話しかけていたが、ドアは二度と開かなかった。
見かねた忍は「本人が話したくないんだから仕方ないだろ」と言って、ドアから和寿妃を引き剝がした。
貉の敵意が再び和寿妃に向くかもしれないと思うと気が気ではない。この不穏な屋敷から一刻も早く立ち去りたかった。
和寿妃はといえば、貉に拒絶されたことがショックだったようで、しょんぼりと肩を落としている。
貉の母親に手短に挨拶して、二人は古い屋敷を後にした。
「……ドア越しでも、よくアレと会話できたな」
貉の攻撃的な発言の数々を思い起こして、忍は肩を震わせる。
和寿妃は「大体わたしが勝手にお話してるだけだから」と、少し寂しそうに笑った。
「でも、ずっと通ってるけど、もう来ないでって言われるのは初めてだったな……」
しょげて、しおれて見えるショートヘアを横目で見て、忍はため息をついた。
「……おれが一緒だったせいかもしれないだろ」
「ええ?」
「だから……急に知らないやつが来たから嫌だったのかもしれないし、今日は機嫌が悪かっただけかもしれないだろ。とにかくあんな変な女の言うことをいちいち真に受けるなよ。時間の無駄だ」
「し、忍くぅん……!」
「くっついてくるな」
ひしっと子供みたいにしがみつかれて忍はそう言ったが、無理に押しのけようとはしなかった。日が短くなり、すっかり暗くなった道を、二人はコンビニまで戻る。
「……いきなり部屋に閉じ込められて、大丈夫だったのか?」
「うん。なんか二人っきりでお話したかっただけみたいだよ」
「お話って……」
そんな態度ではなかったように感じたが、和寿妃は別に気にしていないらしい。
「うーん。なにを考えてるんだって聞かれた」
「…………」
「和寿妃の頭蓋骨は厚さ五センチで中身ぜんぶワタアメなんじゃないかって言うの」
「それはただの悪口だな……」
しかも幼稚すぎる。忍は頭を掻いた。
わざわざ二人きりになってまで言うようなことだろうか。わからない。
部屋の位置的に、庭は見えていたはずだ。そうでなくとも、声の大きい父親が『男の子がいる!』と叫んでいた。本当に和寿妃にだけ話したかったのか、あるいは、忍が別の男子生徒と勘違いされていたのか。わからない。
わからないことだらけだ。
「貉さんの腕を折った犯人って、捕まってるはずだよね?」
「だと思うけど……」
忍もしっかり確かめたわけではない。教室で情報として耳に入ってきただけだ。
たしか住所不定無職の男性で、罪の意識に耐えかねて自首したと聞いた気がする。
だが、横で考え込む和寿妃を見て、忍は尋常ではない不安に駆られた。
和寿妃の性格だ。こうなったら刑務所まで行って犯人に聞くなどと言いかねない。
もしも事態がそこまで深刻な事件と絡み合っていたら、ただの高校生が首を突っ込むべきではないというのに。
忍は腕組みして、大きくうなずいてみせた。
「まあ十中八九、タヌキはおまえを怖がらせたくてああ言っただけだろうな」
「えっ? そう思う?」
「ああ。おまえがしつこいから、手っ取り早く追い払いたかったんだろう」
「……そうかなあ」
「絶対にそうだ。見たところ腕もちゃんと使えていたみたいだし、おまえがそこまで気に掛ける必要ないんじゃないか」
「うーん。でも、手にテーピングはしてたね。汚れてたけど」
そんなことは覚えていない、と忍は思った。だが、言われてみれば、確かに和寿妃を部屋に引きずり込んだ手はひどくおどろおどろしく見えた気がする。
汚れたテーピング。
確かにしていたかもしれない。
忍は何か奇妙な気がしたが、和寿妃の「それにね」と続ける言葉に気をとられて、深くは考えなかった。
胸に手を当てる和寿妃は、聖女のような慈愛に満ちている。
「やっぱり心配だよ。だって、わたしは学級委員だもの。クラスでなにかトラブルがあるなら、わたしがなんとかしなきゃって思う」
「…………お、」忍は、ドアの中に吸い込まれていく和寿妃を見て痛感したのだ。急に姿を消すとか、腕を折られるとか、和寿妃にだけは絶対にそんな目に遭ってほしくはないと。だから言った。「おれ以外のやつの心配なんか、しなくて、いいだろ、べつに……」
「…………え」
和寿妃が手で口を押さえる。
忍はしまったと思った。言い方がまずかった気がする。
だが、もう遅い。和寿妃の頬は火を点けたようにぽっ、ぽっと上気しはじめている。
「ど……どういう意味なのかな? それは」
「どうって……」
期待で星を散らしたようなきらきらした目で見つめられる。忍は全身のむずがゆさに自分で自分の腕をつねった。
「ち、違う。そうじゃなくて。和寿妃は、おれだけ見てれば、いいというか……」
だめだ、自分で自分の言っていることに耐えられない。そういうんじゃないのに。
紅潮した顔を両手で隠す忍に、和寿妃は無垢な子供のように興味津々といった風な声をあげる。
「なんでお顔を隠しちゃうの? ちゃんとぜんぶ見せてよ」
「……う、うるせえなあ、おれの勝手だろ」
「忍くんて、わたしのことを独り占めしたいと思ってるの?」
ひとりじめ。自分の心配を幼稚な語彙で括られて、忍は崩れ落ちそうになった。
腕を取られる。頬の輪郭を両手で捕まえられる。
前を向かされて見た和寿妃の目は、とろけるほど喜んでいる。
「わたしにどうしてほしいの? 教えて」
「……あんまり、タヌキに構うな。変なことに首突っ込むな、急にどっか、行くな」
自分で好きなところに行けるんじゃなかったのか、と忍は自分で自分を糾弾する。
和寿妃に、結局は子どもみたいなことばかり要求していた。
それでも忍は、和寿妃にだけは、どこにも行ってほしくなかった。
「わかった。忍くんがそう言うなら、叶えるよ」
だが、和寿妃は喜んだ。犬が飼い主に首輪を咥えて持ってくるかのように忍に繋がれたがる。指先で愛おしげに忍の頬を、唇の形をなぞった。
その手つきの優しさに、忍は急に胸が締め付けられるほど苦しくなる。びくびくと肩が震え、和寿妃はヘビじゃないのに、忍には白妙がいるのに、なぜか目がぎゅっと閉じてしまう。うわ、と思う。和寿妃が背伸びした。
瞼越しに強い光が飛び込んできて、次いでクラクションが鳴る。一回、二回。
「あ、ママ」
和寿妃の声に、忍は薄目を開けた。まぶしい。
へえファーストキスってこんな眩しくて大きな音するんだ!?と一瞬でも思った自分を殴りたいと忍は思った。というか十分前の自分の頭を殴って気絶させたい。
どさくさに紛れて何をしようとしているのだという話だ。
和寿妃は、忍とコンビニで待ち合わせする前に、帰りの足を確保していたらしい。運転席の窓が開いて、忍は和寿妃の母親を見た。
羞恥心に耐えながら会釈をすると、黒子のある口元に優美な笑みを浮かべた。
ぱたぱたと車に近づいた和寿妃が「えーっ! なんでママがいるの?」と驚いた声を上げている。親に何を見られても、恥ずかしいともなんとも思わないらしい。
「お迎えは熊倉に頼んだはずなのに。スゴイ!」
「おめえ熊倉だばこき使いすぎだべ。
和寿妃とよく似た細面から繰り出される北関東訛りは破壊力が強い。
「んで男の子泊めたいって?」
「うん、忍くんだよ。ママも覚えてるでしょ? 昔よく家に泊まりに来てた……」
「……ああ。ヘビの、」
和寿妃の母はすっと目を細めた。忍は立ちすくむ。
世話にこそなっているものの、忍はこの美貌の女性が昔から苦手だった。
家の庭に出た白ヘビ――白妙を殺そうとしたことがあるからだ。
「まあ、お乗んなさい。寒いべや」
忍は、従うほかなかった。
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