第4話 ケッヘル183(♪Ring tones)

「とにかく、疲れた」と、忍は話を締めくくった。


 精神を擦り減らしながら今日一日で、この伝言ゲームを『カズヒ←サル←ウサギ←カメ←チョウ←トリ』の順番で遡り、大元はクラスの掲示板の書き込みにあると突き止めたのだ。


「ウサギとカメが永遠に絡んでくるから気が狂うかと思った。こっちは噂の出どころを聞いてるのに、関係ないネタばっか振ってきやがって……」


 そう口にしたそばから二人のけたたましい笑い声が鼓膜に蘇ってきて、忍は吐き気を催した。


『なあなあ美容院でいくら使ってんの』『いやピアスの穴えっぐ!』『つかグループラインになんでいないの』『いまどきガラケーかよ!』『いつも家で何してんの?』『はー!? テレビなんも見ないんかい!』『でもお笑いは見るだろ』『マンガは?』『マンガくらい読めよバカ!』『ぶっちゃけ大柴さんとはどこまでいったんすか?ねえ!ねえ!』


 和寿妃の話題が出たあたりで、過敏に反応した猿渡にターゲットが移ったので、忍はなんとか解放されたのだが、強制的に連絡先を交換させられてしまった。

 特に宇佐美からは、フィッシング詐欺じみたリンクをばんばん送りつけられていて、恐ろしいこと極まりない。


 和寿妃はクラスの男子からもみくちゃにされている忍を思い浮かべて、「うーん」と首をかしげてみせた。

「みんな忍くんとお話するきっかけがほしかったんじゃないのかな」

「新しいオモチャがほしかったの間違いだろ……」

「でも、そう見えてちょっとは申し訳ないと思ってるのかもしれないし」


 あくまで性善説に立つ和寿妃に、忍は失笑した。陽キャが身内以外に示す残酷さをまるで理解していないのだ。

 だが、和寿妃は優しく微笑した。


「がんばってくれたんだね。ありがとう」


 伸ばした手で忍の前髪を撫でつける。

 忍はかすかに唸りつつ、その小さな手を受け入れた。


 調理チームの一員としてなんとか家庭科室の片づけまで手伝ったところで、やっと隙ができたのでその場を脱け出したのだ。

 とにかく気分が悪くなってしまい、人のいないところを探してさまよったところ、この屋上前に辿り着いたというわけだった。


「掲示板のことは、こっちでもうちょっと調べてみるよ」

「ん……」

「そうだ、試作のベビーカステラも食べたよ。おいしかった」

「……おう」

「忍くんも一緒に作ったんでしょ。上手だね」

「…………うん」


 手が気持ちいい。疲労もあいまって、忍は目を閉じてしまいそうになる。

 ふふ、と笑った和寿妃が大きく手を動かしたので、爪が外耳をかすめた。

 触れるとも触れないともつかない、弄ぶような手つきだ。

 忍は薄目を開けて「やめろよ」と返す。「学校だぞ」


「なんのこと? 和寿妃わかんない」

「だから……」

「学校じゃしちゃいけないことなのかな?」


 こしょこしょと幼い言葉でとぼける和寿妃から、忍は無言で目を逸らした。

『どこまでいった』じゃねえよ、と忍は脳内の宇佐美に言い返す。文字通り手のひらで転がされてるのが現状だ。

 つう、と人差し指の腹で耳殻をなぞられている。


「ほーら、ヘビさんだぞー」

「……ヘビじゃない」

「あれれ、この出っ張りは何かなあ。なんだかとっても柔らかいねえ。食べ物かな?」


 つん、つん、と爪で耳の裏をつつくテンポが少しずつ速くなり、忍の脈拍と息に重なる。指先ひとつで良いようにされて、バカみたいだ。

 いや、バカそのものだ。

 人に見られたら、何をしていると説明すればいいのだろう。耳を触られているだけだ。本当に意味がわからない。


「うーん、食べてもいいのかなあ。……このヘビさんはとってもお腹が空いています」


 片手で耳をくすぐりながら、もう片方の耳に向かって、絵本でも読むかのように声色を使い分ける。

 耳元で優しい声が少しだけかすれて、忍は脳をじかに弄られているような気がした。


「でも、食べたら忍くんのお耳が片っぽなくなっちゃう……。ヘビさんは困ってしまいました。うーんうーん、どうしよう……何も聞こえなくなっちゃったらかわいそうだなあ……」

「ば……ばか……」

「うん?」

「お、おまえもう、いい加減に……」

「きっと、とっても静かだね」


 和寿妃の滲むような笑いは忍の全身に響いた。


「ヘビさんのお腹の中で、どろどろに溶けて、なーんにも聞こえないんだよ。もううるさくないね。静かだね」


 蜂蜜ほどに甘い声を注ぎ込まれて忍はまざまざと想像する。もう言い返せない。言葉だけで脳が勝手に悦んで、もっともっとと肌が刺激を期待している。

 和寿妃が片手でヘビの口の形をつくる。耳元に迫る。

 焦らすような沈黙が忍の肌に食い込んでくる。

 恥ずかしい。気持ちいい。苦しい。気持ちいい。

 早く、早く、早く――……!


 その時、忍のブレザーのポケットから、けたたましい着信音が鳴り響いた。

 電話だ。

 そういえば、ガラケーをさんざんバカにした亀井が、勝手にあれこれと設定を変更していた。


 飛び跳ねるように振動しているケータイを、忍は慌てて取り押さえて耳に当てる。すぐさま宇佐美の能天気な大声が飛び込んできた。


『カラオケ行かん!?』

「行かん……ッ!」


 タイミング的に恥ずかしいやら有り難いやら混乱しながら忍は力強く返した。

 近くには亀井と猿渡もいるらしく、声がやたらと聞き取りづらい。

 忍は立って電波のいいところを探した。


『なんで! 大柴さんも連れて来てよ!』

「だから、行かないって……もう切るから」

『いや、マジな話! さっき言ってた掲示板もう見た?』

「……まだだけど」

『なんか例の書き込みが今見たら消えててさあ、』

「は……?」


 忍は思わず和寿妃を振り向いた。

 宇佐美の声が大きすぎて、会話は筒抜けだ。和寿妃は興味深そうに首をかしげた。


「……わかった。うん、うん……だから、違うから。ああ、そう。じゃあ、切るぞ」


 会話を少し続けて、忍は通話を切った。


「らしいけど、どうする?」

「ん? カラオケ行くって?」

「いや、嘘つきを探すとか言ってた話だよ。もう確かめようもなくなったけど……」

「そうだねえ」


 和寿妃は立ち上がってスカートのひだを払うと、つかつかと忍に歩み寄った。

 そのまま「ぱくっ」と口で言って、蛇の形にした手で忍の鼻をつまむ。爪こそ立てていないが、軽く力が入っている。


 そのままモグモグと手を動かしながら「とにかく一回、管理者に話を聞いてみようかな」と言った。


「かんりしゃ?」


 鼻を押さえられていると、間抜けな声しか出せない。和寿妃はやっと満足気な表情を浮かべて、大きくうなずいた。


「カラオケが終わるまでに間に合うようにしないとね」


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