第5話 『イエティ』
「うん。アレを消したのはぼくだよ」
情報室でキャスター付きの椅子を転がしながら
一つの長机に三台ずつ並べられたパソコンの一台にイヤホンを刺して、片耳ではなにやら音楽を聴いているようだ。
ふくよかな体格で、二重顎に重なるようにマスクを付けているので、喉が苦しそうだ。そのせいか声は小さく、しゃがれている。
「情報の授業で作ったサイトだけど、いちおう管理者ってことになってるからね。さすがに名指しでデマ流してるのはほっとけないでしょ。小鹿先生にバレたらクラス全員で説教食らいそうだし」
和寿妃が目立つせいで存在がかすみがちだが、門馬は2組のもう一人の学級委員だ。和寿妃と忍の二人は、彼が所属するパソコンクラブの活動に押し掛けた形だった。
「消したのはいつ頃なの?」
「えー、とねえ……」
門馬はカチカチとデスクトップパソコンを操作して、画面にインターネット上にあるクラスのホームページを表示させた。
無料のレンタル掲示板と、チャットルーム、あとは作成時から更新されていない写真ギャラリーがある。
管理者画面にログインして、トピックの一覧を確認する。
「消した履歴は残ってないけど、ぼくは期末テストの頃に各科目の試験範囲を載せてて……で、夏休みの直前に課題の内容もアップしてるから。その間じゃないかな」
毎日チェックしているというよりは、告知が必要な時だけログインして書き込みの確認を行っているらしい。縁の下の力持ちらしく、地道に活動しているようだ。
門馬はそのぽっちゃりした尻で椅子を軋ませながら、申し訳なさそうに和寿妃を見た。
「内容的におおっぴらにしない方がいいと思って消しちゃったけど、大柴さんがそんなに気にするなら、スクショするなりして内容を残しておけばよかったね」
「うーん。っていうか、その時に教えてくれたら良かったのに」
「ええと……。ははは……」
門馬の空笑いに、忍は同調した。
口には出さないものの、和寿妃に言うわけがないだろうと思う。
担任の小鹿ほど陰湿ではないにしても、和寿妃はものごとの白黒を徹底的につけようとするタイプだ。それこそクラスを巻き込んでの学級会を開きかねない。
そんな内情をつゆ知らず、和寿妃は腕組みして首をかしげた。
「ねえ、名前とかは憶えてないの? たしかこの掲示板って無記名では投稿できなかったよね」
「そうだけど……でも、ハンドルネームだったよ」
授業の一環で作ったとはいえ、インターネット上で公開されているページだ。個人を特定できる氏名や情報は載せないルールは、掲示板のトップに記されている。
「たしか、イエティって書いてた」
「イエティ?」
和寿妃の聞き返した不穏なワードに、忍は瞬きをした。
単純に考えれば書き込んだ本人の名前をもじったあだ名なのだろうが、忍が思いつく限り、そんな名前のクラスメイトは一人もいない。
門馬は両手で太い腕をさすって、苦笑いした。
「イエティって、調べたけど、UMAっていうか……雪男みたいなやつでしょ。なんかちょっと怖くてさ、それで消しちゃったところもあるんだよね」
「怖い? インターネットで変な噂を広めるヒマラヤの雪男が?」
和寿妃はシュールな絵面を想像したらしい。
忍は二人の背後で思わず吹き出してしまった。門馬もつられて「ちょっとお」と言いながら肩を揺らして笑う。
だが、和寿妃はあくまで真剣だった。
「電気はどこから引いてるのかなあ」などと言って首をひねっている。
門馬は笑いながらバタバタと手を動かして和寿妃の想像を打ち消した。
「違う! 違うよ、マジのUMAが片思いがどうとか言ってるとはぼくだって思わないけど。なんかその……悪意っていうの? だって内輪でやってる掲示板に、そんなこと書き込んでくること自体がちょっと気持ち悪いでしょ」
「気持ち悪い文面だったの?」
「うーん……正確には覚えてないけど、嫌な感じではあったよ。だから消したんだし」
門馬はギュルリと椅子を回転させて、和寿妃と忍を交互に仰ぎ見た。
「でも、あんまり突っ込んで調べることないんじゃない? 書き込みは消したし、誤解も解けてるんだから、こんなイタズラのことはもうほっといたほうがいいよ。だってこんなの、犯人が誰かなんて調べようがないでしょ。それこそ学校とはなんも関係ない一般の人がやったのかもしれないし」
床に落ちたイヤホンから何か軽快な音楽が音漏れしている。
「むしろ変に反応すると、つけあがって、もっと変な書き込みしてくるかもしれないでしょ。うちのクラス、いろいろあったけど最近やっと落ち着いてきたんだしさ」
忍は和寿妃を横目で見たが、和寿妃は腕組みをしたまま答えない。
ここは門馬に加勢したほうがいいかと、忍は口を開きかけた。話を聞く限り、門馬は学級委員としてかなりまともなことを言っている。
だが、話しかける前にドンと背中を押された。
女子二人だ。制服のタイの色はオレンジ。一年生だった。
「門馬センパイ、いつまで遊んでるんスかあ」
「こっちだって文化祭の準備が詰まってるんですけど!」
「あー、はい。ごめんごめん」
パソコンクラブの後輩らしい。
双子コーデというのか、肩までの三つ編みから飴玉の形をしたイヤリングからベージュのカーディガンからそっくりに似せている。
門馬をかなり慕っている様子で、忍を押しのけると、ぷくぷくした両腕にしがみついている。近くで見ると、着ぐるみに抱き着く小学生のような体格差だ。
二人とも、なりは小さいが度胸はかなりあるらしく、二人そろって和寿妃を睨みつけていた。
忍ははたと気づいて視聴覚室を見回した。
声こそかけてこなかったが、周囲で作業しているパソコンクラブの面々からすると、部員の門馬が責められているように見えたのかもしれない。
「和寿妃、もういいだろ。行こう」
「んー……うん……」
「な、なんかごめんね。うちは文化祭のオープニングの動画とか作ったりしてるから、またいつでも遊びに来てね」
門馬は汗をかきながらそう言ったが、その両隣で牙を剥く後輩二人を見るに、その機会は当分なさそうだった。
ピシャリと廊下に締め出されて、忍はため息をつく。
隣りで眉間にしわを寄せている和寿妃に話しかける。
「……それで、気は済んだか?」
「ぜんっぜん」
「そう言うと思ったよ」
うんざりと返す忍を意に介さず、組んだ肘を落ち着かなげに叩いている。
「ねえ、イエティって誰なのかな。なんの意味があってあんなことしたんだろう」
「なんの意味もないに決まってるだろ。ただのイタズラなんだから」
「イタズラぁ?」
「じゃなきゃ一体なんなんだよ。おまえがサルに惚れてるってウソついて、誰になんの得がある。単に人に迷惑かけたいってだけだろ」
最後の一言で、和寿妃は首を大きく首を傾けて、忍を凝視した。
大きな目だ。虹彩の中に優等生よろしく二重丸の光が見える。
「……なんだよ」
「うん。やっぱり、猿渡くんにも話を聞きたいな」
「おい。だからそれは本人が嫌がってるんだからやめろって」
「だって、こんなウソをつかれて直接の迷惑を被ったのは猿渡くんだもの。標的はわたしじゃなくて、猿渡くんなんじゃないの?」
「…………」
「だいたいこのウソはねえ、わたしが掲示板に出入りしていたら成立しないんだよ」
それは、忍にもわかっていた。
門馬は外部犯の可能性に言及していたが、大柴 和寿妃と猿渡 崇志の名前が出ている時点で、学校関係者の犯行であることは明白だ。
おまけに、和寿妃は頭の固い優等生で、無意味なウソを看過できない性格ときている。もしも事態を先に把握していたら、小鹿への報告と吊るし上げじみた学級会は免れない。
掲示板に出入りするメンツと、管理者である門馬の人柄、その両方をあらかじめ理解していなければ、成立しないウソ。
おそらく、イエティはクラスメイトの一人である可能性が高い。
とはわかっていても、忍には認めがたかった。なんとかして次に和寿妃がするとわかっている質問をキャンセルしたい。だが間に合わなかった。
うちひしがれている忍と対照的に、きらきらと目を輝かせて尋ねてくる。
「それで? どこのカラオケに行けばいいの?」
翌日。
忍は、学校を休んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます