第7話 ヘビと狐

 夕方からは駅前にバイトへ向かう。

 居酒屋のキッチンバイトは、夜型の忍に合っていた。

 ホールと違って客に愛想を使う必要もないし、真面目に手を動かしているだけで評価される。


 おそらく見た目の軽薄さが良いギャップを生んでいるのだろう。

 雨の日に捨て犬を拾う不良がモテるみたいなものだ。

 有り難く感じる反面、彼はそんな周囲の目をバカバカしいとも感じていた。


 こんなことで良く思われるのだとしたら、真面目な身なりをした人間が、ちょっと羽目を外しただけで悪く思われて当然ということになってしまう。

 そして現実に世の中はどうもそんな風にできているらしいということもまた、高校生の彼には受け入れがたい話だった。


 法的な理由で、学生バイトは夜の十時前には解放される。

 父との朝の会話から、忍はそろそろ自立のための資金を貯めるべきだろうと考えていた。大して勉強が好きでもないのに大学受験を迫られたらたまったものではない。


 今月の収入と支出について頭の中でソロバンを弾いていると、背後から急に声をかけられた。


「ねえ、ちょっと待って」


 女の声に、忍は立ち止まらなかった。歩き続けながらポケットを探る。

 この時間帯に自分のような見た目の男に声をかけてくる女は、十中八九キャッチか美人局だ。

 見た目ほど他人に強く出られない彼は、そんな手合いからは、いつもポケットに入れているアメかガムを投げつけて逃げることにしている。


 その様子を見て、あやしい薬を売っているとか訳のわからないことを抜かすやつは、学生バイトをナメていると忍は思う。

 そんな法を犯す度胸があったら、こんな馬鹿げた真似はしていない。


 だが、今回に限っては、その馬鹿げた真似をする必要はなかった。


「ちょっと、待ってってば! なんで無視するのよ、三輪っち!」


 忍のことをそんな風に呼ぶ人間は、地元と言えど一人しかいない。


「キツネ……さん」

「こーんこん」


 忍の言葉に、純白のセーラー服をまとった少女—―狐塚こづか真理は、キツネの鳴き真似を返した。


「懐かしいわねえ、その呼び方!」

「…………どうも」

「ねえ、髪の毛のそれ、何色にしてんの?」


 息をするように距離を詰められて、忍は後ずさった。

 結果的に街灯の真下に入ることになる。

 アニメから出てきたような深緑色の髪に、狐塚は「おおっ」と感嘆の声を上げた。


 狐塚真理は中学の頃の同級生だ。

 和寿妃の親友でもあり、忍も何度か会話したことがある。

 会うのは卒業以来ということになるが、狐のように切れ長の目元と、泣きぼくろは変わらない。


 長い髪を今はサイドでお団子にまとめているが、中学の頃はゆったりとした三つ編みにしていた。


 いつも気だるげな狐塚と、天真爛漫そのものな和寿妃では、性格は真逆なはずだが、この二人はなぜかとても仲が良かった。


「北高は校則ゆるいってホントなんだ。いいなー」


 忍にとっては高校デビュー前の姿を知られている相手でもあり、やりづらいことこの上ない相手だ。


「……なんで、お嬢様学校に行った人が、こんな時間に出歩いてんですか」

「しかも制服でって? ねー」


 狐塚はふわりと真っ白なセーラー服の裾を軽くつまんで見せた。

 彼女は地元でも屈指のお嬢様学校と名高い、私立白橡しろつるばみ女学院に進学していた。

 忍と和寿妃が通う県立北山王高校とは格も授業料も桁違いと専らの評判だ。


「いやもー……」


 狐塚は情けない笑みを浮かべて、重そうなスクールバッグを示して見せた。


「夏休み明けてさっそく授業についていけないから、予備校通いしてるわけですよ」

「ふうん……」

「しかも、聞いてよ。せっかく進学校に入ったのに、予備校じゃ和寿妃と同じクラスなのよ? あの子の頭の良さときたらもう……」


 忍はギクッとして、周囲を見回した。

 和寿妃が駅前の予備校に通っていることは知っていたが、さすがに昨日の今日で顔を合わせるのは気まずい。


 狐塚は切れ長の目をきらりと光らせて「なになに、フッた女のこと探してんの?」と笑った。忍は耳を疑った。なぜ彼女がそんなことを知っているのか。


「……は? なんで」

「あーっ。違うわよ。和寿妃は今日予備校休んだし、あいつから聞いたわけじゃないから。ただ、あの子は有名人だし、三輪っちのそのナリは目立つからねえ」

「…………」

「んー……見せたほうが早いか。ほれ、修羅場動画」


 狐塚はそう言うなり、ポケットから出したスマートフォンを横向きに繰った。

 そのまま勢いよく忍の真横に来るものだから肩がぶつかる。

 触れた髪から甘いバニラの香りが漂う。

 忍は思わず息を止めた。

 間に和寿妃でも挟まない限り、この女臭さにはとてもではないが耐えられない。


 長い指先でタップされた動画は『忍くん、私の恋人になってよ!』という和寿妃の声から始まっていた。こんなに大きな声だっただろうか。


 アクアショッピングセンター近くの歩道橋から撮影されたものらしい。

 拡大された自分の間抜けな横顔に、忍は胸が悪くなった。

 人通りの多いところで騒いだ自分たちにも非はあるが、盗撮とは趣味が悪い。


「いや、消せよ。それ……」


 再生途中で耐え切れなくなって、忍は画面を手で遮る。

 狐塚は片眉を軽く上げてみせると、すぐにスマホをひっこめた。

 トントンと前髪を指で示して笑ってみせる。


「髪色、ヘビリスペクトで紫にしてるのかなと思ってたけど、緑だったのね。動画じゃ色が潰れててわかんなかった」

「……その動画、けっこう見られてるのか?」

「まあね。同中とはいえ他校のウチにまで拡散されてきてるわけだし、ちょっとしたニュースみたいな」


 狐塚は「大柴家御令嬢、熱愛発覚。告白・即・散る!って感じ?」と、実際にはそこにはない文字列を、両手を使ってポンポンポンと示してみせる。


「笑いごとじゃないだろ……」


 忍は和寿妃が心配だった。

 クラスでのコミュニケーションを強制終了している忍とは違い、和寿妃は周囲へのイメージにかなり気を使っている。


 旧家の令嬢ということもあるだろうが、性質としてかなりの見栄っ張りなのだ。

 さすがに責任を感じている忍に、狐塚は「ハハハ」と肩を揺らして笑った。


「いやー。でもそれ、和寿妃は狙ってやってない?」

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