第9話 SHOW



 第二の男のドラマチックな登場に、観衆は大きくどよめいた。

 興奮が最高潮に達し「やばいやばいなんだこれ」「間男きたじゃん!」と口々に声を上げている。


 忍は肩で息をしていた。「何してんだおまえ」と言う。

 冷たい声だった。

 和寿妃は、ふ、と唇から息を抜いただけで答えない。


 笑っているような、怒っているような、あるいは何かをあきらめているかのような、能面にも似た無表情を浮かべて忍を見つめ返している。


 この異様な雰囲気の意味を、周囲は掴むことができなかった。

 なんとなく居心地の悪さを感じてはいるものの、この昂ぶりが不完全燃焼で終わるのはどうしても許せない。


 それよりも、一度は女をにべもなく振った男が、同じ女を今度は責めようとしている。この状況は遠回しに復縁を迫っていることになるのだろうか。


 そんな邪推をしはじめた人々に、ふと和寿妃の視線は向いて、離れた。

 席を蹴るように立ち上がり、同時に、制服の袖口でぐいっと口元をこすりあげる。


「はあ……もういいよ……っ、忍くんなんて、もう知らない……っ」


 その場を放棄して走り出す彼女に、周囲は慌てて道を空けた。


 周囲の視線を一身に集めながら、忍はそのまま予鈴が鳴るまで待つつもりだった。

 そうすればこの茶番が終わると考えていたからだ。


 だが、猿渡がそれを許さなかった。教室のはしばしから悲鳴が上がる。

 彼が忍の肩をぐいっと掴んで引き寄せ「何やってんだよっ! このバカヤロウ!」雄たけびと共にその鼻面に鉄拳を食らわせたからだ。


「早く追いかけろよ……ッおまえの女なんだろうがっ!」

「…………は?」


 忍は片手で鼻血を庇いながら、思わず笑ってしまった。

 衝撃で蛇眼のコンタクトレンズが片目だけ落ち、彼の黒目はあらわになっていた。

 気味の悪い有り様を前に、猿渡は息を吞む。


 だが、忍は殴り返さなかった。

 軽くうつむいただけで無言のまま踵を返し、教室を出ていく。

 予鈴が鳴ったのは、その数秒後だ。


 興奮いまだやまずといった生徒たちだったが、各教室を受け持つ教師らが姿を見せると、慌てたように自分の本来の居場所へ帰っていく。

 生徒の多くが一つの教室に集合していたらしいことに、教師たちは困惑した様子を見せたが、これといって言及することもなかった。


 猿渡もまた、周囲からちらちらと視線を受けながら席に着いた。

 血の付いた手の甲を、なんとなく机の下に隠す。

 耳の奥ではまだ早鐘を打つような動悸が続いている。急速に心が冷えていくのを感じていた。


 結果だけみれば、同じクラスになって今日はじめて話した三輪を、猿渡はなんの躊躇もなく殴ったということになる。

 自分でも自分のとった行動に混乱するばかりだった。


 なにか自分の意志とは無関係な大きなものに操られていたような気さえして、猿渡はぞっとした。

 目の前に広がる見慣れた教室の風景や、窓の外に鮮やかに広がる街並みが急に疑わしく見えてくる。


 あるいは、こんな気分になるのは、夏休みいっぱいをかけた恋を失ったせいなのかもしれないけれど。


 猿渡は軽く首を振って、いつものように黒板に顔を向けた。

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