第4話 犬も食わないやつ(前)

 二人はアクア・ショッピングセンターの前まで来ていた。

 市内では数少ない大型買い物スポットで、広大な駐車場を備えている。

 下校に合わせて寄り道する学生や、夕飯の買い物をする子連れ客の姿も多い。


 自転車のハンドルを握りしめたまま石化する忍の真横で、自動ドアが何度も開いたり閉じたりを繰り返している。


 和寿妃は先ほど言ったのと同じことを、違う言葉で言い直した。


「忍くん、わたしの恋人になってよ」


 雑踏に負けない、よく通る声だ。

 そんな『体育のペアを組む相手がいないから一緒に組んでほしい』みたいな軽さで告白されるとは思わず、忍は大いに面食らっていた。

 それも、雰囲気も何もない、こんなありふれた街中で!


 冗談だろうと待っているのに、和寿妃はちっとも笑い出さずに忍を見つめている。

 仕方がないので、忍のほうから目をそむけた。

 軽くなった自転車を押して、ずかずかと和寿妃の横を通り過ぎる。


「えっ。待ってよ」


 強く腕を掴まれて、忍は立ち止まった。


「返事は?」

「は……? なにが返事だよ……」

「わたしのこと、好きじゃない?」

「……おまえこそ、別におれを好きでもなんでもないだろ」

「なに言ってんの。わたしは忍くんのことが大好きだよ。知らなかったの?」


 その動じなさに、忍はぶち切れた。


「なに企んでんのか知らねェが、オマエ人をおちょくるのもいい加減にしろよ! 本気で惚れられてるかどうかもわかんねーほどオレをガキだと思ってんのか!?」


 怒りに任せて和寿妃の手を振り払う。

 相手が彼女でなければ平手のひとつでもくれてやっていたかもしれない。


「お嬢様の悪ふざけにつきあうなんざこちとら願い下げだ! ほかを当たれよ!」


 和寿妃は口をへの字に曲げて立っていた。

 笑うでも泣くでない。ただ、腕を組み、忍が反応し尽くすのを待っている。

 そうとれる態度に忍は戦慄して口を閉ざす。

 よく知っているはずの幼馴染が、急に別人のように見えた。


 その涼しげな目元に、急にじわっと涙がにじんだ。


「そう……。わかった」


 ぎょっとする忍の前で、和寿妃は両手で顔を覆う。

 涙声だった。


「急に変なこと言って、ごめんなさい。別に、なんでもないから……忘れていいよ」


 忍は最後まで聞かずに自転車にまたがった。

 スピードを出しすぎて向こうから来るカップルにぶつかりかけ、慌てて車道に出る。

 自分がどこで何を間違えたのかわけがわからなかった。


 和寿妃の泣くところを見たのが何年振りなのか、彼は思い出せない。

 昔は何か気に入らないことがあるとすぐ泣いて解決しようとする子供だったのに、いつの間にか協調性が身につき、ちょっとしたことでは笑顔を崩さなくなった。


 中学に上がってからは別行動も増えたが、たまに会話すれば昔となんら変わらない調子で、いつもホッとさせられた。

 高校で同じクラスになった時は、大げさすぎるほど喜ばれて面映ゆかった。

 なんとなく、こいつとは死ぬまでこんな感じなんだろうなと忍は思っていた。


 卒業後の進路は目下不明だが、まあ、ちょくちょく会っては酒を飲み、仕事のグチを言い合うなどするのだろうと、ぼんやり夢想していたのだ。


 もちろんそれは、ヘビと結ばれてヘビと暮らしてやがてヘビのウンコになるという壮大な夢に比べると、あまりにささやかな想像だったのだが。


 もはや有り得ない未来かもしれないと思うと、なにかかけがえのないものを失ってしまったような気さえするのだった。


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