第3話 白妙

 北関東の海なし県、そのど真ん中に位置する天二谷アメフタヤは、夏は暑いし冬は寒い。


 住むには最悪の土地、と地理教師が冗談交じりに語っていたことを忍は思い出した。


 他都道府県に比べて雷が多いという言い伝えがあるが、実際には他県とそう変わらないらしい。


 高速道路が近い。ついでに山も近い。

 道路に設置された温度計は36℃を示している。

 目もくらむような西日が、蒸し暑さを倍増させていた。


 ゆるい上り坂だ。

 和寿妃を後ろに載せた自転車を、忍は汗をかきつつ押していた。

 珍しく一緒に帰るなどと言うので何か相談事でもあるのかと、最初こそ身構えていた彼だが、この暑さでは緊張も続かない。


 和寿妃はといえば、夏休み明けからクラスの雰囲気が良くないだの、不登校のタヌキが心配だの、サルからのラインを返すのが大変だの、学級委員らしいような、らしくないようなことをグダグダ喋ったかと思えば、今はすっかり黙り込んでいる。


 静かなのは嫌いではない忍だったが、和寿妃の沈黙となると別だった。

 腹でも痛いのかと、何度か声をかけようかと思ったが、何か思案しているようでもあり、結局は話しかけずじまいだった。

 川沿いの道に差し掛かると、和寿妃はようやく再び口を開いた。


「忍くんは、夏休みは何してたの?」

「は……?」


 忍は、顎にふきだしてきた汗を手の甲で拭った。


「別に……。バイト行って、ホームセンター覗いて……」

「ホームセンター? ああ、ペット館にヘビがいるもんね」


 見透かされている。忍はおとなしくうなずいた。

 和寿妃の言う通りだ。

 ペットショップを兼ねた大型ホームセンターへ、ヘビを目当てに行っていた。


 爬虫類の取り扱いが多い店舗で、店員の知識も豊富だ。

 忍は幼少期からずっと通っているお得意様、というより、やたら来るけど害のない客として認知されている。


 店員の手が空くとたまに知らない蘊蓄をいろいろ聞かせてもらえることもある。

 忍にとっては、ヘビは見られるし同好の士の話も聞ける、絶好の癒しスポットだ。


「ずっと迷ってたけど飼うことにしたの? っていうか、もう飼った?」

「………………飼わない」

「いや、タメ長いな。飼えばいいじゃない。大好きなんだから」


 忍は唸った。

 ヘビは、和寿妃が思っているほど簡単に飼える生き物ではないのだ。


 湿度温度の管理などケージを整える手間は当然、危機管理にも備えなければならない。自分に何かあった時には同居家族の理解と助けが不可欠だ。

 脱走すればもちろん大騒ぎになる。

 種類によっては人に大けがをさせてしまう可能性もあるからだ。


 さらに、病気にかかれば病院へ連れて行くことになる。

 ヘビを専門に診る獣医は県内に一つだけだ。当然、保険はきかない。

 交通手段が限られている学生には、物理的にも金銭的にも荷が重かった。


 等々の事情をかいつまんで説明しながら、忍は頭を掻いた。

 本当の問題がそんなところにはないことは、自分が一番よくわかっている。

 だが、和寿妃に聞かせられるような話ではもちろんない。


「つーか、おれがヘビを"飼う"とかおこがましい気がして……」

「ええ?」

「だからペットとかじゃなくて、ただ、おれと一緒に暮らしてほしいっていうか……」


 忍は言葉を口にするたびに、どんどん頬が熱くなっていくのを感じた。

 額の汗がぽたぽたとアスファルトに落ちていく。


『飼うくらいなら飼われたいっていうか、むしろ食われたいっていうか……』


 そんな、和寿妃には理解できないだろうことまで口に出してしまいそうになる。


 一人うなじから湯気をあげている忍に、和寿妃は「ふうん」と感心したような声を漏らした。


「ねえ、最近は白妙しろたえを見に行ってるの?」

「は!?」


 ここで出てくると思わなかった名前に、忍の心臓は噴火したかのように脈打った。


「あぁあ……会いに行ってるけど……それがなんだよ……」


 白妙というのは、忍が片思いしているヘビのことだ。

 今は地元の動物園で飼育されている。

 大柴家の庭にいるところを保護されたので、和寿妃も忍の思い入れについては、よく知っていた。


 実際、会いに行っているどころではなかった。

 夏休み中は三日と空けず通い詰めていたのだ。

 名前を聞くだけで胸が苦しい。

 耳まで真っ赤になってプルプル震えている忍に、和寿妃は追い打ちをかけた。


「いや、好きだなぁと思って。忍くんて、白妙のどこが好きなの?」

「どっどこだと。おまえ、そんな……」


 全部だ全部、と答えられるほど忍の肝は太くない。

 しっとりと濡れたように光っている鱗の、淡雪を思わせる儚さ。

 一対の赤い瞳はまるで果実のように艶やかで、奥ゆかしいほど小さく細い舌ときたら、可愛らしくてあざといほどだ。


 肌はどれほど冷たいだろう。あの体で締め上げられたら。小さな口に咬まれたら。

 想像する痛みさえ甘美に思え、忍はしばし恍惚としてしまった。


「忍くん?」


 はっと気がつくと、自転車から降りた和寿妃が心配そうに顔を覗き込んでいる。

 赤面を見られるのもばつが悪い。

 忍は「なんでもない」と言って、その額を片手で遠ざけた。


「本当に大丈夫? ちょっと休もうよ」

「いいって言ってるだろ……それより、なにか用があるんじゃないのか」

「ああ、うん……忍くんって好きな子とかいるのかなって思って」

「あ!?」


 驚きのあまり声を荒げる忍に、和寿妃は「うーん」と首をかしげた。


「忍くんって浮いた話が全くないから不思議なんだよね。ヘビが大好きなのは知ってるけど。でも、さすがの忍くんも、ヘビとは結婚できないからねえ」


 自分がヘビと結婚できないことくらい、忍にもわかっている。

 だが、改めて冗談のように言われるとムカッ腹が立った。


「うるせえなあ! おまえには関係ないだろ!?」

「え。なんでそんなに怒るの? 実は好きな人がいるとか?」

「だから! なんでそんなこと言わなきゃならないんだよっ」

「忍くんと付き合いたいからだけど」

「大体おまえときたらいつもいつも……」


 耳に言葉が遅れて入ってきて、忍は「なんだと?」と聞き返した。


「忍くんにカレシになってほしいんだよね」


「ダメ?」と、手を合わせて首をかしげる和寿妃に、忍は絶句した。

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