第2話 大柴 和寿妃という女

 身長は150センチ前後。


 小学生の頃から大して成長していないように見える体躯は小さいが、その筋力をどこに秘めているのか、力は強いし足も速い。


 県内でも有数の大地主の娘で、上には年の離れた兄が二人いる。

 かなり可愛がられているともっぱらの評判だ。


 思い返せば確かに末っ子らしい性格ではある。


 正確な誕生日は記憶にないが、たしかハロウィンの頃だったはずだ。

 小学生の頃、一度、誕生会に招かれた時にはオオカミ少女の仮装をしていた。

 イヌミミをつけた原始人みたいな恰好で、おばけシーツをかぶった忍にやたらとちょっかいをかけてきたのをよく覚えている。


 そして今、忍のすぐ隣りを、子犬のような小股でちょこちょこ歩いていた。


「忍くんは自転車通学だっけ?」

「うん」

「暑くて大変じゃない? バス通学は涼しいよ~」

「うん」

「あ、でも、バス停で待たされたりするから変わらないかあ」

「うん」

「は~。早く車ほしいなあ……田舎の学生には人権がないよ、まったく」

「…………」


 知っていたことだが、忍の生返事を、和寿妃はまったく気にしなかった。

 むしろ返事がないのをいいことに、好きに話題を広げてさえいる。

 本人の中では、楽しい会話と認識されているのだろうか。


 考え込む忍をよそに、和寿妃は前方から来た人影に片手を挙げた。


「あーっ、お疲れ! 部活中?」

「和寿妃ちゃん、声でっか!」

「外で写生に行ってたんだよ。暑くてやばかったー」


 和寿妃に答えたのは、二人組の女生徒だ。

 美術部なのだろう。それぞれ画板を携えている。


「うちら、しばらく写生つづきだよ。大柴さんも来ればおもしろいのに」

「えー? わたし部員じゃないしなあ」

「和寿妃ちゃんなら誰も文句言わないって。日焼けして黒ギャルに転生しろよお!」


 きゃっきゃとはしゃぐ女たちの横で忍は必死に自分の存在感を消す。

 窓の外の運動場では、サッカー部が試合でボールを蹴っている。


 スポーツ全般が嫌いな忍にもチームのどちらもやる気がないのは見てとれた。

 校庭の水はけが恐ろしく悪いせいだ。

 午前中に降った雨が、点々と泥の水たまりを作っている。

 ボールを汚さないよう、彼らが細心の注意を払っていることがうかがえた。


 日差しと蒸し暑さの中を泥まみれになって走る。


 部活動はマゾヒストの極みだな、と、忍は他人事ながら同情した。


「じゃ、またね~!」


 美術室へ戻る二人を見送った和寿妃は、忍にくるっと向き直った。


「忍くん、挨拶はちゃんとしたほうがいいと思うよ」

「……あ?」

「せっかく一緒のクラスなんだから……クラスメイトだよ! 名前ちゃんと覚えてるよね?」

「ムクドリとウリボウだろ」

「なにそれっ。椋木ムクギさんと、優瓜ユウリちゃんだけど!?」

「うるせえなあ、知らねえよ……」


 忍の人間嫌いは筋金入りだ。

 相手を人と思うと吐きそうになるので、知り合いのことは動物になぞらえて認識するようにしている。


 先だっての二人であれば、声が耳障りで灰味がかった毛色なのがムクドリ。

 それよりボサボサした大柄で八重歯が尖っているのがウリボウだと理解している。


 自分のことさえ、朝起きたらヘビになっていればいいのにと願ってやまないのだから、いちおうは人間として見ている幼馴染のほうがレアということになる。

 たまに本当に犬にしか見えなくなることもあるけれど。


 和寿妃は手で口を押さえてくすくす笑った。


「そんなんだから夜中に駅前であやしいクスリ売ってるとか変なウワサが立つんだよ」

「じゃあ余計に話しかけないほうがいいな」


 二人は横並びになって、下駄箱で靴を履き替えた。

 和寿妃は艶のあるローファーにそっとつま先を差し入れ、忍はスニーカーのかかとをはきつぶす。


「品行方正ぶったところで、言いたいやつは勝手なこと言うに決まってんだから、挨拶なんてしたところで別に意味ない」

「積極的に敵を作るよねえ、きみは……」

「うっせえ。おまえだってクラスの誰と仲がいいわけでもないくせに」

「うっ!」


 図星らしい。和寿妃は胸を押さえてしゃがみこんだ。

 下手なフリだ。忍が無視して駐輪場へ向かうと、よろよろ追いかけてきた。


「誤解だよ……。わたしはみんなと仲良しなんだからぁ……」

「単に当たり障りのない付き合いしかしてないだけだろ」

「そんな……っそんなことは……ないよ……。ただ、あんまりグイグイいったら嫌われちゃうかなって思うし……」


 ジト目で見下ろされ、和寿妃の視線は泳いだ。

 ツインテールの毛先を指でくるくると巻きながら世迷言を言っている。


「どうも、わたしがかわいくて頭がいい上に育ちも最高なばっかりに、みんな遠慮しちゃってるみたいなんだよね。こっちから夢を壊すのも気がひけるしさ」

「いやおまえの優等生ぶりが痛々しくて距離をおいてるだけだと思う」

「ちょっと! いちいち核心突くのやめてくれる!?」


 自覚のある逆ギレに、忍は辟易した。

 彼は人間嫌いなりに、いや人間嫌いだからこそ、クラスメイトの挙動に敏感だった。

 和寿妃はたしかにクラスの有名人だが、同時に接しづらいとも思われているようだ。


 ともすれば『親しくする』よりも『いじる』方向に会話が進んでいくことも多い。

 先だっての美術部員二人との会話も、分類するなら後者寄りだろう。


 もっとわかりやすく、出来のよさを妬まれて陰口を叩かれることも、もちろんある。

 忍がひと睨みすれば黙るようなしょうもない手合いばかりだが、そういう場面を前にすると、やはりこう思わずにはいられない。


(クラスメイトなんて、クソくらえだ)


「クラスメイトなんだから、みんなと仲良くなりたいのになぁ」


 当の本人の口から真逆の感想が飛び出してきて、忍は笑ってしまった。


「本気でそう思うなら、まずおれに絡んでくるのをやめろよ」

「もぉ~。そんな寂しいこと言わないで。忍くんはわたしにとって特別なんだよ?」


 忍は嘆息して自転車のスタンドを蹴り上げた。

 なんの気負いもなくそんなことを言える和寿妃のバカさ加減が、一周回って羨ましい。


「おい。当然のように後ろに乗ろうとするな」

「え~! 歩くの暑い。やだ。家まで乗せていってよ」

「バスで帰れっ」

「じゃー進路調査票出してちょうだい」


 片手を突き出す和寿妃に、忍は逆らえずに自転車を出した。

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