犬系幼馴染はヘビの身代わり

春Q

1: ヘビのウンコ or 幼馴染とつきあう 編

第1話 ヘビと柴犬

 ウンコになりたい。

 それが、男子高校生・三輪 忍の人生の最終目標だ。

 無論、ただのウンコではない。彼が愛してやまないヘビのウンコだ。


 ヘビに恋をしたのは、八歳の頃――小学二年生の時。


 両親の離婚をきっかけに、天二谷アメフタヤという北関東の田舎町に引っ越した彼は、ある日、一匹の美しいヘビと遭遇した。


 聖書にある。


『さてヘビは、神が造られたものたちのうちで、ほかのどれよりも賢かった。』


 ――創世記・第三章・第一節。


 その存在は、かつて原始人類に罪を犯させさえしたのだけれど。


 何も知らない忍少年は、その美しい白ヘビにすっかり魅了されてしまった。

 触れればぷるりと溶けてしまいそうな、雪のように輝くウロコ。

 小さな宝石のような赤い目、ちらちらと覗く割れた舌。

 どこをとっても、その姿は完全で――。


 野生動物をはじめて目の当たりにした幼いばかりの少年が、その眼差しに射抜かれたのも無理はない。


 まったく、高校生になっても忍は、ヘビを愛し続けていた。


 その想いは、もはや愛好の域に留まらない。

 ――そう、ヘビになりたい。


 教師から嫌な顔をされながら舌にピアスを空けてみたり。

 縦長の瞳孔に憧れて目にカラコンを入れてみたり。

 はたまた緑に染めた髪をポニーテイルならぬスネイクテールに結んでみたり。


 一周回ってこじつけかと思われそうな凝り方だが、彼の気持ちは本物だった。


 さらに、彼のヘビ愛は見た目へのこだわりだけに留まらなかった。

 忍はいつしか、死ぬ時は蛇に食われたいとまで夢見るようになったのである。


 ヘビの喉を通り、消化されて栄養になり、最終的にはヘビのウンコになりたい。


 でも。でも……。


 でもそんなこと、進路希望票にはとても書けない……!


「ぬおお……」


 放課後の教室で、忍は白紙の進路票を前にひとり苦悶した。


「忍くん、まだ書けないの?」


 見かねたように声をかけたのは学級委員の大柴 和寿妃カズヒだ。


 夏休み明け初日に配られた進路票を回収して、担任に提出するのは、彼女の役割だった。


 和寿妃はやれやれと忍の前の席のイスを引いて腰かけた。


「いい加減にしないと先生帰っちゃうじゃん。ちゃっちゃと書いちゃいなよ」

「うるせえ……てめえにおれのなにがわかる……」

「ウソでしょ? そんな深刻なセリフが出る場面か?」


 この女にわかってたまるか、と、忍は内心で毒づく。


 机に頬杖をつく和寿妃は、クラスでも評判の有名人だ。


 テストを受ければ学年5位以内に入る優等生。

 運動部の試合に欠員が出れば助っ人に呼ばれるほどの運動神経を誇る。

 絵を描かせれば美術部員そっちのけで賞を獲ってしまう。

 おまけにその優秀さを全く鼻にかけない性格の良さまで持ち合わせているのだ。


 天才肌を通り越して、もはや人間かどうかが疑わしい。


「おまえの進路はよりどりみどりだろうな……」

「わは。褒めてるの? 照れちゃうな~」


 忍のつぶやきに、和寿妃はにぱっと邪気のない笑みを浮かべた。

 皮肉の通じなさに忍はげんなりした。


 和寿妃は優秀なくせに精神構造が犬寄りなのだ。

 群れからはぐれる者を放っておけない世話焼き気質はまさしく牧羊犬。

 赤みがかったツインテールは犬の垂れた耳を思わせる。

 つぶらで愛嬌があるのに涼しげな目元ときたら、まるで柴犬だ。


 そして忍は犬が全く得意でない。

 いや、犬に限らず、ヘビ以外の生き物全般が苦手なのだった。

 中でも一番嫌いなのは人間なのだけれど。


 忍は大きなため息をついて、シャープペンシルを机に投げ出した。


「帰る。家で書いてくればいいだろ……」

「えー! 忍くん、そう言って今日で一週間経つんだよ。中学の時と違って先生だって真剣なんだから、テキトーでも今書いちゃってよお」


 厄介なことに、この犬のような優等生と忍は小学校の頃からの腐れ縁だ。


「アホらしい。お前には関係ないだろ」


 忍はリュックを肩にかけた。

 無視して行こうとしたが、和寿妃は「ぐぎぎ」と小さな体でカーディガンの裾を引っ張って行かせまいとする。


「それがカンケーあるんだよなあ! 学級委員なんだから。クラスみんなの進路票は、わたしが責任もって回収しないと」


 幼馴染の融通の利かなさに忍は呆れた。

 校則のゆるさをいいことに見た目をどんどん派手に改造していく自分に、ここまでしつこく絡んでくるのは、今や和寿妃くらいなものだ。


 姿かたちが変わっても、彼女にとっての忍像は小学生の時の『ボーッとしていて手のかかるシノブくん』のままということだろう。


 そう思って見下ろすと、顔を真っ赤にして自分を引き留めようとする和寿妃が、小学生の時の『しきり屋のくせにすぐ泣くカズヒ』の姿にダブッて見えた。


 ふいに視線がかちあう。


『高校二年生にもなって異性の幼馴染と、いまだに小学生じみたやりとりをしているなんて、恥ずかしい……』


 ふとそんな思いがこみ上げてきて、忍は逆らうのをやめた。

 同じように、和寿妃も照れくさそうな笑みを浮かべる。

 二人の間になごやかな空気が流れ、そっと裾から手を離す。


 その瞬間、忍はすっ飛んで逃げた。


 後ろから和寿妃が「騙したのか」だの「小2のガキか」「廊下走るな」だの叫んでいるが、聞く耳を持たない。


 そうやって二階から階段を駆け下りたまでは良かったのだが、持久力に欠ける忍だ。


「逃がすもんですかっ」


 踊り場で脇腹を押さえたところで、「↓・タメ・↑・K」コマンドでサマーソルトキックを容赦なくかまされて、まんまと捕まってしまった。


「ぐああっ」


 この時、衝撃にぶっとんだ忍に対し、階段十段ぶんを軽く越える大ジャンプを披露した和寿妃は全くの無傷。

 運動神経の良さは伊達ではないのだ。


「おまえ、死ぬ気かっ……いやっおれを殺す気なのか……!?」


 恐怖のあまり壁に背がつくほど縮み上がる忍に、和寿妃はフンと鼻を鳴らした。


「なに言ってんの、大して痛くないでしょ。だいたい、忍くんだって子どもの頃は崖から降りたりしてたじゃん」

「ああ……。その時のおれはアバラを骨折したけどな……」

「まったくもう……そんなに嫌なら、わかったよ」


 和寿妃は軽く膝を払って、彼女らしからぬことを言った。


「進路票については見逃してあげよう。ついでに、小鹿おが先生にもほどよい感じに言い訳しておいてあげる」

「あ……?」

「どうせ提出しないで済ませようと思ってたんだろうけど、あの人こういうの本気で根に持って、成績ガタガタにしてくるからね……」


 その通り、忍は一学期に成績をガタガタにされた挙句、親に電話連絡までされた。

 おかげで父から説教を食らい、バイトの回数に制限をかけられたのだ。

 せっかく夏休みが明けたというのに、また同じ目に遭わされるのは困る。


「どうしたの? 嬉しくない?」


 口を閉ざした忍を、和寿妃は下から覗き込むように見た。

 それは邪気などまるで感じさせない、常にウェルカムでワンダフルな、犬のような目だ。


 だが、そんな彼女を前にして忍の胸に満ちるのは、感謝や安心感などではなく、限りなく純度の高い猜疑心だった。


「……おまえ、なにを企んでる?」

「えー? なんのことかなー、和寿妃わかんなーい」


 和寿妃は子犬のようなツインテールを揺らして笑った。

 それは嬉しくてたまらないとでも言うような、とろけた笑みで――忍の目には獲物を捕らえて喜ぶ獣のようにも見えた。


「まあ、でもまずは……」


 そして彼女はたおやかな腕を伸ばし、小学生の時と同じように忍を誘った。


「一緒に帰ろうよ。忍くん」

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