7:「あなたたち」に溢れるばかりのありがとうを

「おい、見ろアニ」

「是だ」


 少女二人を囲んでいた影色の怪物たちが、一斉に夜闇に溶け消えた。

 銀のボブを揺らしてアニェスが空を確かめれば、夜は星を取り戻しつつある。


「霧が消えている……?」

「梗さんがうまくやったみたいだな」


 それでも、四つの瞳は緊張を解かずに、夜空を見上げる。

 何か、大切なものを探しでもするように。


      ※


「アコ、あれ梗くんじゃありません?」


 タンデムの夕霞が、夜空を指さした。

 バイクは、今度こそ旧市街に向かっており、道程の半ばほど。

 問われた阿古屋は、ちらと指先を追ってはみるが、しかし発見できず。


「見えねぇ、ん」

「え? いや、ほら、あれですよ? あのキラキラ光ってる……」

「……ユッカ? 梗さんって、光ってたか?」

「え? いや、でも、ほら……」


 再び指差され、運転の合間に見上げるのだが、幼馴染どころか発光体も発見できない。

 が、疲労困憊の少年にはどちらでもいいことだ。


「なんにしろ、片はついたんだ。迎えに行こうぜ」

「ええ!」


 バイクは走る。

 速度は少し下がったけれど、足取りはほんのり軽くなった気がする。


      ※


 春日荘屋上で木積は、はるか上空にフリーフォールする、虹色に輝く桔梗を目視した。

 距離があって米粒大とはいえ、あまりの光景に、最初は自分の正気を疑ったのだが、


「影神から魔力を奪ったのか」


 頭頂に乗せた黒猫を見つけて、納得。

 溢れんばかりの魔力が、実際に溢れてしまっているのだろう。ようやく顔をのぞかせた月の光を受けて、極彩を返している。

 まだはるか上空にあるが、人並み外れた視力を持つ木積の目には、これ以上ない笑顔がはっきりと。


「ああ、本当に。三枝が嫌いだって理由、わかる気がするよ」


 大人は目を閉じて、静かに笑む。

 口端に、どうしようもない苦りをひっかけながら。


      ※


 旭は、ゆるゆると宵風に揺られながら、乗り捨てられたバイクと地上を目指していた。

 その傍らを、虹色に輝きながら自由落下していく、汀・桔梗の姿が。

 能天気に手を振ってみせる彼に、少女は呟く。


「でっかいお土産を背負わされちゃって」


 あれがマーカラから譲られたものなら、彼のこの先は、間違いなく大きな変化がある。

 きっと、今までよりもよい方向に。

 それは、たまらなく嬉しいことで。


      ※


「けれど、どうするんだろうね」


 状況を聞いてテントを飛び出した颪は、追いかけてきた三枝の言葉に小さく首をかしげてみせる。

 煙草に火をつけた内閣特別調査室の室長は、深くため息をつきながら、


「人類から見たなら、無尽蔵にも見える影神の魔力を得たんだよ?」


 もっともな心配だ、と颪は頷く。

 やはり煙草に火をつけると、


「うまくやれる。梗さんならきっとうまくやれるさ」


 大人の苦笑いに背を向けて、少年は微笑み、隻眼で見上げる。

 ゆるゆると近づいている、幼馴染の帰りを迎えるように。


      ※


 魔力というのが、身を裂くように熱いものだと、初めて知った。

 思えば、隷としての能力も、魔力を使ったという実感はない。

 だから、虹色の熱を大事に大事に抱えながら、桔梗は地上を目指していく。

 街は、いつもの通り輝いているが、少し寂しい気がする。

 けれど、見上げる瞳の数は、それでも多い。

 退魔師に、暴走族。

 事情を知る街の名士たちに、一部の警察官。

 内閣特別調査室の面々。

 そして、幼馴染たち。

 ニュアンスは違えど、誰もが終わりを迎えたことで笑みを浮かべている。


「ああ」


 これが、夢見ていた光景。

 規模も精度もまだまだ足りていないけれど、それでも確かな結果だ。

 桔梗は吐息すると、


「見えるかい、マーさん」


 頭頂で力なく伸びている黒猫を撫でやる。

 ありがたくて。

 本当に、ありがたくて。

 自然と、口端が微笑んでしまって。


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