5:「ぼくたち」は祈るように
己の胸ほどまである巨大な剣に両手で体を預け、白銀の騎士は浅く息をついた。
浜から吹く春の宵風が白い頬に心地よいことに気がつくと、体が熱を溜め込んでいることを自覚。
重々しい大剣も全身鎧も、魔力兵装であるから重さは苦にならない。にも関わらず息があがるのは、間断なく襲う連戦のせい。
連日の対内閣特別調査室戦があり、今日は立て続けに対影罪戦が展開されている。
影摘みアニェス・マルグリートの心はわずかも立ち止まることを望んでいないが、肉体からは疲労が噴き出してしまっているのだ。
道路脇の花壇縁にずるずると腰を下ろすと、外灯もまばらな郊外の一本道から辺りを見渡す。
広がるのは、夜に隠れてしまった田園風景。春の実りが、ぼやける月明かりに、慎ましいシルエットを浮かばせるばかりで、自分たち以外の気配はまったくない。
……影罪も、全て討ったしな。
だから人の気配といえるものは、自分と、自分が跨った単車と呼ばれる鉄の馬と、道向こうで携帯電話に頷きかける仲間の少女のものだけだ。
颪への報告を終えた重い足取りの雪が、落ちるように隣に腰を並べ、
「七割方は制圧したそうだ」
「で、次は?」
「少し休め、だと」
「……是だ」
緊張を緩め、大きな息をつき、顔を上げた。
並ぶ人の少女もまた、両足を投げ出して空を仰ぐ。
桔梗が飛んでいるはずの、血霧に覆われた美柳の空を。
……どこまで到っただろうか。うまくやれているだろうか。
巡らない頭で彼の道程を思っていると、
「アニは、梗さんの騎士なんだろ?」
ベリーショートの髪をかきあげながら、雪が三白眼を向けてよこした。
「是だ」
「なら、どうしてついて行かなかったんだ? 失血でフラフラ、ほぼ間違いなくムチャをしやがるぞ?」
わかっている。
鉄面皮に肯定を含みながら、けれど、首は横に。
「自分が行っても、役に立たない」
「納得できるか、そんならしくない答え」
「なんだと?」
「俺の知ってるアニェス・マルグリートは、短絡と乱暴がツイストを踏んでいるような思考過程の持ち主だ。自分に何ができるかなんて、鑑みられるようなタマじゃあない」
「颪にも同じことを言われたが、随分と失礼な認識だ」
けれど事実である。
桔梗についていかなかった理由は別にあり、上空で自分が役に立たないことなど言い訳にすぎない。
「見たくないんだ。キキョウが、影神を救うところなど」
不倶戴天である影神を救うために伸ばされる手は、かつてに差し出されたものと同じだ。
それが、嫌だ。
どうして影神へ。
影摘みにではなく。
否、自分ではなくて。
「わかる気がするよ」
こわばりかけた柄を握る手が、柔らかな声に緩まされた。
意を聞こうと目を向ければ、耳にかすかな風鳴りが。
「……?」
見上げると、雪の携帯電話が着信を告げ、同時、
「……⁉」
派手な水音をたてて、無数の黒い塊がアスファルトに叩きつけられた。
幾秒もしないうちに、塊は形成を取り戻していく。
影罪だ。おそらくは、マーカラが放った第二陣だろうが、
「弱った体でこの数を放つとは……」
電話に応じた雪が、焦る声で、
「ここだけじゃない! 新旧市街地にも海岸端にも現れてるぞ!」
「あの女、死ぬ気か?」
魔力の行使は、自己存在を削ることでもある。特に、木積の一撃をまともに当てられ、その傷が癒えぬままなのだから、本来よりも限界値は下がっているはずなのだ。
だからアニェスは祈るしかない。
「間に合わせろ、桔梗……!」
彼の苦しむ姿が、なによりも見たくはないものだから。
※
血の霧を抜けると、球状の空間が現れた。
中央には、夜へ溶けいるように佇む、マーカラ・カルスタインの姿が。
白磁のような頬と腕に、遠目でもわかるほどのひびが入り、
「いけない! 自己崩壊が始まっているじゃないか!」
肉体の全てを魔力で構成するカゲツミは、その欠乏により生命の危機に瀕する。
彼女は、今まさにその瀬戸際だ。
「ああなっても終末装束は解かないのね……」
「どうしてそこまでする必要があるんだ!」
叫ぶが、答えなど返りようもない。
バイクの道程はここで終わり。霧がなければ道を作れず、この先は車体に着色して飛び上がる必要がある。
だが、大きな問題が。
旭の能力は、ベクトルを強化減退させるもので、ベクトル自体を生み出すものではない。バイクに着色したところで、マーカラがいる方向にわずかでも動けなければ意味がないのだ。
「地上を出るときは、アニさん放り投げてもらったけど……」
「落ち着きなさい! 一旦霧の中に戻って、再加速すれば……!」
「間に合わないよ」
見上げる先では、影神がその身を削り続けている。
切迫する期限に間に合わせるには、
「……八頭っちゃん」
こちらの意図を悟った苦り顔の少女に頼るしかない。
旭は躊躇うように、
「……絶対に、生きて帰るのよ」
「もちろんさ。僕が約束を破ったことなんかあったかい?」
「すぐばれる嘘はやめなさい」
呆れながらも、握る筆先へ薄めた青を滲ませてくれた。
※
「頼む! 引き続き海岸沿いを頼んだぞ!」
春日荘の庭では、幾つもの電話呼び出しと、紙の擦れあう音、怒声に近い口頭指示が、ひっきりなしだ。
主は火のつかない煙草をくわえた瀬見内・颪であり、三枝は「一人の犠牲も出さない」という約束が履行されない状況になったときのために、長机を挟んで監視を続けている。
広げた地図に赤ペンで線を引きながら、鳴り続ける電話に手を。
「そっからなら商店街だ! そう! 奴ら、商店街でまた発見されてな!」
状況の確認と指示が瞬間で行われ、これを最後に、完全な沈黙が訪れる。ここまでの経験則から入って、長くても五分というところだろうが。
だから、三枝は閉ざしていた口を開く。
「戦況はどうだい?」
「良好だ。驚くほど良好だね」
地図を睨み続けていたまぶたを指で揉みほぐしながら、颪が「気は抜けないけど」と付け足してくる。
「退魔師だな。すげー強いんだな、退魔師って」
「まあ。現代日本じゃ、自衛隊以上に実践主義の武闘派集団だからね。それより、ここで電話を受けてるだけで、彼らを強いと言える君に驚いたよ」
「知っているからさ。俺も梗さんの仲間だからな、影罪の強度は知っている」
なるほど、と三枝は頷き、彼の手元に並ぶ地図に目を。
全部で三枚。
一つは町の全図、もう一つは新市街の市街図、残るは道が入り組んでいる旧市街の道路図。
どれにも赤いペンで「時刻・報告者」のマーキングが散りばめられており、当人にしか把握できない暗号図が出来上がっている。今から引き継げと言われても、三枝には自信がない。新規で立ち上げたほうが早いくらいだ。
が、それを扱いこなして目的を達しているのだから、少なくとも、眼帯の少年は寄せ集めにも近い味方の戦力を充分に把握しているということ。
「素直に感心するね」
「身内だからさ。半分以上が身内のおかげさ」
言いながら、少年が自分の体をまさぐり始めた。
何事かと眉をひそめて見ていたが、やがて口元のまっさらな煙草の存在に気がつき、
「ほどほどにね」
懐からライターを取りだし、火を差し出せば、未成年はばつが悪そうにしながらも大きく一服。
思った以上に様になっている。吸いはじめてしばらく経っているのは、間違いない。
ならそのきっかけは、と思い、問いに込める。
「裏方ってのは、やっぱりきついかい?」
「ん?」
「元はレーサーで、周りは武闘派だ。動けない自分を、もどかしく思ったりしないのかと思ってね」
精神的負担が、煙草を求めているのかとも思ったのだが。
けれど、当の颪はきょとんとして、
「三枝さん。おかしなことを聞くんだな、三枝さんは」
灰皿に煙草をぶつけながら、首をかしげてみせた。
「俺は喧嘩が弱い。目がこれだから、公道を走るのもよほどの時だ。人にはできるできないがあるもんだろ?」
正論だ
けれど、満十八歳が声を震わせずに告げるような言葉ではない。
驚きに固まっていると、
「誰もいないしな、大体。今、これをできるのは俺しかいない。アコとユッカじゃバイクの機動力をしらねぇし、他の連中は、戦況の確認ができねぇ。事によっちゃ、地図を見れない奴もいるくらいだ」
自分には出来ないことが多いからと、隻眼の少年は笑う。
諦観かとも思ったが、
……汀・桔梗の友人だからね。
だとすれば、
「あの中じゃ、君が一番、世の中に必要な人間だなあ」
これが素直な感想。
応じる颪は驚きを持て余して、煙草の尻を噛みながら、
「……否定できねぇのが、なんとも」
これ以上ない苦笑いで、言葉を濁す。
と、彼を庇うように、沈黙を守っていた電話たちが一斉に声をあげた。
少年は了解のため、青年は了承のために肩をすくめ、二人はそれぞれのスタンスに立ち返っていく。
てんてこ舞いになる颪を見つめながら、自分も煙草をくわえて三枝は思う。
少年が待っているのは、最後の吉報だ。
……なら、自分は?
何を待っているのだろう。
三枝は、口からこぼれたくだらない白煙が空の赤霧へ混ざるさまを、ただじっと見つめ続けていた。
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