4:「ぼく」は目一杯に手をのばす

 霞がかかる月下。


 人気のないビジネス街に、風を切る異音が奔る。

 水を叩くような鈍い音を断末魔とし、黒い塊がぐずぐずと夜に溶けていき、残るのはひしゃげてしまった一本の矢。


「快調だな、ん」


 ボクサーが跨るスポーツバイクを荒々しく咆えさせ、一気に戦線を離れさせる。タンデムの夕霞は彼の腰に片腕を回し、空いた手で愛弓を取り回すので精一杯。


「このペースだと矢が足りないかも……」


 免許を持つ阿古屋が運転役で、タンデムから動かず狙撃を繰り返す「流鏑馬スタイル」でここまで三匹の影罪を葬ってきた。使用した矢は十本だが、どれも貫通後にコンクリートを打ってしまい、軸が歪んで再利用は不可能。

 残る矢は三本だけ。


「じゃあ取りにいくか」


 道すがらのもう一匹くらいなら、どうにかなるだろう。バイクは大通りに飛び出し、旧市街に向かって南下を開始。

 キャップ型のメットからウエーブの強い髪を溢れさせながら、叩きつけるような向かい風に目を細める。視界の中であっという間に変わっていく風景に、乗り物の速度を実感。


「けど、颪くんの家にあった万年ブルーシートのバイクが、身内のものだったなんて、思いもしませんでしたよ」


 阿古屋が駆る二輪は颪が用意したもので、同型のものにアニェスと雪もまたがって同じく街をめぐっているはずである。


「三年くらい前に、颪が桔さんのバイクを用意してるって聞いたアニェスが、即金で買いやがったんだよ。二台も」

「アニェスさんが?」

「騎士が主より足が遅くてどうする、って言ってな」


 彼女らしい、と夕霞は微笑む。


「レーサーの夢を諦めた颪に、バイクが好きなことを思い出させてくれたのが梗さんらしくてな。で、ああなっちまった梗さんに最高の足をってんで、ずっと作ってたんだと、ん」

「へぇ、素敵な……っ⁉」


 夕霞の言葉を遮った爆音が、寂しいオフィス街を駆け巡る。


「通り一つ向こうだな……退魔師か、ん?」

「バイクの音じゃありませんから、多分」

「あんなにうるせぇと、暴走族の立場ねぇなあ」


 はは、と笑いあうと、胸ポケットの携帯電話が着信を。

 姿勢を直しながら引っ張り出せば、ディスプレイには颪の名前。


「もしも――」

『どこだ⁉ お前ら、今、どこにいる⁉』

「⁉」


 緊が張り詰める声は、冗談を許すものではない。巡る、悪い予感に背が震える。


「新市街から家に向かってる途中ですよ?」

『ちょうどいい! その辺で新人の退魔師が下手しやがった!』


 やはり。

 深呼吸して左手の弓を握りなおすと、体を預けている幼馴染が緊張に気がつき、諌めるように首を横に。


「無理だ、ユッカ。もう矢が少ない、ん」


 わかっている。

 阿古屋では影罪に対抗できず、自分も矢尽きれば無力なただの少女だ。

 だから一刻も早く自宅か学校の部室に向かい、補給する必要がある。

 あるのだが、


「颪くん、詳しい場所をお願いします」

「ユッカ!」

『助かる! 県道沿いのスポーツジムがある交差点を、海に向かってくれ!』


 電話の向こうで電子音が幾つも聞こえ、直後に通話が切断。

 夕霞は運転手の肩を強く掴み、


「誰一人の犠牲も、許されませんから」


 目頭を、覚悟に強める。

 背を向ける阿古屋には見えているわけがない。だが、意を見たように、速度を落とすと中央分離帯の隙間からUターン。


 ……ああ、やはり幼馴染ですね。


 言葉はなくとも、目は見れなくと、譲れない物を共有できている。

 自分は幸せだ。

 彼らがいてくれて。

 彼らと出会わせてくれた、彼がいてくれて。

 だから、祈るように願うように、


「ちゃんと帰ってきてくださいね……」


 血霧渦巻く頭上を、見据える。

 桔梗が、大切な人を救うべく駈けているはずの、美柳の夜空を。


      ※


「うわー! 美柳って、こんなにきれいなんだね!」


 純白の翼を広げるクルーザータイプの単車が、月へ向かってはばたいていた。

 一打ちごとに高度を上げ、すでに美柳の町並みを一望するに至っている。

 巨大なネクストドアー社屋ビルを中心に、夜闇とグラデーションを描くよう広がる夜景に、


「ほら、八頭っちゃん! 見てごらん、綺麗だよ!」

「くく! 嫌がる美少女に無理矢理見せつけて大興奮なの⁉ 度し難い変態ね! 素敵すぎるわ!」


 しかし、タンデムの旭はこちらの背中に顔を埋めて震えているから、桔梗は一人で楽しむしかなかった。

 彼らを乗せたバイクは、風を切る音がやかましいくらいの速さで、上空1500mを目指している。

 当初は、旭の能力で描かれた翼によって一息に目標へ至る予定であった。しかし、維持し続けるには彼女の魔力残量が怪しかったため、着色可能であることが確認されている血霧より先は負担の少ない単純な線で凌ぐことに。

 とはいえ、この作戦には大きな不安要素があり、旭の声が低いのもそのせいだ。


「あの霧、戦闘機ですら侵入を拒んだのよ? 勝機はあるの?」

「んー……例えばさ」

「なに?」

「アニさんが、年末年始の商店街で人混みに紛れたとするでしょ? 八頭っちゃん、すぐに見つけだせるかい?」

「あたりまえよ。影摘みと隷は、現代科学では証明できないけれど、魔力で物理結合して……なるほどね」


 こちらの言いたいことを察したようだ。


「さすがにマーさんも、僕だとわかれば無体な真似もできないでしょ、きっと」

「だといいわね」

「うん」


 桔梗には確信がある。

 けれど、魔力と同じで証明の手段はない。

 だから控え目に頷くだけ。

 と、目下に中層程度のマンションの明かりを見つけ、


「あ、ほら。あのマンションに、両親がいるんだ」

「ダメよ、梗さん! 私は下なんか見ない女なの! 上よ! 上にしか興味はないわ!」


 両親のことは、近所で親交のあった阿古屋と夕霞は当然詳しいが、旭はほとんど面識がない。

 しかし、母親のヒステリーによって荒れ果てていた自宅を最初に見たのは、居候を決めて訪れたアニェスと旭の二人である。

 特に旭は、自身も親と不和関係にあったせいもあって、ひどく気を遣わせてしまった。

 だから、桔梗の胸の内をよく知っており、


「見るのは、梗さんがちゃんと両親を救えるようになってからにしなさい」


 静かに吐息を混ぜるから、顔を押しつけられているシャツが温かく湿ってしまう。

 こちらの傷をよく知ってくれている年下の同級生に、感謝はしきれない。


「……ありがとう」

「何のお礼? 私は何もしてないわよ」

「でも」

「私はまだ、一つも梗さんに恩を返させてもらってないの」

「恩?」

「小等部のコンクールのこと、家に転がり込ませてもらったこと、そしてアニと出会わせてくれたこと」

「どれも大したことじゃないよ」

「バカね。それは私が決めることよ」


 傲慢で、口調が厳しく、おっぱいが大好きな後輩は、しばしば周囲に誤解を与える。本人が枝葉を切ることをしないから、翳りは大きくなる一方で。

 けれど、桔梗は知っているから。

 彼女は、誠実で真剣で全力で、そしてとても「良い子」であることを。

 旭はこちらの湿る背を、


「だから、黙って見てなさい」


 常にない静かな声で振るわせてくれた。

 見上げれば、すでに血霧は目前に。

 背後で少女がもぞりと動くと、視界の脇を絵筆が柄を伸ばしていく。

 肩を乗り越えてきた不遜な少女の頬が、に、と笑み、


「とっととあの女のところに連れて行ってあげるんだから!」

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