3:「誰も」が誰もと繋がりたくて

 美柳の夜空は、大都会に比べれば明るく深い。

 有名どころの星座くらいなら、苦もなく観察できるほど。

 しかし、今夜は違う。いくら見上げようとも目を凝らそうとも、霞がかかったように空の輪郭を怪しくしている。

 春霞のようだが、その正体は、


「血の霧か」


 木積は苦く呟けば、同じく、古アパート玄関のステップに腰を下ろして空を見上げている若い上司へ歩み寄り、


「ダメだ。接近できりゃどうにでもなるんだがなあ」

「聞いたっす。霧に入った途端、大斧で機首が真っ二つですって?」

 お疲れ様ですと頭を下げながら煙草に朱を点すので、木積は肩を落とす。


「笑い事じゃねぇぞ。実際、どうすんだ?」

 内閣特別調査室では手詰まりに近い。

 木積では目標に至れず、三枝では目標に勝てないのだから。


「参ったすね」

「それだけか?」

「これ以上、何を言えばいいんすか」

「だよなあ」


 大人二人は笑いあい、それから深くため息。

 高水準の解決能力を以ってしても、どうにもならない事案が存在することなど、とうの昔に悟っている。

 だから、やかましいほどのテンションで準備にいそしむ子供たちに目を向けてしまうのだ。

 自分たちとは違うアプローチを考えているに違いない。おそらくは、彼らの中心にいる汀・桔梗を軸とした一点突破。

 と、彼を見つめる三枝の表情に気がつく。

 柔らかくも硬くもあり、笑んでいるようでしかし悲哀がある。なんとも言いがたいが、一言で表すなら、


「毒気を抜かれたな」

「え? ……ああ」

 目を丸くした青年はすぐに相好を崩し、まいったな、と頬を撫で上げながら、

「梗さんのことが嫌いな理由、わかったからっすかね」

「へぇ」

 相槌で続きを促せば、言葉を選ぶように逡巡。

 煙草をたっぷり一口味わうほどの間をおいて、穏やかに言葉紡ぐ。


「例えば、明日にでも神様が降ってきて「独断と偏見で救う人間を選ぶよ。それ以外は死あるのみ」とかのたまったとするじゃないっすか。

 そんな状況で、木積さんは、自分のこと救われる人間だと思います?」

「ああ? 必要ねーだろ。神様ぶん殴っておしまいだ」

「そうっすよね。俺もなんすよ」

「は。文字通り、救いようがねぇ」

「でも、彼は違う。必要無いって言っても、強引無差別に救いにくるんすよ。「お前ら全員救われなきゃダメだ!」って」

「なんだか、さっきの神様より傲慢な奴だな。嫌いな理由がわかるわ」

「でしょ?」


 頬杖をつくと、白い煙に沈むように目を細める。


「好きになれそうか?」

 だから木積は問いかけ、

「無理っすよ。多分、ずっと」

 楽しげに語る彼に、

「そうかい」

 ゆっくりと笑みを返す。


      ※


「これがクラッチ」

「クラッチ⁉ つまり結合⁉ 結合しちゃうの⁉」

「跨っちゃうわ結合しちゃうわ、なんていやらしい乗り物なんだ!」

「うるせぇ! いいからギア変えてみろ!」


 庭隅で開かれている颪によるバイク運転講習会は嫌になるほど大盛況で、古い付き合いの阿古屋でもちょっと引いてしまうくらい。

 周りも同じらしく、


「梗くん、大丈夫ですか?」

「旭の魔力が足りてねぇんだから仕方ねぇよ、ん」


 当初、上空のマーカラまでは彼女の能力で至る予定であった。しかし、思いのほか疲労がひどかったため、次善策を取ることになった。

 着色が可能であることを確認してある血霧より先を、颪が用意したバイクによって突破する。


「ツギハギだらけの計画だよ、ん」

「ですね……けど、颪くんの家にあった万年ブルーシートのバイクが、身内のものだったなんて」


 バイクは、計三台。二つがスポーツタイプの中型で、桔梗の元にあるのが中型のアメリカンタイプだ。

 黒いボディの車体に手をつきながら、


「こっち二台は二年前にな、ん。颪が桔さんのバイクを用意してるって聞いたアニェスが、即金で買いやがったんだよ」

「アニェスさんが?」

「騎士が主より足が遅くてどうする、って言ってな」


 彼女らしい、と夕霞は微笑む。


「向こうの一台は? 颪くんが梗くんに用意したものなんですよね?」

「レーサーの夢を諦めたあいつに、バイクが好きなことを思い出させてくれたのが梗さんらしくて。で、ああなっちまった梗さんに最高の足を、ってな」


 なるほど、と少女は穏やかに目を伏し、

「だから颪くん、あんなに楽しそうなんですね」

 いや、まあ、はしゃぎすぎた二人を制裁のダブルアイアンクローで半泣きに追い込んでいるのが楽しいというなら、その通りなんだろうが。


「おい。お前ら、話聞いてるのか?」


 暖かい目で向こう阿鼻叫喚を眺めていた二人の年長者に、機嫌を損ねた固い声が。

 見れば、雪が腕を組んで睨みつけているから、阿古屋は慌てて、問題のないことをアピール。


「バイクの班分けだろ? ちゃんと聞いてるよ」


 生徒会メンバーが保有する交通手段は、颪が用意した三台のみ。うち一台は、桔梗と旭が使用するから、残りは二台。

 その上で、運転が可能なのは、免許を持つ阿古屋と影積みであるアニェスのみ。颪はリベッツ・イーターとの連携のためここに残るので、自然、どちらがどちらのタンデムに跨るかを決めることに。


「アコは、俺とユッカ、どっちがいい?」

「どっちを背中で感じるか、ってことだろ? しかも、選べる……俺、今、すげーハッピーじゃね?」

「木積に殴られすぎて脳がイカれたか……」

「梗くんと八頭っちゃんがいないと、アコは一躍変態ランカーになりますね」

「せ、青少年の健全な発想だろ、ん⁉」

「じゃあナナちゃん、じゃんけんで負けたほうで」

「これは……負けられんな……!」

「あれ⁉ 選択権剥奪⁉ ん⁉」


 心を抉る行為に移行した女子二人に背を向ければ、霞む月明かりの下に近づく人影を認めた。

 軽いながら、しっかりと地を蹴る足取りで、


「そろそろ動かないと、まずいんじゃない?」


 頬を緩めた三枝が片手を上げてきた。

 こちらも、肩をすくめて、


「後はあいつの号令待ちっすね」

 立てた親指の向こうでは、中型バイクを吹かす桔梗がきょとんと、

「え? そうだったのぎゃあああ⁉」

 颪のアイアンクローが悲鳴を搾り取った。


 だから代わりに、

「じゃ、ま、期待して待っててくださいよ」

「無理言うな。何か起きないか、目を見張ってなきゃならない」


 まあ頼むよ、と肩を叩かれる。

 そのあまりの険のなさに、驚き感心もする。

 ぶつかりあった直後にありながら、利害が一致したならスタンスの間口を大きく広げるのだから。


 ……大人は違うなあ。

 成すべくを成すために、手段など選ばないのだ。

 そう思えば、引き締まる

 失敗は、なおさら許されなくなったわけなのだから。

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