2:「彼ら」の「故に」
会議用に広げていたテントへ少女に肩を貸されながら現れた青白い顔の少年に、三枝は唖然となった。
確かに、弾痕と影神に貫かれた傷は完全に塞ぎ、砕けた骨や潰れた内臓も復元してある。
だが、体力の低下は免れぬはずだし、血液だって足りていないはずだ。
「なにしにきやがった、ん!」
だから、阿古屋の怒声にはまるっきりの賛成。
「立てるのか⁉ しばらく安静だって聞いたけど、立てるのか⁉」
「梗くん、寝てないとダメですよ!」
面々の驚きと非難の声に、しかし青白い頬で笑うと、
「はは。寝ていたら、何もかもが救われるのかい? 掴むべきものへ、手が届くのかい?」
全員が「それはしかし……」という顔で押し黙ると、桔梗は追い討ちをかけてくる。
「具体的には、マーさんのおっぱいにだね」
一秒、たっぷりの間を置いて、
「トオル、そこのドライバーをよこせ」
「くく! さすがね、梗さん! 蘇った第一声がおっぱいなんて! ドン引きよ!」
「人は死にかけると悟りを開くって言いますけど、梗くんはダメなんですかねぇ……」
「な、なんだいなんだい! 湿った空気を入れ替えようと冗談を言えば、この様だよ! ああ、わかったよ! 期待通りに揉んでみせるよ! 忘れるな! 君らの無責任な中傷が、本物の犯罪者を産み落としたんだ!」
「ナナ! 離れろ、ナナ! 梗さんの正気度はもうゼロだ!」
……なんで、そんなに元気なんだ?
なんとか自立をしている程度の状態だというのに、全力で喚きたてているさまには、傷を負わせたという罪悪感が薄れさせられてしまう。
影神の一撃から、敵対していたこちらを庇って傷を負った。そうすべき客観的な理由はなく、手段を多く抱える自分が被害者であったほうが、トータルの損害は少なかったはずである。
なぜ彼は、戦場に身を晒し、体を削るのか。
何も持っていないと自覚するなら、おとなしく守られていればいいのに。
そうして戦うのは自分の役目なのだから。
誰にも恃めず。
誰にも代われず。
「三枝さん」
不意に名を呼ばれ、手元の煙草が灰を零した。
顔を上げれば、笑う桔梗が、危なっかしい足取りで近づき、長テーブルに両手をついて向き合った。
さて、何を言うつもりなのか。
彼の性格を見るに「手伝わしてくれ」いや「マーカラを助けにいく」かもしれない。
どちらにしろ状況はこちらが主導だ。三枝は、大きく構えて待つだけ。
が、意を伝えるために息を吸った少年は、
「僕たちに任せてみませんか?」
真正面から乱暴な切り込みかたを見せてきた。
※
現在、終末装束状態を維持した影神マーカラ・カルスタインは、上空1500mの地点で停止し、美柳へ向けて影罪を断続的に投下している。
上昇の際、木積の一撃を受けてその魔力に大幅な損耗を被ったと見られるため、自発降下の可能性は極端に低い。
加えて血霧を展開しており、視認及び接近が非常に困難な状況だ。
「実際、つい一時間ほど前に、戦闘機で木積さんを送り込もうとしたんだけど、あえなく撃墜」
地上では陸上自衛隊による散発的な対影罪活動が展開しており、膠着状態にある。
正直なところ、三枝でも手詰まりに近い。
高度1500mへの到達。
変幻自在である血霧の突破。
影神への勝利。
無数の影罪への対応。
これらの難問、全てをクリアしなければならないのだから。
「この状況を子供に任せろ、だって?」
正気を疑うあまり、声に険が寄ってしまう。
が、桔梗は意に介さず、白い頬に笑みを浮かべたまま。
彼が諦めないことを、三枝は知っている。
だから、勝負から降りさせるために、厳しい手を見せなければならない。
「こっちの戦力は目一杯だし、誰一人の犠牲も許さないよ?」
……さて、彼はどう答える?
叶うわけがない条件だ。降りざるをえないだろう、と感慨のない瞳で煙草に口をつけ、笑む少年の言葉を待つ。
「そいつが叶うなら、俺らが主導していいんすね、ん?」
応えたのは、意外にも彼の幼馴染だった。
「ああ、もちろん、アコ君。こっちこそ頼みたいくらいだ。けどね……」
「こいつはそれを望んでる。だったら俺らは、いくらでも手を打ってやるだけっすよ、ん?」
「口を動かすだけなら誰にでもできるよ。示すべきは、成功への算段だ。違うかい?」
面倒臭げに言い放つ。
実行力のない子供には、致命となる一言だ。これで折れてくれるだろうと息をつくと、少年は満面の笑顔で、自らの背後を指差してみせる。
訝りながらも覗き込めば、営業スマイルの夕霞が携帯電話へ明るい声を。
「いつもお世話になっておりますー、凍沢葬儀店の夕霞ですー、いえいえこちらこそ! 時富さんにはいろいろお世話になっておりますからー、はい!」
「時富? 時富石材さん?」
超常存在との戦闘に明け暮れる三枝にとって、そのブランドは退魔師組合として位置づけられているが、名が示すとおり老舗の石屋である。墓石が主流商品である石材店が、葬儀屋の跡取りと面識があっても不思議でなく、
「で、突然で申し訳ないんですが、すぐに退魔師さんを紹介してもらいたいんですよー」
その跡取りが「社会のこちら側」を知っているのなら、裏の顔にパイプがあっても不思議ではない。
不思議ではないが、
「いやいやいや! え⁉ ちょ、え⁉ あれ⁉ 自分たちの力で解決する、とかそういう流れじゃなかった⁉ いきなり外注⁉」
なんて無茶な!
が、そんな驚きを追い討つように、
「いくらでも手を打つって言ったっすよね? ほら、あっちも」
「パパ⁉ そうよ、あんたの娘よ! うっさい、家には帰んないわよ! そうじゃなくて、今日は外出しちゃダメよ! 理由⁉ いいから言うこと聞いときなさい! あー、あとあの脂臭い友人連中……警察署長と町議員だっけ⁉ あいつらにも伝えときなさい!」
「暇か? 暴走族ってのは、走ってないと暇だろ? ああ? 聞こえてるよ、走ってるんだろ? はは……! いや、ちょうどいい、ちょっと手伝ってくんねーか?」
「……おいおいおい」
旭の相手は父親であり町の名士である八頭・龍で、颪のそれは内容から察するにおそらく暴走族であるリベッツ・イーターのメンバーだ。
子供に何ができるものかとたかを括っていたのだが、事態は三枝の予想を一回り膨らんで推移し始めている。
「八頭っちゃん! 予算はどの程度ですか⁉」
「領収書切れるの⁉ 切れないなら300万ね!」
「うわ! 貯金、ほぼ全部じゃありません⁉ 回収できます⁉」
「先行投資よ! ここで成功すれば、スポンサーがつくかもでしょ!」
「ごめんなさい、使わせてもらいます! もしもしー、お待たせしましたー、では先ほどの金額で十人ほど……え? 新人さんが三名ですか? 影罪に負けない程度なら構いませんけど……あー、なら十人で240ならどうです?」
退魔師十人、影摘みと隷が一組、影罪を打ち抜く拳を持つ空手家、探索に十人単位の暴走族。
面を制圧していくには十分だ。
無理難題のつもりでいた「一人の被害も出さない」という条件が、現実味を増しつつあり、
「無茶苦茶な……」
「おし! じゃあ、詰めるぞ、ん!」
唖然と呟く先で、坊主頭のボクサーが手を打って集合をかければ、それぞれが収穫を報告し、颪がメモ帳に全てを書き留めていく。
誰一人として失敗するなどと思ってもいない、自信に満ちた表情を突き合わす姿は、まさに全力疾走。
無理だろうとスタンスを広げていた三枝には、不本意だがもう追いつけない速度だ。
子供たちの熱量に巻き込まれていれば、
「うまくいけば、三枝さんも少しは休めるでしょ?」
「そうなるように、願っているよ」
彼らの無力な親分に笑いかけられ、青年は苦笑に頬を緩ませるしかなかった。
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