7:円
やはり円を刻み、左を突いて優位を得ようと立ち回る阿古屋だったが、
「っ⁉」
打ちのめすために伸びる中段の回し蹴りが、その軌道を塞いだ。
これまでの一撃攻勢にはない、ダメージを重ねることを目的とした、細かな選択だ。
即座に腹筋を締めて肘を割り入れるが、抜ける衝撃はハンマーを振り下ろしたごとく。
……腕、もつか⁉
最強の男‘あの’木積・剛を相手に、間断などない。常に緊張が最大限に張りつめ、弛緩など許されない。
もはや打突のための筋肉は限界にある。
この上、受け手で損耗するとなれば不利大だ。
いずれ、腕の上げている悲鳴は断末魔に変わるだろう。
……本気になられちゃ、ピン勝負じゃ分が悪いな、ん!
噴き出した多量の汗を撒き散らしながら、痺れる肘を引きつけ、なんとかスタンスを戻してステップバック。
が、
「遅ぇな、阿古屋!」
「っ⁉」
空手家は伸ばしたミドルを戻さずに、そのままつま先を地に刺した。
前傾になった巨躯は、右構えを左へスイッチしながら一瞬で距離を殺すと、遠心力に乗せて逆足での回し蹴りを。
狙うのは、疲労で腕が上がらなくなった、がら空きの側頭部。
昨日にはこちらの意識を刈り取った技であるが、
……間に合わないだろ、これ⁉
切る風の音がまったく違う。
速度ではなく、威力を。
少年が思い浮かべたのは、自分の頭だけが消し飛ぶ映像だった。我ながら大袈裟だ、と胸中で苦笑いするも、真実の片鱗が混じりこむからやるせない。
阿古屋は悟っている。
すでに、木積はこちらを殺すつもりで向かっている。実戦に身を置き勝利を求める戦闘狂の全力とは、そういうことだ。
だから、側頭部に迫るのは、死。
……きびしいな、ん!
すでに切れる札はない。スタミナも、疲労度も、何もかも。
だから黒い覚悟に歯を食いしばれば、
「南無三!」
背後で、幼馴染が意を決した。
直後、木積の厚い肩が射抜かれ、
「撃ちやがった⁉」
威力に姿勢が崩れ、威力を編みあげたハイキックが空中分解。
「大丈夫ですか、アコ!」
「助かった! けど、滅茶苦茶すんな!」
「無茶でも、ですよ! もう目の前で友人が倒れるところを見たくなんかありませんから!」
「俺だって、お前を人殺しになんかしたくねぇよ!」
夕霞からの反論がないのは、耳を貸さないという意思表示だろう。だから、頑なさには呆れを、その覚悟には礼を。
射られた男は、すぐに姿勢を取り戻し、腰を落としてみせた。
隙は間違いなくあったが、呼吸を整える阿古屋が攻め込むには些細に過ぎた。
矢が立つ肩が膨らめば、やはり死をはらむ正拳。
「動け、アコ!」
今度は、サイドから雪の細い手が。
相手の伸びかけた腕を、横から流すように押しやれば、
「っ⁉」
伸びる頃には威力の分だけ、木積の体が大きく流れていた。
なれば、阿古屋が握る拳の進路を塞ぐは片手だけで、それも雪が体を預けて止める。
突きだされた顔面へ、少女の頭越しに、フック気味の真っすぐを振り抜く。
しかし、
「ヘッドスリップ⁉」
首が捻られ、拳は孤を裂き、返る手応えはない。
かすめた頬が、に、と筋肉を笑みに盛り上げて、
「楽しいなあ」
突然の言葉に、阿古屋も笑んで、
「そりゃよかった」
少女二人が「よくない! 殺されそうになってるんだよ!」と抗議するが、あえて無視していれば、
「全力で喧嘩できるってのは、いいことだ」
最強の人類は、熱を味わうよう、大きく長い吐息を見せた。
木積は、確かに全力を振るうことを規制されてきた。阿古屋が聞いた噂では、フルパワーだと地球が割れるらしいから、仕方がないとも思える。
だが、魔力というエネルギーが働かない今の彼は、人という規格に押し込められている。
威力も。
速度も。
強度も。
スタミナも。
だから、いくら全力を振るおうとも、阿古屋の命を脅かす程度に収めてしまえるから、
「楽しいな」
「ぐっ⁉」
男は笑い、極至近の敵を突き離そうと鋭く前蹴り。
受ける少年は、みぞおちにめり込むつま先に口から空気が漏らし、崩れるように五歩を後退する。
そこは、正拳の適正距離。腰はためを生みだし、前進を以て死を込め放たれる。
対し、阿古屋は大きく姿勢を崩していて、受けることすら難しい。
しかし、彼はうろたえない。
一対一で勝てないことはわかっていた。
信じるだけだ。
だから、うろたえない。
「動けと言ってるだろ、バカヤロウ!」
息が詰まって胃液を口端からこぼす阿古屋を叱りつけながら、雪がその細い腕を回して、木積の拳を巻き取るように捌ききる。
一撃はいなしたが、しかし二撃のための前進は止まらない。
「これで決めてください!」
それを止めたのは、夕霞の二射目。
「ぐぐぐぐががああああぁ!」
肉を裂く異音がしたと思えば、肩に突き立つ矢が二本に。
歯を剥いて吠える木積は、威力に圧されて上体が浮く。
完全な停止。
完全な無防備。
詰んだ、と阿古屋が息を吐けば、相手も悟ったらしく、
「久しぶりに負けるな、こりゃ!」
深く深く、瞳を細める。
少年は頷き、渾身の右ストレートを閃かせた。
拳は浮いた顎を抉り、その揺れをダイレクトに伝えてくれるから、
「ま、三体一じゃ勝った気はしないっすけどね!」
迷いようもなく、この手に勝利が握られたことを自覚。
肯うよう、紺に塗りつくされた空の下、最強を背負う巨躯が音を立てて崩れ落ちた。
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