6:慟哭天衝

 右ストレートが、すんなりと顎を刺した。

 阿古屋は裸拳に響く頭蓋の揺れを確かめながら、げんなりと、


 ……高校レベルなら、勝負が決まる一撃なんだがな。


 相手の回復力を知っている。先刻も、首から上を千切り飛ばさん勢いで突きを繰り出してきたくらいだ。

 だが、驚くほどあっさり巨体が流れ、


「……なんだ⁉」


 振りぬいた右を引き戻せば、木積は腰を落として、こちらと同じ程度ほどの驚きを口に。

 笑っている膝を見て、阿古屋は理解する。


 ……超回復が機能しない!


 つまり、

「魔力が機能していないのか、ん⁉」

 木積を超人となさしめる根源が、停止しているということだ。


「機会は今か?」


 並び立つ雪が、事態を察して声音を強く。

 さすが、と阿古屋は思う。この少女は、おそらく相手に生じた現象の半分も理解していないはずだというのに、勝機は見逃さずその嗅覚は正確だ。


「そうだな、ん! 全力で叩き込め! 今の木積さんはたかだか、最強の人間だ!」


 肉体強度を上げることも、無尽蔵にタフネスを消費することも、途切れた意識を強引に繫ぎ直すこともできない。

 挙句、ダメージが残る体だ。

 それでも、空手家は震える膝を強引にたてなおすと、迎撃のために踏み出し、


「生意気な――っく⁉」


 地を抉る矢に、前進を阻まれた。

 それはそうだ、と阿古屋は頷く。鏃を意に介さないということは、突きつけられた銃口を無視するのと一緒だ。


「撃て、ユッカ! トドメを刺せ、ん! そして最強の称号を!」

「今は、ほんとでシャレになりません!」


 それも当然。阿古屋も、友人を人殺しになどしたくはない。

 背の援護は、ハンデのようなもの。直の決着は、この手で決めなければならない。

 だから、鋭くステップインしながら、ストレートをやはり顎へ。

 一足早く、雪の横蹴りが放たれるが、やはり体重差は覆せず、衝撃に動きを止めるだけ。

 が、拳を届かせるには十分。

 会心の手応えとともに、骨が鈍く鳴った。

 巨体が、大きく傾く。

 靴底を鳴らしながらブレーキすれば、


「……やったか⁉」

 雪が汗を拭いながら問うてくる。そうならいいと少年も思うのだが、

「……な……」

 うめき、スタンスを広げながら上体が回された。


 強引な転倒回避に、息を荒くする阿古屋は大きく首を垂らすと、


「な、めんなぁぁぁあぁぁぁっ!」


 男の、空を裂かんばかりの咆哮を聞いた。

 呼吸を呑むように整える少年の頭上で、圧力が大気を振るわせていく。

 おそらくは、辿り着いた桔梗が魔力自体を封じてくれたのだろう。

 なら、自分たちの仕事は、この手札で勝利を掴むこと。

 ぐ、と体を起こせば、まっすぐに立った木積・剛がそこにいる。

 ただ、これまでのように、頬に笑みはない。

 眉間に幾本の縦しわを刻み、噛み締めた犬歯を剥きだしに。

 垂れ流れるこれまでにない敵意と殺気が、こちらの背を舐めていく。

 吹きでる冷たい汗に、


「これがようやくの本気だな、ん?」


 しかし阿古屋は笑み、拳を固めてみせた。


      ※


「魔力流動を拒否する……この類の結界は、机上では不可能とされてきたんだ」

「机上では?」

「そうさ、梗さん。実際、君が振るってしまったからね」


 魔力を自由に振るう他種に比べ、人類は弱い。故に連綿と、技術を磨いては遺してきたのだ。

 多様な結界術も、その一つである。

 指定空間を対象領域に放り込む大技から、耳無し芳一にある個体隠匿のような些細なものまで含めれば、現代の魔術師である三枝も全てを把握しているとは言い難い。

 そんな多岐にわたるバリエーションだが、魔力拒否型はあっても魔力流動を拒否するものはないのだ。


「魔力流動を拒否した場合、最初になにが起きると思う?」

「魔力が使えなくなるんでしょう。僕でもわかりますよ、バカにしないでください!」

「おしい」

「ええ⁉」

「維持だろ? その結界をどうやって維持するか、だ」

「さすがだね、颪君は」


 結界は術式のため維持に魔力を要するのだが、流動を拒否されていては用いることができない。


「この矛盾が解けない以上、理論構築自体が不可能なのさ」

「けれど、おかしくないか? それは術者が結界内部にいる場合だろ? 外側から結界を構築できれば、解決する話だ」

「理屈のわからない、穴のだらけの技術を使えって? 俺はやだよ。それに、もっと大きな矛盾もある。人だと気づきにくいかな? カゲツミの二人ならどう?」

「是だ。‘ラブマスター’のくせに穴が嫌い。大きな矛盾だ」

「このタイミングで下ネタ⁉ 三枝・和也、とんでもない男ね……見直したわ!」

「……必要以上に、俺の品性を貶めないで欲しいんだけど」


 ギャーギャーと喚く小さな人から目を背ければ、思案顔の影神に。

 視線に気付いた彼女は、くす、と笑んで、


「私たちのほうがわかるというなら、きっと、魔力の自然摩耗のことね」

「大正解」


 魔力体であるカゲツミの肉体を支えるのは、魔力だ。

 しかし、地球上は魔力過疎地域であり、故に影罪は喰らい、影摘みは隷を求める。


「魔力流動がないのであれば、維持のための消耗はなくなるだろう? そして、内部から結界を保持できるのであれば……もうわかる?」

「無限の命ね」


 魔力流動を拒否する結界をその内側から維持できたなら、そこに継続的な魔力は必要ではなくなる。その内部では、魔力の自然摩耗がないため、永遠の存在となりうる。


「人も一緒だよ? 肉体的な新陳代謝は生じるから、完璧な無限とは言えないけれど」

 そして、ここからが本題だ。


「完全な魔力体が、これまで呼吸をするように魔力を振るってきた者が、その全てを封じられたならどうなるのかな?」


 あらゆる挙動が鈍り、知覚が低下しているはずだ。

 仲間の人間たちが慄然し、白銀と黒のカゲツミ二人は不利を自覚し喉を鳴らせば、


「ラッキーだ。アスリートが全員、木積さんに向かってくれてるんだから」


 三枝は迷いなく指を閃かせ、ショルダーホルスターから銃を。

 誰も、その速度には反応できない。夜風に頬をくすぐられて、ようやく事態を理解したようだ。


 ……遅いねぇ。


 前髪を躍らせて、桔梗を庇うように立つ金髪の女へ銃口を。

「魔力がなければ、まあ、なんとかなるんじゃない?」

 即応したのは、颪。


「解け! 梗さん、解除だ!」


 いい判断だ。

 が、


「え? どうやって?」

「「「なにー⁉」」」

「初めてなんて、そんなものだよ」


 技術として会得したのならともかく、だ。

 突然に器官が複数増えたようなもので、よほどの適性がなければ自由に操作など出来ようはずもない。旭のように、放出系ならオンオフがはっきりしている分だけ楽だろうが、矛盾を内包している常動型などという特例なのだから。


 ……ようやく勝てるね。色んな意味で、面倒な相手だった。


 一段落を確かめて、吐き捨てるような自嘲を。

 こぼすように吐息し、終わらせるために人差し指を、引く。

 火薬が叫び、鉛弾が風を切って、


「……え?」

「……マーさん!」


 被弾した二の腕が、ガラスのような音を立て、砕けて散った。

 流動を許されない魔力たちがスパンコールのように夜を輝かす。

 そして、人類の敵である影神は膝から崩れ落ちる。

 背後から、彼女を救うとのたまっていた少年が、言葉を事実にするべく腕を伸ばすが、


「……届くものか」

 銃声が響く。


「……間に合うものか」

 銃声が響く。


 ガラスを砕くような悲鳴が、巻き上がる。

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