2:胸が震えて止まらないから

 アパートの正面口で遭遇したIH王者は、最強の人類である木積に対し、やはり「左による制圧」を選択した。

 ブロック舗装された地面に靴底を滑らせながら、足捌きは鋭く円を描いていく。

 木積は牽制程度の威力に構わず全てを体で受けるから、風船が破裂するような打音の連続。


「なんだぁ、阿古屋! 工夫もなく、同じ手かよ!」

「前はこれでいいとこまでいったじゃないっすか! それに工夫もあるっすよ、ん!」


 死界へ逃げていく長躯を追うために体を回せば、逆の死界から脇腹に肘が刺さる。


「考えた結果が二人がかりか! 小悪党の発想だな!」


 衛星のように回る阿古屋の円周内にいるのは、七目・雪。

 動かず守らずのオープンスタンスで、全体重を乗せた打撃を放っていた。

 木積には軽い一撃だが、衝撃にわずか動きが鈍ることは避けられない。その瞬間の停滞を狙って、ボクサーの右ストレートが人体急所を狙ってくる。

 身長差とスタイルによるリーチ差を生かした連携だ。

 受け、避けるものの、手数の差に押される一方だ。

 だから、必死の彼と彼女に男は笑う。


「勝つ気できやがったな!」

「当たり前だ! お前にはわからせないといけないからな!」

「なにをだよ、雪!」

「強くなることの意義を! 俺が、梗さんに教えてもらったものだ!」

「なんだ、でかく出やがったぞ、この小娘は! 阿古屋、お前はどうなんだ!」

「俺は梗さんに言われたとおりっすよ、ん!」

「なにが!」

「あんたを救ってやる!」

 ……は?


 思わず動きが止まる。

 打突は構うことなく続くが、彼の驚きを取り払うには足らず。

 その虚を埋めるのは、木積自身の理解のみ。

 少年の言葉を染みるように呑み込むと、口角を喜に吊り上げて、


「……生意気だな!」

 吐き捨て、正拳を放った。


 死界を維持し続ける阿古屋を、確かに捕らえてはいない。定位置に張り付いている雪のせいで、速度感の差は広がる一方だ。

 しかし、木積にしてみれば一度目にしている事象であり、分析も十分。

 ステップと打撃のタイミングが、最短手順で構築されている。

 ゆえに、有効打数の効率は良いのだが、


「一本調子なんだよ!」

 死界からの右ストレートへ、上半身を捻りながらの右フックによるカウンター。


 正面に捉えられたボクサーは、慌ててダッキングを選択。

 体感速度の差から、間に合わないのは想定済み。

 そこで、残していた下半身を追従させ、膝へつなげた。

 少年はかがめた身で、視界に膝が迫るのを見つめているだろう。

 驚きか、混乱か、恐怖か。

 なにを思うものか木積には知る由もない。

 振りぬき、相手を吹っ飛ばすだけ。そうしたら、小柄な少女を吹っ飛ばして、一件落着だ。

 と、


「……っ⁉」


 眉間が貫かれた。

 驚き仰け反り、バランスを崩すから膝蹴りもキャンセル。


 ……なんだ⁉

 額に触れるが何事もなく、一秒遅れて背後の外壁に矢が突き立たる。

 射線の先には、こちらを見据える弓を構えた茶髪の少女が。

 木積は、今度こそ心底から驚く。


「一射入魂か!」

 弓は武であり、武とは相対者を打つ技術。矢に込める魂とはすなわち殺気だが、


 ……射らずに、これほどの殺気を放てるか!

 ただのフェイントではなく「射る覚悟」自体は本物。それも‘あの’木積を下がらせるほどの。

 そして、その隙は見逃されない。

 即応した雪の二連突きがレバーを叩き、踏み込んだ阿古屋の右ストレートが、


「躊躇のない射手に矢じりを向けられる気分はどうっすか!」

「ど、どういう意味ですか⁉ 人をトリガーハッピーみたいに言わないでください!」


 射手による説得力極小の抗議半ばで、顎を打ち抜いてきた。


      ※


 赤黒の矢が、音速の壁を砕いて大挙をなす。

 廻る視界に威力を捉える三枝・和也は、危機感に喉をひとつ鳴らしてさらに身を回した。

 宙を泳いでアパート二階の壁面へ水平に着地すれば、


「くらえ!」

「っ⁉」


 大剣を担ぎ上げた少女が、飛び上がり迫る。

 振り下ろされる斬撃には、屈みやり過ごすか飛び仕切り直すかの二択だ。三枝は相手が飛行能力を持たないことを考慮し、後者を。

 剣が纏う真空波に後ろ髪を数本持っていかれながら、宙を滑りいったところで振り返った。

 飛び上がってきた全身鎧の影摘みは重力に従って落下を開始しているはずであるが、


「なんだって⁉」


 中空に、破壊の一打が再度迫っていた。

 見れば、彼女の足は藍色の棒を踏みしめており、


「足場か!」

 間違いなく旭の能力だ。矢を作る要領で「遅」「重」を重ね塗りし、外部要因に左右されずゆっくりと落下する固形物を生み出したのだろう。

 やはり宙を滑って回避するが、彼女はなおも足場を蹴りとばしてくる。

 気づけば、即席の足場は宙にとどまる三枝を囲んでおり、


「くく! これでどうかしら⁉」

「旭ちゃん⁉ 下じゃなかったの⁉」


 そのうちの一つの上で、オブジェの創造主が薄い胸を反らしていた。


「女が下なんて、どれだけ前時代的な発想⁉ 時代が変われば正常の意味も変わるの! 大体、向かい合ってなんて人間だけよ⁉」

「くぅ! 君の脳が、相変わらず正常じゃないことは完璧に理解したよ!」

「惚れちゃダメよ!」


 に、と両の口端を吊り上げると、絵筆を無造作に振るった。

 選択した色は白、意味するは「軽」で、魔力で作り出された絵の具の塊は三枝めがけて放たれる。

 着色によりこちらの自由を奪おうということだろうが、こう大味な攻めでは当たってやることもできやしない。

 吐息し、避けるためのバネを作ろうと腰を落とすと、


「そこだ!」


 影摘みの少女が気合いを閃かせ、刃を振りかざし迫った。

 二方面からの攻め手によって、一撃だけでも当てようという目論見なのだろうが、


 ……安い連携だ!


 三枝は宙を蹴り後退、刃と魔力塊の交差域から離脱した。

 安全圏を確保し、攻勢のために獲物である携帯電話型の端末を用意。

 と、大剣が、絵具を乱暴に叩く。


「……なるほどね!」

 刃の纏う真空波が、四散した白色をさらに砕いてスプレー状へ。

 拡散する攻撃に、三枝はもう一足飛びのき、生じた隙間へ脱ぎ捨てたジャケットを挟みこむ。

 着色された高級ブランド品は、付加された性質へ忠実に、風にのって藍色の空へ。


「ここで、打ち止めかな?」


 確かに、足場に着地して剣と筆を構えなおす少女二人は、攻めあぐねるように手を止めている。

 ならこちらの番か、と用意していた端末の操作を始めると、


「うん?」


 目下、アパートの庭を駆けていく、二つの人影が。

 片方はまっすぐにトラックへ向かっており、もう片方は敷地の内周を沿うように。

 後者は体の振りが大きく、癖のある走り方をしており、


「あれは梗さんか?」


 ならば、前者は颪だろう。

 こちらの戦闘は囮で、本命は向こうか。


 ……これまた、ちゃちな。


 子供騙しな、と深く息をつくと一気に降下を開始した。

 駆ける相手も気づいたらしく、足を止めて待ち構える。


「さすがにか。さすがにバレたか」

「梗さんが逆側から回ってるから、そっちが本命なんだろ? 舐めてるとしか思えない作戦だよ」

「仕方ない。俺らの手札を考えれば、仕方ねぇよ」


 それもそうか、と三枝は吐息。

 戦力と言える戦力は、影摘みであるアニェス一人だけ。隷である旭も質は決して高くなく、他はいくら強くとも人類の規格のうちだ。

 選べる手段はごく限られており、勝ち目は薄い。


「なのに、どうして君たちは梗さんの味方をするんだ? 言いたかないけど、言い分の正しさもこっちが強いだろ」

「そうだな。確かにそうだ」


 少年は眼帯を指で直しながら大きく頷くと、けれど、とつなげ、


「あいつの信念を否定するなら、あいつに救われた俺らは、自分を否定しなきゃならない」


 桔梗があらゆるを救おうと言っていなければ、自分は救われなかった。故に、信念そのものの否定はできようもない。

 言いたいことはわかる。


「けど、間違いは正してやるのが友達だろ?」

「思っちゃいない。あいにく俺たちは、世界を笑顔で埋め尽くそうっては夢物語が、間違っているとは思っちゃいないのさ」


 だから、彼らの言い分は仕方ないとも思う。

 仕方がないから、


「なら、こっちもお仕事だ。君と梗さんがいなければ、もう少し無茶も利くんだから」


 拳を固めて、ボクサースタイルに。

 と、背後で空気が動き、


「梗さんも到着か? それとも、上が降りてきたかな……え?」


 振り返れば、正解は後者。

 しかし、白銀の甲冑を纏うその両手は、大剣ではなくトラックのバンパーを握り、


「これが自分たちの作戦だ!」

「ちょ! ちょ! えぇ⁉」


 力任せに、車体を完全に持ち上げた。

 は、と気づけば、荷台には白色のスプレーを吹かれたような痕が点々と。


 ……さっきの⁉ こちらを狙うように放ったのはフェイクで、本命はトラックの計量化だったか!


 絵面のショッキングさと、あまりに暴力的な出し抜かれっぷりに唖然。

 すると、遠くから桔梗が、


「みんな、逃げろー!」

 締めの号令を放ってきた。

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