第五話:この声が君に届くよう祈って

1:決して望んだわけではないのだけれども

 木の香りが漂う。

 床面に打ちつけられた合板が真新しいのだろう。


 鼻の頭を掻いて、マーカラは自分が閉じ込められたトラックの荷台を見渡す。

 長方形の箱型で、自分以外は何もない。

 ディーゼルエンジンの揺れを合板越しに尻へ受けながら、マーカラはそっとアルミ製の壁面へ手を。

 触れれば、硬く冷たい感触が。

 彼女を閉じ込める金属板の向こうには、さらに見えない壁が待ち構えてある。


「結界ねぇ」


 それも、魔力分解というごく限られた目的のための。

 通過そのものは可能だが、魔力体であるカゲツミにとっては甚大な損耗を被る。通常時のマーカラならば苦もなく突破できるだろうが、弱っている現在にそれをしようとすれば消滅しかねないだろうから、完璧な封じ込めだ。

 物理干渉に対して全く無防備ではあるが、そこは術者の自信のあらわれだろう。

 この結界を施した三枝・和也もだが、


「なんだ、辛気くせぇ顔してんなぁ」


 最強の人類、木積・剛を物理排除できる存在など多くはない。

 サイドドアを乱暴に引き開けた彼は、落ちゆく夕日を背負いながらのっそりと縁に腰を下ろすと、


「ずいぶん、大人しくしてるんだな」

「じたばたしても、仕方ないでしょ?」

「なんだ、諦めたのか? 影神クラスなら、面白い喧嘩になると思ったんだけどな」

「ふふ、残念ね」


 つまんねぇなと肩を落とす中年に、マーカラはこの人物の度し難さを笑う。

 どこまでも走っていたいのだ。最強などという打ち止めラインをまったく無視して、どこまでもどこまでも。

 その熱情が羨ましくもあり、不憫でもある。


「阿古屋と雪じゃ、じゃれる程度にゃいいんだがなぁ」


 此方から彼方を目指していた空手家は、頂に辿り着いた後。途上にありたい彼だが、しかしすでに登るべき壁は存在しないのだ。

 と、こちらの表情を見咎めたらしく、不機嫌そうに、


「なに笑ってやがる」

「大変ねぇ、って」

「どういう意味だよ」

「ふふ……それで、サエグサは?」

「外でしこしこ結界の強化をしてる。時富石材から人手が借りられりゃ、もうちょいまともな結界も張れるらしいんだが、短時間で一人じゃこれが限界らしいな」

「トキトミセキザイ? 石屋さん?」

「表側はな。裏側で、退魔士組合をしてる。ま、時間と金の都合が付かなかったってこと」


 午後六時まで、確かに三十分ほどしか残っていないはずだ。どこまで運んでいく予定かは知らないが、準備は出来うる限り万全にしておきたいのだろう。


「念入りねぇ。こんなのなくても逃げやしないのに」

「仕方ねぇ。人のために勝ち、守ることがあいつの第一義だ。だから、慎重に手を打つ。能天気に全部救うとか言ってる桔梗のことが嫌いなのも、頷けるだろ」

「挙句、人喰いのバケモノまで助けると言った日には、ねぇ」


 嘘なら偽善者だが、


「本気なんだから狂ってやがる」

「そうね。まともじゃないわ」


 影神は、呆れに肩をすくめる男へ、赤い唇を弓に。


「だから、私は救われたのだけれど」


 桔梗に狂気がなければ、自分は彼を貪り尽くしただけだったろう。この先ずっと、不滅に近いこの命を、奪い喰らうことだけに擦り切らせていっただろう。

 一瞥した木積がテンガロンで目元を覆うと、


「この調子で救われていっちゃ、俺の喧嘩の相手がいなくなりそうだ」


 口元だけの笑みを見せて、夕日の中に立ちあがった。大きな背中が影となるから、マーカラは静かに問う。


「キヅミは?」

「ん?」

「救われたいと、そう思ったことはないの?」


 返ったのは沈黙。それから、

「どうだか」

 ため息のこもる曖昧な答えを残して、スライドドアが力任せに閉められた。


      ※


「戦力比は、小学生とゴリラ以上の差だ。ん」


 綾峰学園から美柳商店街へ向かう生活道は、非常に雑多だ。新旧が交じり合いそれぞれが成立している区域であるゆえだ。立派な生垣の隣にステンドグラスをはめ込んだブロックフェンスがあったりと、街並に統一感がない。

 そんな緩やかな坂道を、七人は影の輪郭を怪しくさせながら下っていく。


「ほんと、絶望的が過ぎる状況ですよね」

「だからだ。だから、手を練るんだろ」


 困ったという顔に、やけくそな笑いが答える。


「無理だろ。現状の手勢では、どうにも無理だ。なら、外から入れるしかねぇ」

「そこで、マーさんを?」


 先行する桔梗が肩越しに訊ねると、彼の傍らの小さな人が、


「そうよ梗さん! あの感触、素材としてはユッカに劣るものの、極品には違いない! 世界を救える逸材よ」

「な、なにぃ! 八頭っちゃん、もう揉んだのかい⁉ さすがだ! さすがおっぱいソムリエ、仕事が速い!」

「くく! 今週の交換日記を楽しみにしときなさい! 久しぶりにユッカ以外の内容になるわよ……!」

「くう! 二ヶ月振りだなあ!」

「な、なにを交換しているんですか!」


 拳を振り上げると、二人は「わー」とバカにした悲鳴をあげて五歩先行。

 まったくというように肩を落とせば、和やかに微笑む残りの男衆へ、やはり雪と共に数歩先行していたアニェスが、


「キキョウを隷にするんだな?」

「そうだ、ん」

「問題がある」


 鉄面皮に困惑をにじませた。

 魔力体であるカゲツミは、生命維持に魔力を必要とする。が、地球は概ね過疎地域であるから、補給のために『隷』と呼称する協力者が必要となる。

 隷はその恩恵として、さまざまな能力を得ることができるのだが、


「個人差が大きい。役に立つか、出たところ勝負になる」


 分は悪いギャンブルだ。


「わかってる。わかってるさ、アニ」

「最悪は、梗さんをタンクにしてマーカラに頑張ってもらう、ん。影神だからな、魔力が十分なら三枝さんでも正面からじゃ無理のはずだ」


 影積みが次善策の提示に納得すると、並ぶ雪が振り返り、


「俺は木積とやるぞ」

 三白眼を好戦にぬめらせた。


「わかってる、ん。第一、影摘みコンビは三枝さんにぶつけるつもりだったからな。その代わり、俺とユッカも一緒……そんな不満そうな顔するな、ん」

「……わかっている」

「で、ウッチーと梗さんは旭とアニェスと一緒。細かい話は……」


 阿古屋の説明は細部の立ち回りに移行していく。

 それを聞く夕霞は、ああ懐かしい、と呟く。

 四年前は、毎日がこんな熱量の連続だった。影罪を倒し、影神と戦い、内閣特別調査室と競争して。

 楽しかった、と思う。


 争うことがではなく、全員で全力を尽くして目的を達し、街を守り人を救うという実感を得られていたことが、だ。

 皆、自覚の有無は怪しいが、あの時の熱量と変わらない。

 だから、


「懐かしいよね」


 桔梗がいつの間にか隣に並び、微笑んで代弁してくれた。

 二人は皆の最後尾を、ゆるゆると追いかけていく。

 前集団は、話に飽きた旭がアニェスの胸を揉み始めるが応対しないゆえ胸部からぶら下がったまま公道を練り歩くという、性別が性別なら確実に逮捕な絵面を何とかするために、雪が打撃し阿古屋と颪が悲鳴を上げたところだ。

 連中は大体いつも通りなので放っておき、


「梗くんは全部を救うんですよね」


 答えを知りながら確かめるように問えば、浜風で前髪を洗いながら、穏やかなまなじりで頷く。

 幼馴染の首肯に、やはり結果のわかっている確認を。


「三枝さんや、木積さんも?」

「もちろん」


 そうだ。

 目も、耳も、唇も、声も、足も、腕も、手も、指も、心も。

 彼の全てに例外は存在しない。

 夕霞は、一度大きく呆れに吐息すると、笑みを満足に深くして、


「なに?」

 口端へ疑問を引っかけた桔梗に、

「頑張りましょうね」


 楽しかったと自信を持って言えるようにと、胸に誓った。


      ※


 内閣特別調査室が居を構える春日荘は、庭付き物件である。共有だが面積は広く、二tトラックがもう三台多くても、余裕でおつりがくるほどだ。


「負けるわけがないんですよ」


 取り囲むようにある背の低いフェンスへ腰を下ろす三枝は、帰り支度を整えた中居へ面倒そうにそう告げた。


「向こうの最大戦力はアニェスちゃんで、旭ちゃんと雪ちゃんが多少、実践をくぐっているくらいなんすから。他のメンバーは、魔力の認知すらできていない」

 深い吐息に煙草の煙を混ぜて。


「逆に、怪我とかさせないようにって、変に気を遣わなきゃなんなくて。それが面倒で……まあ、気は楽ですけどね」


 三枝・和也は、人を守るためにあらゆる脅威と戦う。故に、敗北は許されない立場にあり、常にタイトロープのような激戦を要求され続ける。

 だから、勝ちが揺るがないこの状況に、気が楽だと言えるのだろう。

 だが、と彼の部下である中居・しずるは、思う。


「気が楽だと言うのなら、どうしてそんな顔をしているんです?」

「え?」


 煙にくゆされた垂れ目が、芝生から持ちあげられた。

 口はへの字に折られ、表情のない眉の下で目が細められている。

 それは完全に、


「倦んでいますよ」

「マジっすか? うへぇ」


 自嘲めいた苦笑いに作り変えると、


「だとしたらきっと俺、戦うことは好きじゃないんすよ」

 事もなく告げ、


「ヤバイ相手の時は、さすがに勝たないとっていう義務感の方が上回っているんでしょうね」

 短くなった煙草を、逆手の携帯灰皿にねじ込んだ。


 自己診断のとおりだろうと、中居は胸中でのみ呟く。本物である木積を見ていれば、誰も三枝をバトルマニアと呼びはしない。それゆえに、年中闘争の最中にいる様子を異様に感じることもあったのだが「義務感」という一語に納得を得ることができた。


「でも、負けず嫌いでしょう、室長」

「ええ、負ける気はないっすよ」


 笑って、彼は立つ。

 振り返るように小路に視線を飛ばすから、彼女も目で追えば、


「もう、やっぱり木積さん、おいしいとこしか摘ままないんだから」


 三つの人影が、角を折れたところだった。

 夜の迫る藍に銀髪を照らす長躯と、浜風に黒髪を揺らす少女、そして眼帯の少年だ。

 表情から、三枝が嫌いだという闘争が目的であるのは明白。

 中居が腕時計を確認すると、長針と短針は一直線になっており、


「では、室長。私はこれで」

「あ、中居さん、お疲れ様でした」


 彼らに背を向けて、表通りを目指す。

 汀・桔梗らとの衝突が想定されながら、中居には帰宅指示が出ていた。

 確かに、戦力的には木積と三枝がいれば問題ないのだろうが、準備を惜しまない男がわざわざ手駒を減らすのだから、勘ぐってしまう。


「何か、隠したいことでもあるのかしら」


 たとえば、わだかまりであるとか。

 と思案を巡らせたとこで、鞄の中から携帯電話がメロディを奏でた。

 取り出してディスプレイを確かめれば、自宅のナンバー。

 通話ボタンに指を伸ばせば、


「もしもし?」


 中居・しずるは張りつめていた頬を、母親のものへと穏やかに緩めていった。

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