5:そして夕暮れが近づく

「マジカル酋長メルティコナン、未開の地から可憐に参上☆」


 ブラウン管に映るのは、人間界に迷い込んだ蛮族のプリンセスが自慢のククリナイフで悪者たちを懲らしめるという子供向けアニメだ。

 ちなみに、決めポーズの台詞は「お前の首はあの柱に吊るされるのがお似合いだゾ☆」だった。

 子供たちにカルトな人気を誇る番組なのだが、さすがの影神はなに一つ感動を覚えることもなく、ただ時間が流れることを待つことしかできない。

 せんべいと湯呑みを、白い両手に持って。


「え、えらいこと順応してますね」


 茶請けに手を伸ばす三枝が、呆れながら驚くという器用なマネを見せた。

 肩で息をしながら横目を投げやり、


「これからのことを考えたら、横柄にもなるわぁ」

「や、や、ごもっとも」


 申しわけないという顔で青年がポジションに戻れば、狭い秘密組織の拠点は再び静寂の中。乾いた割れる音と茶をすする音が交互にたち、夕暮れ時のアンニュイ感を際立たせる。

 酔い潰れて起きて以降、丸一日、こうして過ごしている。

 目が覚めた時には他二名は仕事に出たとのことで、結界のため動けないマーカラと、結界の維持と監視のために残った三枝の二人は、朝からテレビに釘付けだ。


 話だと自分を搬送するトラックが到着するのは六時の予定で、現在が三時三〇分。

 まだまだ先だ。

 死刑執行前の囚人の胸中を察しながら、じりじりと神経を消耗させていると、


「じゃ、そろそろ準備しますか」


 出し抜けに、黒スーツが腰をあげるから、訝って眉をひそめる。

 疑わしげな視線に気がついたのか、荷物で埋まった押入れからアタッシュケースを取り出しながら肩をすくめた。


「結界とか、まあ、いろいろすよ。万が一、梗さんたちにも備えなきゃならないし」

「キョウさん?」


 諦めにぶらさがっていたマーカラには、意外な言葉だ。

 颪は桔梗を「望むことを諦めない」と言っていた。しかし、圧倒的な戦力差にねじ伏せられてしまった惨状を見てしまっては、都合の良いことなど考える余地もない。

 だから訊ねる。声が跳ねるのが、うまく抑えられるだろうかと心配しながら。


「キョウさんが来るなんて、ありえるの?」

「どうっすかねぇ。諦めの悪い子だってのは知ってますけど、それも四年前の話だから。まあ、痛い目あって懲りたかもしれないし」


 ケースから符と小さな薬瓶を取り出すと、凝視して質を確認。


「まあ、手は打つっすよ。結界張って、木積さんも呼び戻して」


 当然だ。裏社会の仕事は本来、学生の乱入でなく、権益の匂いを嗅ぎとったハイエナたちを警戒するものなのだから。

 準備は万全だろう。それこそ、社会的背景が比較的強い学生を相手にするには、もったいないくらいに。


「だから」


 三枝の吐息。

 整った軽薄な頬が、その時ばかりは影を浮かべる。

 疲労か、呆れか、不愉快か。


「この状況で助けにくると言うのなら、そいつは正気の沙汰じゃあない」


 口元を歪ませながら吐き捨てる彼に、マーカラはほの見えた期待が爪の先ほどしかないことを、嫌になるほど知らしめられた。


      ※


 自分が通っている大きな校舎は、こんなにも静けさに満ちていただろうか。


 アニェスは揺るがない表情で、並ぶ少年と、地に落ちかけた夕日を見つめている。

 膝先には中身のなくなった紙袋がたたまれており、二人が昼休みから校舎屋上で日を眺めていたことを教えてくれる。

 耳に届くのは、風と、桔梗の穏やかな息遣いだけ。

 学生服を着た影摘みは動きのない空気に問うことも促すこともせず、じっと身をゆだねていた。


 心地良い。故に、もどかしい。

 自分が欲するのは答えなのだが、きっとそれは、自分の意にそぐわない。

 と、桔梗が肺に空気を留めた。声にするための一拍だろう。アニェスは、ようやく訪れた時間に身を固くして、視線を向けた。


「迷っているんだ」

 わかっている。


「僕は彼女を救いたい」

 それもわかっている。


「けどさ、それだと皆に迷惑をかけちゃうだろ」

 その言葉もわかっていた。


 影神を、影摘みにとって不倶戴天である影神の女を、消えない傷を負わされ全てを奪っていった同族を、救いたいと彼が言うであろうことを、アニェスは知っていた。

 覚悟はあったから、やはりの俯きはほんの瞬きだ。


「それなら、独力で解決するか?」

「うーん……それが一番だけどね」

「寂しいことを言うな」


 方向が決まっているなら、作る言葉に迷いはないし、飾りもしない。

 目を丸くした桔梗へさらに強く、


「誰もがお前の立つことを望んでいる。お前が諦めないことを望んでいる。お前の隣に立っていたいと望んでいる」


 届いただろうか。

 伝えることは苦手だから、不安だ。純戦闘の教育ばかりを施されたアニェスにとって、効果的に意思を伝える術を知る人間を、こんな時ばかりは羨ましい。

 苦手だから、届いて欲しいと願わずにいられない。

 見つめると、驚きを解いた桔梗が相好を崩し、


「アニさんは?」

 愚問だ。

「これを見ろ」

 胸に咲く桔梗の花の刺繍を見せれば、顔を寄せた同じ名を持つ少年へ、


「……おっぱい? 揉んでいいの?」


 チョッピングライトを落とした。

 ぐら、と白目を剥いて傾きかけた彼の体を、襟首を掴んで元の通りに戻すと、


「誰よりも強くそれを望む、だ」

「い、いや! いやいや! ぶん殴っておきながら、いいこと言った感をだすのやめようよ!」

「はいはい」

「あれ⁉ なんか、僕の方が駄々っ子じゃない⁉ なんだこれ⁉」


 くそーと伸ばした両足をばたばたさせる桔梗に、アニェスはやはり無表情のまま、


「自分たちは、自分たちのために泣きはしない」

「え?」

「涙を流すとしたなら、それはお前の望みが叶わずに終わるときだ」


 だから、


「だから立て。泣くことを許さないと言うのなら、自分たちに涙を流させないために」


 鋭く言い切り、最後の音に重ねてチャイムが響いた。

 今日の終わりと放課後の始まりを告げる鐘に背を押されて、銀髪の騎士は立ちあがる。

 頬笑みをなお深くした座るままの主へ手を差し伸ばし、


「どうだ?」


 誘いの言葉を口端に乗せると、


「やっぱりアニさんは下半身もいやらしいなべぶばっ⁉」


 トゥーキックを眉間に突き刺してやった。

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