4:ぼくの気持ちが区切られるまでの制限時間は

 涼やかな風が、長めの前髪を洗った。


 それを押さえもせずに躍るに任せたまま、見え隠れする瞳は迷い強く空へ。正午を向かえ、天気予報の通り、晴れ間が広がりつつある。

 降りそそぐ柔らかな陽に、汀・桔梗は屋上のコンクリートの上で、身をさらしていた。

 朝からずっとだ。

 つい数分前に昼休みを告げるチャイムが鳴って、ようやく時間の経過を認知したのだが、それでも動く気になれないでいる。

 答えが、未だに手に入っていないからだ。


 ……マーカラを救うと言って、履行できなかった贖いは?

 ……自分の無茶に協力してくれた皆の負傷への見返りは?

 ……救うと叫ぶが、しかしあまりに無力ではないか?


 後悔の混じる自問がぐるりぐるりと、頭の中を駆け巡っている。

 目が覚めて、夕霞に顔の包帯を解いてもらっていた時から、ずっと。

 自分が正しくないことを自覚しているから自己嫌悪はなおさら深くて、皆に伝えるべき言葉を手に入れるまで動くことはできない、と思っている。

 けれど半日が過ぎ、その手掛かりすら見つかっていない。

 自分の思いは一つ、全てを救いたい、だ。


 ……けれど、皆は?


 幾度目の問いか。

 数知れないループを、


「いるか、キキョウ」

「うぇ⁉」


 鉄のドアが思い切りよく壁に叩きつけられる音で、切断された。

 現れたのは、食堂の紙袋を小脇に抱える銀髪の少女。


「アニさん、驚かさないでよー」

「是だ。自分は、驚かすつもりはなかった。ただ不意を打って、いかがわしい行為を現行犯するつもりだっただけだ」

「あれ⁉ おかしくない⁉ 僕のこと、どういう目で見てるのかな⁉」

「ほら、昼飯だ」

「いやいや答えてよ!」

「是だ。性的な意味で寂し――」

「あーあーあー! 言わなくていい! やっぱり言わなくていいよ!」

「わがままな奴だな」


 無表情のまま隣に腰を下ろすと、抱えていた紙袋を手渡してきた。


「ありがとう、気を遣わせちゃって」

「気にするな。トオルの奢りだ」


 それは後で礼を言わなきゃ、と微笑んで包みを開ければ、飛び出してきたのは鈍器としての使用を目的としているかのようなフランスパン。


「落ち込んでいる時はこれが一番らしい。また一つ、人間界について詳しくなったぞ」

「よ、容赦ないなあ」


 とはいえ、持ってきてくれたのはアニェスだ。出処は嫌がらせにしても、仲介の好意を無駄にはさせられない。

 顎が砕けそうになりながらも、桔梗は食事に取りかかった。

 アニェスもサンドイッチを広げて、並んでの昼食となる。


 桔梗は思う。彼女も、自分に振り回されている一人なのだ、と。

 四年前に人間界へ派遣された影摘みは、怪我をした自分を守ると言って、こちら側へ駐留するようになった。定期的に、報告と魔力補給でカゲツミ界に帰るのだが、時間が経つにつれて不定期になってきている。

 原因は、きっと自分だ。


 彼女の負い目が、ほんの数日の空白も許せなくなっているのだろう。

 確信はない。

 けれどこうして、強い力を持つ少女を縛りつけてしまっている。

 共に居てもらえることはありがたい。けれど、自分は彼女へ、等価の見返りを用意することができるのだろうか。

 と、自問に耽る中でその整った横顔に知らぬうちに見入っていたらしく、


「どうした?」


 視線に気づかれてしまい、


「いやあ、食事で上下する胸も、また乙なもので――訂正します! だから、殴らないで!」

「是だ。訂正案を聞こう」


 拳はまだ振りかぶったまま。それどころか、時間経過とともにゆっくりと降りてきており、

 ……時間制限ありなの⁉

 ええっと、と言葉を探すが思考がまとまらない。

 仕方なく、本当に仕方なく、事実を。


「昔のようには走れないことを、昨日は痛感してね」


 アニェスの手が止まり、視線を強くして見つめてくる。

 それはそうだ。彼女に限らず、皆が皆、四年前の桔梗の負傷は自身の責任だと言うのだから。


「違うんだ。四年前のことは、一つも後悔はないんだ。もどかしく思うことはあるけどね。これが自分の選んだ道だから。誰かのせいになんかしたら、それこそ僕はおしまいだよ」


 だから、


「だから辛い。皆が四年前の出来事に捉われてしまっているのが、さ。誰も彼も凄い才能があって、人も良くて……なのに、僕が邪魔をしてしまっている」


 頬笑みが寂しくなってしまうのを堪えきれない。

 とうに腕をおろしたアニェスは、正面から眼差しを受け止めると頬を固くして、


「本気で思っているのか?」

「そんな顔をされるから、誰にも言いたくはなかったんだけど」

「なら、どうして自分に?」

「一番甘えてしまってるから、かな」


 他のメンバーと比べて、アニェスとの付き合いは短い。故に最も桔梗に対する義務感は小さく、罪悪感が大きいはずなのだ。

 だというのに、こちらには返せる物がない。


 甘えてしまっている。

 言の意を悟ったアニェスが一考するように視線を手元へ落とし、己の言葉を確かめるように頷きを一つ。準備を整え発しようとしたところで、間悪くスピーカーが叫んだ。


「予鈴だね」

 間近で鐘を模したチャイムが鳴り、昼休みの終わりが告げられた。

 桔梗はまだ答えを得ていないから日常に戻るわけにはいかないが、けれど彼女は違う。

 立ち上がり、ドアをくぐって、教室に戻るべきだ。

 だというのに、いつまで経っても立とうとしないものだから怪訝な顔をして見せると、


「アニさん?」

「もう少し、一緒にいよう」


 意外な言葉が。

 丸くなった目を、線に細めて、


「ありがとう」


 春風に前髪を舞わせながら、深い感謝に微笑んだ。


      ※


「ベストか。まあ、ベストな配役だよな」


 開け放った生徒会室から屋上を見上げて、颪は頷く。

 見えるのは縁から覗く銀のボブカットだけだが、隣には間違いなく、四年間に傷を負って何もかもを失った少年がいるはずだ。

 彼の言葉を聞くに、もしくは聞かせるにあたり、アニェスは最も適している。

 他の連中では付き合いが長い分だけ、互いに照れてまっすぐには言えないものだが、濃いながらそれでも四年分しか積み重ねていない彼女ならば。質を重んじる性格もプラスだ。


 ……じゃあ、まあ、任すか。


 そう微笑んで、風の吹きこむ窓を閉じると、背後でドアの開く音。


「あれ? 瀬見内くん?」

 振り返れば、手に鞄を下げた夕霞が当惑顔でこちらを確認。

「おお。おお、ユッカ。もう予鈴は鳴ってるぞ?」

「忘れ物を取りにきたんです」


 指差す先を見れば、広げられたノートと数学の教科書が。おそらく、颪が到着する前まで、宿題に取り掛かっていたのだろう。

 柔らかく拾いあげ、差しだす。


「静かだな。葬式みたいだ」

「そうですね。梗くんがいないだけで、学校がこんなに静かになるなんて……どこかしこも、騒ぎを待って息を潜めていましたよ」

「なんだ? なんだそれ。ずいぶんと末期的な学校になっちまったな」


 馬鹿にするように口端を持ち上げれば、夕霞も苦笑を返して、


「もう……けど瀬見内くん、夕方まで動けないってアコが言ってましたけど?」

「予定さ。知り合いの仕事が終わるのを待って、話を聞く予定だった」

「案外あっさり集まっちゃったとか?」

「そう。その通り。よくわかったな」

「私もですから」


 え? と隻眼を驚きに広げれば、


「仕事柄、いろんなツテがあるんですよ?」


 なるほど。

 思い出せば、確かに夕霞の情報網に助けられたことは多々だ。ずっと昔の旭の一件や、四年前に内閣特別調査室の動静を知り得たのも、社交界から下流社会にまで根を張る葬儀屋のコネクションがあったお陰に違いない。

 やっぱりなあ、と颪は眼帯を指で直しながら、頷いてみせた。

 やはり、桔梗の周囲には非凡な連中が集まっている。さて、ならば自分はどうだろう。


 ……自信はねぇなあ。

 笑ってしまうほどに。だからせめて、情報の提示は先手をもらう。


「レンタカーだ。知り合いのレンタカー屋が、内閣特別調査室名義で二tトラックの予約を受けた。一応他の店にもあたったけどな、どこも貸し出していて空っぽで、最も早く帰ってくるのが、その知り合いの店だったらしい」

「時間は?」

「夕方の六時。そっちの情報は?」

「そちらに追加してというなら、近所の方が、三枝さんが金髪の女性を連れて春日荘に入ったのを見たと」

「間違いない。まあ、間違いなくマーカラだろうな」


 そうですよねぇと腕を組む夕霞に、颪は口端をあげたままで、首を横に。


「違うだろ」

「え?」

「終わりだよ。情報は揃ったから、悩む時間はもう終わりだ」


 目標の奪還にあたり、こちらの条件は今日の午後六時までと区切られた。

 そのための方法も段取りも、相手とのカードの優劣が大きすぎて悩む余地もない。

 だから、すべきことは一つ。


「待つだけだ。桔梗が立つのを待つだけさ」


 幼馴染の葬儀屋跡取りは、ウェーブのかかった茶けた髪を揺らした。その通りだと納得の首肯をすると、


「ですけど、梗くんが立たないなら、それはそれでいいなとも思うんです」

 まぜっかえすように、焦がれる目で悪戯めいた笑みを浮かべた。

「何事もなく学校が終わって、私は部活に出て、帰って、シャワーを浴びて、それから梗くんの家にカレーを作りにいったりして」


 ずいぶんと平和な未来設計に、


「いいな。そいつはいい案だ」

「でしょう?」


 少年だけでなく、言いだした少女も成ることを信じてなどいない。

 桔梗は立つし、そうとなれば平和を謳歌する暇などないはず。

 手に入らない故に、眼差しは夢に焦がれるのだ。

 だから颪は、


 ……な? 恥ずかしくて、言葉になんかできねぇだろ?


 照れを隠すように、緩める頬に慰めと叱咤を織り交ぜてみせてやった。

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