3:「日常」という難解な方程式
朝空は晴天といかず、太陽は雲に見え隠れしていた。
天気予報では昼頃から晴れるとのことだったが、現状の雪にしてみれば、憂鬱な今こそ青空を仰ぎたい。
春の教室は、言うともなしに浮かれているものだ。が、彼女はそんな空気に構わず、背もたれへ体を預けながら天井を見上げて、三白眼を淀ませていた。空手少女の目前では旭が机に突っ伏して動かないものだから、2‐Aの生徒は全員「何事……⁉」という戦慄顔で、様子をうかがっている。
今日は、学校全体がやけに浮ついている。
仕方がないだろう。先日の放課後には校舎敷地内に凶悪犯が侵入したということで一部の区画への立ち入りが禁止となり、今日は今日で、朝から生徒会メンバーの様子がおかしいのだから。
雪も旭も、阿古屋と夕霞に手を引かれながら登校しており、生徒会長に至ってはアニェスにお姫様だっこされて正門をくぐっている。
自然、全校生徒の話題はその二点なのだが、当事者のいるこの教室ではさすがに視線が集まる程度でとどまっていた。
好奇の目に囲まれながら、雪は肩を落とす。
正直、一度眠ったら、悔しさは消し飛ぶ体質だ。後悔のヘドロに沈んでいるよりは、次を考えるほうがよほど健全で建設的だと、天才空手少女は知っている。
だから、淀む瞳に映るのは、これからのための光。
突然、小さな人が身動ぎし、
「……梗さんは?」
こちらの「打倒木積プラン」が佳境であるパロスペシャルに至るのを、急に遮ってきた。
問われたが意図を掴めず、とりあえず後列中央の彼の席を確認。
が、カラだ。
「いないぞ」
「知ってるわ。アニがどっか連れってったじゃない」
言われて、前列右側の空席を頷きで確かめていると、
「そうじゃなくて、怪我とか様子とか……朝、ユッカのビックリするほどの乳略してビッチに抱きついて登校したから、よく覚えてないのよ」
「そういうことを堂々と言えるお前に感服するよ」
「ついでに崇めときなさい」
旭は、体を伏せたまま頭だけを上げてきた。目下にはひどい隈が縁どられ、頬も心なしかこけており、憔悴がありありだ。
昨日の敗北で、一番に負担がかかったのが彼女であることの証明である。
戦場に立つ理由とその重みが、誰よりも負けることを許されない。
自分と阿古屋は、敗北が前提の闘争だった。
雪と颪は、自分の仕事を成し得た。
アニェスは、影摘みという戦闘種である以上、勝敗の天秤を経験値で知っていた。
桔梗の望むことを叶えようとしている旭だけが、己の敗北を許せなかった。
けれど、誰も気遣いなどしない。
少女が自力で立てることを確信しているから。事実、伏していた目に、ようやく力がこめられつつある。
「怪我はだいぶ良くなってたぞ。少し腫れて、かさぶたが残ってるくらいだ」
「あの包帯、やっぱりロクなもんじゃないわね……」
「はは……あとはまあ、元気そうだったな」
「本当に?」
「……嘘だ」
「でしょうね」
旭は大丈夫だ、という大方の予想は正解に近付きつつある。というのに、疑いすらしなかった桔梗の再起が、思いのほかの難航に見舞われていた。
汀・桔梗ならば、目が覚めた時点で両の足で立ち、夕霞あたりに軽いセクハラをかましつつ、あの影神を救うと言ってのけると、雪は信じていた。それを契機に立とうとしていた彼女にとって、現状の彼は完全な肩すかし、バランスを失ってしまった状況にある。
しかしまあ、確かに、とも思う。
「今回は勝てる気がしないしな」
「ん……」
強気な旭が黙りこむのは、認めたくない肯定の時だ。
だから問う。
「けど、梗さんが行くと言ったら?」
諦めたのなら是非に及ばず。
しかし、相手の強さを鑑みているだけなら問題ない。
試すように言ってのければ、小さな人は大きく頷き、
「当然、行くわ」
「負けるのがわかっていても?」
「勝つための材料を揃えるだけよ!」
そう、それでいい。
争うことは勝ち負けの積み重ねである。だから、勝ちに驕らず、負けに腐らずだ。
ならば、
「ぐだぐだとクダを巻く時間は終わりだ、旭。梗さんが立つのを、いつも通りのまま待ってるんだ」
「そうね! いいことを言ったわ!」
完全に持ち直した少女は、体を起こしざまにずいと乗り出して、
「梗さんを待つわ! いつも通りね!」
「……っっっ⁉」
小さな左手が、短いスカートの裾を捲りあげた。
「え⁉ なんで穿いてるの⁉ 言ったじゃない、ナッシングパンツこそあなたの明日を薔薇色に!」
「は⁉ え、ちょ、おま……っ! ホントに穿いてなかったらどうする気だ!」
「愚かな問いね! 大興奮間違いなしじゃない! ほら手伝ってあげるから、一皮剥けるのよ! 二つ以上の意味で!」
下着に逆の手がかかり、
「ばか、やめろ! みんな見てるだろ!!」
「くく、なぜ抵抗するの! 生まれたままの姿に戻るだけなのにぐべっ!」
片側が太ももの半ばまでずらされたところで、フック気味の右を少女の顔面へ。
縦回転しながら黒板前まで吹っ飛び、変な形でぐったりと動かなくなる。
全員が「だ、大丈夫か、あれ……」という顔で固唾を呑んでいると、目に涙を溜めて息を荒くしている雪が立ち上がり、激怒を発奮。
「そんなに私のノーパンが見たいのか⁉」
「「「か、勘違いだー!」」」
全員が痙攣を始めた旭を指さして叫ぶが、
「黙れ変態ども! 順番に脳の強制治療だ!」
正気度がゼロになった高校空手チャンプを前にしては、人類は己の無力を知るしかなかった。
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