2:夜は更ける、明日のために

 汀・桔梗の部屋は、ひどくシンプルだ。

 六帖そこそこの部屋に、テキストが広げられたシンプルな学習机があり、その隣にはテレビやDVDプレイヤーを納めたメタルラックが。大きな本棚は、歳の割に豊かな蔵書が並んでいるが、今は薄い埃を被ってしまっている。

 部屋の三分の一を埋めるスプリングベッドには、顔を包帯で隠した、部屋の主が。

 キャスターチェアに腰を下ろした夕霞は、懐かしさに悲痛を込めて、傷ついた幼馴染を見つめていた。


 ……何も変わってませんね。


 部屋の様子も、眠る彼も。

 四年前も、幾度の傷を負っただろうか、数え切れはしない。そのたびにベッドに縛り付けておくのが、夕霞の役目だった。


「放っておくと見境なく動きますからね、梗くんは」


 危険と知って、なお向かっていく癖があるものだから。

 勇気か無謀かは、結果のみが教えてくれる。だから、不安で仕方がないのだ。

 かつては夕霞も、突風を起こす彼と、その上昇気流に乗りっぱなしの幼馴染たちのフォロー役に回ることが嫌いではなかった。


「けど、今は怖いんですよ?」


 彼の望んでいるものが大きすぎて、自分の手からこぼれてしまいそうで。

 そうなることで彼が傷つくのが、悲しくて。


「目が覚めたら、もう無茶はしないと言ってくれませんか?」


 自分だけではない。皆がそう思っているはずだ。

 けれど、決して彼はそんな言葉を言いはしない。

 毛布からはだける肩の傷に、そっと手をあてがって嘆息。普通ではありえない落ち窪みに、子供の頃から今までのあれやこれやを思い出し、気づけば涙腺が緩んだのか、うっすら涙が浮かんでしまっていた。

 これはいけない、と苦笑いしながら涙を拭うと、彼の首筋に小さな傷が連続する痕を見つける。

 眉を寄せて疑問を浮かべると、体を乗りだした。

 が、明かりを落としているため判然としない。沈むベッドに左右それぞれから支点を得るために両手を広げてつくと、顔を近づける。

 次第に歯型であることがわかったが、


「なんです、これ?」


 そこにある理由には結びつかない。

 見極めようと間近で観察を続けていると、背後で物音が。

 ……そっちは入り口ですよね? 誰か来ましたか?

 何の気なしに振り返ると、しかし薄暗い中には誰もおらず、


「……誰ですか?」


 しかし目を凝らしたドアの隙間に、興味に輝く眼差しを発見した。


「気にするな」

「アコ?」

「誰にも言わねぇよ、ん」

「何を……?」


 言われて、自分を鑑みる。

 胸元から肩にかけてをはだけた幼馴染が眠るベッドに身を乗り出し、またぐように両手を

つき、首筋に顔を近づけており……


 ……これは⁉

「いやあ、梗さんとユッカがそんな関係だったとは露知らず……ごめんなー、もうちょっと気を利かせたらよかったよなー」

「か、勘違いですよ! 大体、梗くんまだ目を覚ましてないですから!」

「なに⁉ 寝ている梗さんを⁉ ユッカ、どれだけ鬼畜なんだ……!」

「ちーがーいーまーす!」


 慌てて身を剥がし、全身で無実をアピール。

 笑う阿古屋がドアを開いて、


「飯だぞ、ん。アニェスお手製の、焼いた肉と茹でた野菜のフルコースだ」

「もう少し、食欲のわく表現はできません?」

「表現を変えても、出てくる料理は同じだろ、ん」


 それはそうだが。

 けれど、と眠る桔梗を見やり、


「梗くんを一人にしたくないんですよね」

「ああ、確かに」


 腕を組んで、坊主頭を大仰にうなずかせると、巨体でしなを作り、


「放っておくと見境なく動きますからね、梗くんは」

「! ちょ、ちょ、アコ⁉ いつから覗いてたんです⁉」

「ユッカが梗さんにイタズラしようとしているとこからだ」

「してません!」


 ははまあまあ、と笑って制する姿に「この男、最初から……!」の、怒りと羞恥に握る拳の震えが止まらないが、


「じゃあ持ってきてやるよ」

 軽く肩を叩いて優しいことを言ってくるものだから、矛先を失ってしまった。

 え、とか、う、とか戸惑いに呻いていると、彼は背を向け、


「けどまあ」

 ドアの閉まり際に、

「目が覚めたら、もう無茶はしないと言ってくれないかってのは、本気でそう思うわ」


 諦めめいた笑いで言ってのけられた。

 ……やっぱり古い付き合いなんですね、私たち。

 同じことを願い、同じように思う。

 その共有が、しかし桔梗の言動にブレがない証明に。

 つながる喜びよりも、結論の辛さを。

 ほのかな希望よりも、確かな覚悟を。

 夕霞は、胸に強く落とし込んでは体勢を整えていく。


      ※


 三枝・和也が率いる内閣特別調査室は、美柳に拠点の一つを置く。

 下町にそびえる古ぼけたアパート「春日荘」の二〇一号室が、それだ。

 機密の闇に沈む秘密機関は現在、


「肉だ! 肉がなくなったぞ!」

「き、木積さん⁉ 俺の分は⁉ 俺が選んだんですよ⁉ てか、俺の払いですよ⁉」

「米沢牛ですから、味わって食べてください! まったく……買い出しを任せると、ロクなことしませんね、男連中は」


 鉄板で肉を焼くことに忙殺されていた。

 ちゃぶ台には、向かいに三枝、左にしずる、右に木積が座り、残り一辺にマーカラが。

 捕えられた影神は、弱肉強食を地でいく面々の食事に呆れながら、手渡されていたビールに口をつけ、しかしねぇ、と部屋を見渡す。

 監視用の機材が所狭しと並べられ、それ以上のディスプレイが壁一面を埋め尽くしている。床に目を落とせば、本やらノートパソコンやらアタックナイフやらダイレクトメールの束やらボトルキャップのコレクションやらが転がっており、


 ……子供のおもちゃ箱ね。


 と肩をすくめる。

 誰も彼女の素振りに気付いた様子がない。もうもうと上がる油の焼けた煙のせいか、はたまた米沢牛の魔力のせいか。


「まだ、二パックぐらいあるはずだぞ?」

「ありますけど、この野菜を全部片付けてからです」

「ええ? けちけちすんなよー」

「俺、まだ一切れも食ってないんすよ⁉」

「ふう……じゃあ持ってきますけど、野菜は片付けておいてくださいね」

「だってよ、和也」

「ええっ⁉」


 青年の皿に、野菜が生のままひっくり返された。目を丸くする室長を尻目に、条件を満たした最強の人類は、上機嫌で自作の「焼肉歌」を口ずさんでいた。


「えらく機嫌がいいのね。それとも、普段からこんなにおめでたいの?」

「そんな浮かれてるか、俺?」

「いや、ひどいっすよ? 初デートが上手くいった女子中学生みたいで。端的に言うと、キモイぐえ!」


 三枝の顔面を殴りつけながら圧の強い双眸で笑みに応え、


「久しぶりに、魔力なしで打撃を通されたんだよ」

「珍しいことなの?」

「一応これでも『人類最強』を背負ってるし、人類以外の連中はたいがい魔力を使ってくるからな」


 つまり「人類最強へ魔力なしの打撃を通す人間」という矛盾を突きぬける必要が出てくるわけだ。

 口ぶりから察するに阿古屋を指しているだが、はて、彼はそれほどの戦力を持った生き物だったろうか。

 そうだったとしても、疑問が一つ。


「どうして、傷つけられることを喜ぶの?」

「食事は美味い方が楽しいだろ?」


 野菜の山からスライスニンジンをつまみながら、なるほど、と納得。

 勝利を得ることが目的ではないのだろう。それは当然の結果であるからこそ、この大男は過程に意味を求めている。

 かつては違ったのだろうか。「最強」の看板を得る前は。

 ビールを空けると、三枝がおかわりを差し出しながら、


「けど、アコくん、そんなに強くなったんすか? 話だけ聞いてれば、ナナちゃんの方が影罪相手にしてたりで強そうっすけど」

「総合でいったら、雪のほうが全然強ぇ。ただ阿古屋は、この四年の全てを対人戦闘に注ぎ込んできてるだろ」

「いや、部活動をそういう言い方するの、抵抗あるんすけど」

「けど間違いじゃねぇ。ボクサーも空手家もサムライもガンマンも、急所は全員同じだ。人を殴り続けりゃ、いず撲殺に必要な手順が染み込んでいくもんだ」

「つまり、アコくんは対人類のエキスパートになりつつある?」

「素手ゴロに限ればな」


 嬉しそうに笑って大きな口にビールを流し込むと、それより肉だ、と子供のように喚きだす。

 呆れた風に居間へ戻ったしずるの手から、高級カルビの盛りつけられた皿を奪い取ると、迷いなく鉄板めがけてひっくり返した。

 油の弾ける重奏と怒とを完全に無視して箸を鳴らす木積は、やはり上機嫌で「焼肉歌」を口ずさんでいた。

 なんだかな、と吐息すれば、向かいの黒スーツも同じく肩を落としていた。目が合って、互いにもう一度、大きくため息を。

 気を取りなすように、マーカラが訊ねれば、


「それで? これから私はどうなるの?」

「まあ、うちの研究施設に預かってもらって、技術推進の礎になってもらおうかと」

「怖いことを、さらっと言うのね?」

「まあ、人類の命運がこの双肩にかかっていると思えば、ってのは言いすぎっすけどね」


 人のためにと、他者へ「実験材料にする」と真顔で言える男の精神状態を思って、影神は嘆息を禁じ得ない。

 が、それでも魔力が尽きて従うしかない現状では、語るべき言葉もなく。


「いつ出発するの?」

「明日の夕方六時っすね」

「ずいぶんゆっくりねぇ。大丈夫なの?」

「本当は今すぐ、といきたいところなんすけど、引き受け先と上の意向で、箱付きのトラックに結界をかけての移送となるんすよ。でも、急な確保で陸自は訓練で出払っているし、この辺のレンタカーは全滅だしで」

「明日の夕方にならないと、車両が確保できないてこと?」

「なんで、まあ、一晩ここに泊ってもらいますよ」


 え? と、辺りを見回し、


「この段ボールの底みたいな部屋で寝ろと?」


 ま、まあええ、というぎこちない笑顔が、やけに味わい深かった。

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