第三章:夕暮れ時に影を伸ばして

1:拳を交える理由の在処は

 綾峰の中庭に、影たちが伸びる。


 中央に倒れるものが一つ。

 それに銃を突きつけるものが二つ。

 高所で弓を構えるものが一つ。

 並び立ち尽くすものが三つ。


 主の意志を示すように、それぞれが長く、そして濃く。

 だとしたなら、とマーカラは吐息。


 ……私の影が、一番薄いかもねぇ。


 夕霞も、中居も、アニェスも、旭も、三枝も、そして汀・桔梗も。

 全員が瞳に力を込めて、思いを為すべく、膠着の中をにじり歩いている。

 果たして、自分はどうか。

 現状では力及ばないことを知り、それでもなお、桔梗を助けようと言えるものか。

 そうして助け、しかし、奪うことが全てだった自分へ、与えられる喜びを教えてくれた彼に報いる術など、あるものなのか。

 些細だが、迷う分だけ、そうでない全員に引け目を感じてしまう。

 状況は、遅れる彼女を尻目に、前進を続ける。


「言ったとおりだよ。さあ、弓を下ろして。別に、撃ちたいわけじゃないんだ」


 サングラスをかけなおす三枝・和也は、ため息を、物置小屋の屋根に立つ、弓を構える制服姿の少女へ向けた。

 受けた夕霞は、引き絞った弦を緩めることなく、


「言ったとおりです。あなたたちの翼は自由に飛べるほど大きくはなく、あなたたちが飛ぶ空は王者を許せるほど狭くはない……政治の舞台で弱者であるあなたたちが、政敵の目を恐れないことなど、ありえませんよ。

 凶悪犯がどうこうという偽情報は保険であり、梗くんを撃つのは最後の手ですよね?」


 しかし、三枝は即答を避けた。

 部下の中居が、様子を伺うようにちらと彼の顔を覗き込むが、まっすぐに夕霞を見上げる上司の真剣な眼差しに、言葉なく引き下がる。

 青年は、大儀そうに口を動かし、


「それは、そっちも一緒でしょ? 夕霞ちゃん、俺を撃ちぬく度胸、ある?」


 今度は少女が答えを避ける番となった。

 均衡がねじれの中にあることを確かめたところで、どちらも奥の手を引っ込めるつもりはない。

 さてどうなる、とマーカラは気楽な自問を。

 応えるように、


「こちらの要求を伝えておきましょう」


 もう一人の内閣特別調査室が交渉を切り出した。


「影神、マーカラ・カルスタインの引き渡しを、全面的に承諾してもらうことです」

「拒否した場合は……聞くまでもありませんよね」

「そうですね。そちらの二人は、やる気がパンパンのようですけど」


 彼女が指差すのは、前のめりになっているアニェスと、


「……どうして、アサヒはクラウチングスタートの格好なの?」

「愚かな質問ね、下乳! あのパイプバツイチが隙を見せたら、すぐさま揉めるようによ!」

「あれ? 今、私、胸部特徴で呼ばれなかった?」

「細かい話よ! 私だって、好物は若くて大きいセクシャルティ溢れるおっぱいよ! けど、食わず嫌いはしない! そう、細かい話だからよ!」


 半目で睨む元刑事の視線に気がついたらしく、


「なに⁉ もしかして聞こえなかったの⁉ 特別にもう一度だけ言ってあげるわ! わ・か・く・て・お・お・き……!」


 膠着一発目の怒りの銃声に、小さな人はマッハでマーカラの体に隠れた。

 交渉役は気を取り直して、案をぶつけるために、自らの要求を伝える。


「マーカラを諦めてくれませんか?」

「ついでにおっぱ……!」


 旭には二発目が応え、夕霞には三枝が嘆息混じりに言葉を返す。


「っていっても、君らは影神を憎んでるんじゃないのか?」


 少女らは、総じて言葉に詰まり、身じろぎ。平然としているのは桔梗だけだ。

 彼女らが、彼を傷つけた影神という存在に、好意を持っていないことは当然の話。桔梗がいなければ、おそらくは自分と敵対していたはずの子供らだ。


 けれども、今は手を取り合っている。影神とは不倶戴天である、影摘みのアニェスですら。

 ならば、と黒髪を夕風にそよがせながら、彼女は思う。

 汀・桔梗は、どうだろう。


 自分からあらゆる可能性を奪った影神を、恨んではいないのか。

 確かに「全てを救いたい」の「全て」には自分も含まれているようだが、それは信念であり、往々にして感情とは別の区画に門を構えているものだ。

 彼には果たして、矛盾があるや否や。


 ……まだ、生の声を聞いてないからねぇ。


 判断がつかない。それは、皆との間についた、覚悟の量の差分のせいだろうか。

 旭もアニェスも、迷いのない視線を交わしてはタイミングを取り合っているのを見ると、本当にそうなのかも、と考えさせられる。

 感心するとともに、疑問が。


 ……けど、アサヒは非戦闘員でしょ?


 しかし、とも思う。

 正直、この小さな人間の行動は、予想を遥かに迂回した先を行く。思い起こされるのは、昨夜の帰宅後に繰り広げられた凶行の数々。

 風呂にカメラを構えて奇襲をかける、小用を足している桔梗の背後から胸を揉む、深夜に何度となく部屋に忍び込んではアダルトなDVDを結構な音量でつけっ放しにしていく、などなど。

 そして、今はいったい何を企んでいるのやら。


 興味と少々の畏怖を込めてマーカラは、すぐにも次に移行するはずの状況を待ち構える。 

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