2:見据える先は、高く、白く

 グラウンドは、春の夕暮れに燃えていた。

 橙の一面を、黒々とした影が割り、伸びる。


 見れば、安物のスーツを着崩し、幾つもの缶バッチを止めるテンガロンハットを被りなおす巨躯が。

 圧すような双眸を逆光の中に隠し、土煙を巻き上げる足取りは不機嫌をあらわすように荒々しい。


 彼が‘あの’木積・剛だ。


 思い出される数々の噂に、阿古屋の背を流れる汗は、その意味合いを重いものへ変えていく。

 隣を見れば、構える年下の幼馴染もだ。

 腹を括って、肺にわだかまる固くて重いものを、吐息とともに押しだす。やると決めたからには、恐れは不要な安全装置にすぎないのだから。

 最強の男は、安堵しながら左右に分かれて道を作る警官隊の中央を通り過ぎたところで、


「よし、お前ら並べ」


 一八〇度、ぐるりと身を回した。

 ? と眉を跳ねるが、逞しい背中は何も語ってはくれない。

 向かい合う警官たちも戸惑っており、互いに顔を見合わせながらも木積に従うと、


「バカヤロウどもが!」


 手近な壮年が、約二メートルを殴り飛ばされた。

 敵味方の全員が声を揃えて、


「は?」


 呆気にとられているうちに、木積はその拳を次々に振るい、警官たちを残らず殴り飛ばしていく。

 最後の一人は、錯乱の末に発砲した若者であり、彼だけは五メートルを飛ばされた。


「警察の中はよく知らんがな、素手のガキ相手に銃を抜くよう教えてんのか? おお?」


 阿古屋は理解する。


「木積さん、お久しぶりっす、ん」

「おお、阿古屋。IH王者だって? 俺のおかげだな」


 探りの挨拶もヒット。

 彼に敵対する意思はない。怒りは、警官らに向けられていたようだ。

 だからこちらも、臨界まで助走をつけていた筋肉を、ほぐし冷やしていく。


「おかげって、さんざぶん殴ってただけじゃないっすか、ん」

「丈夫になったろ。今度メシでも奢れよ」

「アンタ、ひでぇ横暴っすね! ん⁉」


 豪快な笑い声で誤魔化すものだから、阿古屋も苦笑。


「とりあえずだ」


 男は少年に背を向けなおすと、倒れた警官の肩を揺らしながら、


「今回、俺はまったくやる気がねぇ。和也のバカはパンパンだったが、知ったこっちゃねぇしな」

「いいんですか、それ」

「いいもくそもあるか。あいつは一度、あの影神に圧勝してるんだぞ。それを逃がしたのはただの油断で、今はそのケツ持ちだ」

「確かに愉快な道理はないっすね、ん」

「だろ? っと、起きたか。他の奴らも起こせ。で、撤収だ」


 回復が早いのは阿古屋と雪にやられた面々で、よろよろと立ち上がると、木積に殴られて動かない連中を肩に担ぎ上げる。

 夕暮れの中で進められていく撤退準備は、どこか悲愴。

 なぜだろうと、胸に浮かんだ侘しさの理由を探していると、木積の背中が教えてくれた。


「ガキを囲んで、銃まで抜いて負けたからな。今日は、帰って呑んだくれるしかねぇさ」

「あぁ、そっか、ん……木積さんも? 格下に負けたら、ん?」

「百年はえーよ」


 肩越しに、笑みを浮かべてみせた。テンガロンのつばが影を落とすから、覗くのは口元だけだが、それでも十分に不敵は伝わってくる。


 勝てねぇなあ、と阿古屋は悔しく思う。

 経てきた時間の、質か量か。どちらにしろ、少年では男に勝る部分などない。

 無理もない話だ。

 強くあることへの意識が違いすぎるのだから。


 木積に近いのは、自分ではなく、おそらく雪だろう。少年の思想は自身を律するとこにあるが、彼と彼女のそれは相手を撃ち抜き勝利することを第一義としている。

 その、ずっと黙っていた幼馴染は今、


「逃げる気か、木積」

「あ?」


 己の思想に従い、最強に向けて挑発を放った。

 受けた側は、突然のことに虚を突かれたらしく、目を丸く。

 傍らでは、幼馴染の強い瞳から意図を悟って、少年が慄然となる。


「お、ん、ナナ、おい!」

 ……ミスった!


 予想しえなかった展開ではない。むしろ、確率は高かった。

 木積が敵対していないとわかって、気が緩んでしまっていたか。

 己の不覚を噛みながら、最強の人類の動向を確かめると、


「や、逃げるとか言われてもなぁ……」

 ……いけるか⁉


 戸惑いが強いのなら、どうにでも転がるだろう。

 だから、交戦を匂わせない言葉を選ぶことで、好転を図ろうとするが、


「アラフォーで喧嘩強いのが自慢なんて、子供が可哀想だ」


 雪の叩きつけが、一気に事態を悪転させた。


「あ……?」

 ……トーンの気圧が下がったぞ!


 このままでは台風どころか、竜巻をも起こしかねない。


 ……ここは、木積の味方について、戦闘を小規模に留めるのが最良か⁉ 大体、無闇に挑発する雪が礼儀知らずなんだ、理もあるだろ、ん⁉

 状況を収めるために高速で組み上げた最良の段取りだったが、


「と、アコが言っていたぞ」

「あ⁉」


 空手バカの嘘つきと、


「阿古屋てんめえぇぇぇ!」

「は⁉」


 本物の空手バカが、全部を台無しにしやがった。


      ※


 交渉は、互いの要求を明示するという第一段階を終えた。


 むこうは、マーカラを引き渡せと。

 こちらは、マーカラを諦めろと。

 平行線の立場を、摺り寄せていくのが第二段階だ。


「じゃあ、彼女を引き渡したら、君らの今の凶行を不問にしようじゃないか」


 確かに、ここでは弓を構え、グラウンドでは警官と戦闘状態に入っているだろう。傷害に、公務執行妨害やらなにやらが適用されるかもしれない。

 けれども、それはこちらの本命を取り下げるということだ。

 ちら、と地べたに座ったままの桔梗に目配せすると、満面の笑顔で見上げてくるから、


「それは恫喝であり、提案ではありません。それも下策です」


 迷わずに言い切る。


「そちらが武力を振るう背景には、架空の凶悪犯の存在があるんですよね。なら、こちらもその背景でもって、こちらとそちらの損害の理由とするだけです」


 矢じりをぴたりと定めて、弦と同じくまなじりを引き絞っていく。

 見上げて受ける三枝は、垂れがちで軽薄な瞳をサングラスに隠しており、その感情はわからない。けれどもへの字に歪む口元を見れば、余裕で溢れている、というわけではなさそうだ。

 ならば、と夕霞は反攻をかける。


「マーカラを、私たちが監視するというのはどうですか? もちろん、三枝さんたちへの報告は義務として」

「リスクの高さがネックだよね」


 黒いサングラスが、平然と赤い夕日を返す。

 日が校舎に沈みつつあり、周囲の影がこちらを呑むように大きくなりつつあるなか、三枝は諭すように、言葉を重ねた。


「何かあったとき、手遅れになる可能性が高い。その危険性に常にさらされるのは、梗さんなんだよ」


 言うとおりだ。が、本人を見やれば、微笑んだまま。

 風にスカートを揺らす射手は頷き返し、


「構いません」

「こっちが構うんだよ」


 ため息が、そのまま答えだ。

 とりあえずの妥協案だったが、双方ともに折り合いはつかず。

 さて、と次弾を模索していると、もう一人の大人が桔梗から銃口を外し、


「ずっと黙っているけど、何か言いたいことはないの?」

「僕ですか?」


 ちら、と盗み見る目が、やはり笑ったままの彼の瞳とばっちりあってしまう。

 気まずくて慌てて視線を外したが、耳はそちらに傾ける。桔梗の言葉がこちらの指針となり、判断材料になるのだから。


「じゃあ、ひとつだけ……三枝さん」

「ん? なんだい?」


 全員が注目するなか、彼は彼の真摯な思いを口にする。


「よくそんな無表情で、ユッカのパンツ直視できますよね」


      ※


 夕霞は自分を確かめる。

 いつもどおりの制服姿だ。春の夕暮れは浜風が強いからスカートは翻っており、弓を構えるから足は左を前にして肩幅ほどまで広げている。

 長射程武器を扱うセオリーとして高所を押さえているから、当然、相対者は見上げる格好になり……。


「……あ!」

「いやあ、尊敬します。僕なんかほら、もうずっと頬が緩んでしょうがないのに」

「ずっとニコニコしてたのは、そういうことですか⁉」

「そりゃそうだよ、ユッカ! ねえ、三枝さん!」

「や、いや……見えてるけど、今はそんな……」

「ああ、わかっていますとも! そのためのサングラスなんでしょ、三枝さん! 大人って辛いなあ! 男なら、あの卑猥な三角州に釘付けですよ! ほら、目をひろげて!」

「いやー! 見ないでー!」


 悲鳴と同時、狙いは三枝の眼球。

 歴戦の魔術師に反応の機会すら与えず、サングラスのフレームを弾いた。そのまま、青年のもみあげをほんのり削っていく。

 威力が鈍い音をたてて土に突き刺さることで、ようやく、三枝と桔梗は、


「「うわー!」」


 声を揃えて叫んだ。


「あれ⁉ ユッカ、僕もいるんだけど⁉ あっれ⁉」

「あの子、躊躇した⁉ 今、人を撃つことを躊躇ったすか⁉」

「まだ見てるー! 目を、目を潰さなきゃ……!」


 そう。視覚を失えば、情報は死んだも同然なのだから。

 狙うべきは、目だ。


「なんかおっかないこと言ってやがるっすよ⁉」

「さ、三枝さん、僕を助けて!」

「お、押すな押すな!」

「知ってます! それフリでしょ⁉」

「ちーがーうー!」


 押しあいへし合う二人へ、半狂乱の第二射、第三射を。

 後続も続々だ。三枝と桔梗にのみだが。危険を察した中居は、男二人からすでに距離をとっている。

 だから、桔梗の額に突きつけられる銃口は、今はゼロ。


「今よ! アニ!」


 機を突いたのは、蚊帳の外にいた八頭・旭。気づいた中居が視線を投げるまでに要したのは、一秒に満たない瞬間だった。だが、すでに手遅れ。


「描創と!」


 旭の叩きつけるような叫びに、


「忠心の!」


 アニェスが応えれば、


「「殺意装填ドレスアップ!」」


 夕暮れに呑まれていた中庭で、七色の光彩が拡散爆発した。

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