8:Runner
近づく夜に冷えはじめた春の夕暮れへ、彼らは火照らせた頬をさらしていた。
阿古屋は、春花の香りを掻きわけるように、校舎裏の非常階段を駆け下りながら、
「どうなってやがる……ん」
低く毒づく。
表情を揺るがせないままのアニェスが後を追い、
「盗聴器は壊したぞ」
「だからおかしい、って話か。昼には、よく食堂で見かけるけどな」
さらに、マーカラの手を引く雪が、不思議顔で続く。
桔梗が三枝の名を叫んだ瞬間に、彼らは逃走に移行していた。ほぼ間違いなく、マーカラを襲撃したスーツの男であり、遭遇したなら対立状態になるのは決定項だ。
少年らがコンクリート打ちの階段を踏むたびに、吹き溜まった桜の花びらが舞い上がる。
桜吹雪は踊り場に至り、
「自分たち以外に用がある可能性はないのか?」
「そうなら心底助かるぜ、ん」
どうしたもんか、と坊主頭をさすっていると、
「そんなに悩むのに、私を引き渡さないの?」
追従していた女が、こちらの思惑を無視して問いを作った。
あのなあ、と、足を止めて振り返った阿古屋は肩を落とす。
……ならどうして、昨日あんたを助けたんだ。
その意思を教えようと、人差し指を立てたところで、
「よく聞け」
先んじて、アニェスがその胸倉を捉えた。迫る影摘みに、しかし弱った影神は微笑で答えるから、握る拳はいっそう力がこもっていく。
「キキョウが救うと言った。だから、自分はキキョウのために貴様を救う」
鉄面皮は、青い瞳で金眼を射抜く。
しかし影神は動じず、ゆっくりと己の白い両手で少女の腕を包むと、
「それは助かるわぁ。私だって、死にたくないもの」
力でもって引き離した。
魔力総量の差がそのまま戦力差となるカゲツミであるから、影神と影摘みでは前者が数倍に勝る。
ゆえに、膂力は完全にマーカラが上だが、弱っている現状ではほぼ互角。
睨み押し合う人外の戦闘種らは、本能に従って負けることを良しとしないのだが、
「いい加減にしろ、ん。あれ、見えねぇのか」
阿古屋は予断の許さない状況に追い込まれていることを悟るから、質の違う美形二人に、グラウンドの狭い通用路を指差してみせる。
四台ほどのパトカーが法面を利用して道を塞ぎ、その三倍ほどの紺の制服姿が現れていた。
「見えている」
「じゃあ、あれはなにか知っているか? ん?」
「バカにしているのか? テレビで見たからな。あの特徴的な白と黒のツートンボディは」
「ツートンボディは?」
「パンダだ」
自慢のハンドスピードが、銀髪をはたいた。
「なら……牛か?」
「いいから!」
「しかしユキ……」
「いや、いいから!」
不憫に咽ぶ顔の雪がアニェスの肩を抱くと、彼女は鉄面皮のまま言葉を止めた。
阿古屋に並んで裏門を見やるのは、
「警察でしょ? あの色合い、万国共通だわ」
「正確を期するなら、三枝さんの手駒の一つだ、ん」
「へぇ?」
少年には政治の、さらに裏側に存在している内閣特別調査室がどれほどの権力を持つかなど、正しくは知りようもない。
ただ、四年前に見た事実は確かだ。
陸上自衛隊、警視庁とは協力体制にあるらしく、現場の指揮系統は頂点に三枝を据えていた。それは防衛省と警察庁に影響力を持つという意味であり、武力と正義とを両手に構えているということ。
大人らしいな、というのが少年の感想だが、負けるわけにはいかない。
「あいつらは、俺と雪とで引きつける。あんたは、アニェスと中庭を目指して逃げてくれ」
「勝算は?」
「ユッカが援護してくれる。そのために分かれたんだ、ん」
「キョウさんは?」
「中庭で合流だが、最悪は見捨てていい」
「どうして?」
「向こうさんに、どうこうする理由がねぇ」
「なるほど、完璧ね」
「どこがだよ、ん?」
こんなものは計画なんて言わない、ただの段取り。
四年前の桔梗を思い出せば、子供の遊びだ。時間があればまた違う手もあるだろうが、奇襲に近い状況では、場当たり的な対応が精一杯。
ふがいなさに目を細めると、
「だけど、これが最善手なんでしょ?」
「足りない分は、武闘派に頑張ってもらうだけさ、ん」
互いに微笑み合うと、ほんのりと浮かんでいた警戒という壁すら、楽しく思える始末だ。
右の拳を左の平に叩きつけ、
「よし、いくか!」
少年たちは散った桜を巻き上げて、階段を駆けおりていく。
※
なるほどな、と颪は納得と呆れを絶妙に混ぜ合わせた調子で、頷きを見せた。
廊下を走りながらの感想は一つ。
「またかよ。また、めんどくせぇ事に首を突っ込みやがった」
すると、並走する旭が見上げて、
「言ってやりなさい、ウッチー! 突っ込むのは股間の粗末なものだけで十分だって!」
「粗末はひどいよ、八頭っちゃん! せめて可愛らしいとか、恥ずかしがり屋さんとか!」
「おい。おい、お前ら! てか、八頭、お前……!」
「くく! 男女が同じ屋根の下で暮らす……! 年頃として、当然風呂を覗くでしょ!」
「逆だ!」
……こいつらは、ほんとに!
眼帯を指で直すと深くため息。
アニェスと出会って四年、彼らが共同生活を始めたのもその頃だ。
負傷した桔梗が一人暮らしをしていると聞いたアニェスが、世話を名目で上がり込み、次いで家出をした旭が転がり込んだと聞いている。
そんな事態となった原因の一極が、たった今、美術部の指鉄砲に局部を撃ち抜かれた三枝・和也だ。
考えの違いから、協力できなかった相手である。
片や人を守ると。
片や全てを救うと。
そして、今回も影神を巡っての接触。だから、
「やっぱり、目的は彼女だよねぇ」
桔梗の呑気な言動に、苦笑してしまう。
「しかねぇ。それしかねぇだろ。三枝さん、お前に用があるって言ってたしな」
「なんとかならないかなあ」
眉を寄せる生徒会長に、会計と書記は顔を見合わせた。
何を言い出す気かと身構えれば、
「三枝さんも、好きでこんなことしてるわけじゃないでしょ? だからさ、話しあえばなんとかなる気がしない?」
「どう⁉ 理系の颪としては⁉」
「やめた方がいい。テメェで処理できねぇ問題を丸投げする癖、お前らやめた方いいぞ」
辿り着いた階段を、一段飛ばしで駆け下りていく。
三人は裏門を目指している。旭の言葉が真実なら、阿古屋が段取りをしてくれているはずのルートだ。昇降口を経由している暇はないだろうから、上履きのまま非常口から中庭を経由していく近道を選択することになる。
通路を脳裏で確認しながら、表側では桔梗に応える。
「お前だ。被害者はお前なんだ。『実被害が出た』という言い訳で『お前を助ける』という名目で、そのマーカラを捕まえに来ている」
「つまり、梗さんは避妊具みたいなものね!」
「ん? どういう意味だ?」
「当たった時の言い訳よ!」
「あっれ⁉ 当たるのが前提の話になってない⁉」
けどそっかー、と難しい顔でため息をつくから、諦めていないことを知れる。
颪は、彼が放棄しないのであれば、手段を講ずるに引け目はない。
「まあ。けどまあ、手は打つか」
「え? どうにかなる?」
「結論だけなら、交渉のテーブルと、こっちが切れるカードを用意すりゃいい。上手くいけば、監視対象ってな程度で収められるかもしれねぇ」
「率は悪そうね」
「相手がな。相手を考えろよ」
全員が納得し、
「具体的に、僕はどうすればいいのかな?」
「駅前だ。件の影神を連れて、裏門から駅前に向かえ」
わかった、と頷く桔梗が発する。
「じゃ、頼むよ」
彼と同じ名の秋花をあしらった眼帯を整えると、鋭角のまなじりを喜に上げて
「任せろ。任せておけ。たまには、武闘派の女連中にいいとこ見せないといけねぇしな」
「あれ? 張り切ってるなあ。三枝さんになにか言われたのかな?」
ずばりを問われた颪は、
「いいや。いいや、言ってやったのさ。俺たちをナメるな、ってな」
に、と笑った。
一階のフロアを踏むと、彼らは目的を果たすために二手に分かれ、加速する。
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