7:宣戦の布告の仕方

 踊り場の明かり取り用の窓から、落ちていく夕日が見下ろしていた。


 瀬見内・颪は目を細めると、長い影を背に伸ばして階段をのぼっていく。

 放課後特有の、局地的な静寂と喧騒が耳を掻き混ぜてくる。

 特殊教室では文化系が、体育館やグラウンドでは体育会系が、そろそろ慣れてきた新入生を交えて部活動に勤しんでいるのだろう。


 だから、通常教室棟の静けさが際立つのだ。

 颪は、眼帯の位置を指で直し、


 ……なんだか落ちつかねぇな。


 と、放課後の空気に慣れていない自分に苦笑。

 対して、並んで階段をあがるスーツ姿の随員には、緊張も好奇心もない。


「さすが。さすがだ、三枝さん」

「ん? なに、いきなり?」

「通報だろ。涼しい顔で校舎徘徊……正直、通報レベルじゃないか」

「人聞き悪いなぁ」


 しかるべき手順は踏んであるよ、と唇を尖らせる三枝は、


「君こそ、こんな時間に登校なんていい根性じゃないか。瀬見内・颪くん」

「お?」


 意外だった。

 内閣の重要人物の一人が、こちらの名前を知っていることに。

 逆ならともかく、また、汀・桔梗やアニェス・マグリートならともかく。


「名前。俺の名前、覚えてた?」

「……君、自分の顔を見たことある? どこに、そんな眼帯つけた学生がいるんだい? 当時は中学生だろ?」

「なるほど。なるほど確かに」

「まぁ、気持ちはわかるけど」


 夕映えの中、踊り場を回って、今度は顔に影を背負わせる。

 だから、横目で盗み見るくらいでは表情を知ることはできなくて、まじまじと見つめてしまう。


「弓道部エースの夕霞ちゃん、全中チャンプのアコくんとナナちゃん、オールラウンダーの梗さん……そうそうたるメンバーの中で、確かに君が、一番目立たなかった」

「まあな。まあ、しょうがない」


 事実だから、半笑いで肩をすくめるしかない。

 眼帯を巻いた上に、美形ながら造型が鋭いものだから完全な強面。だというのに、喧嘩はからきし。仕事の関係から筋力はあるものの、大体からして人を殴った経験など皆無だ。

 だから、四年前に一度会ったきりのこの青年が、こちらの名を覚えているとは、考えてもみなかった。

 そのうえ、


「モトクロのチャンプも、小学校の頃の話だし」


 まさか、の角度。古すぎて、自分の中でも風化が進んでいた話だ。眼帯の奥がずきりと痛むから、無理に笑みを作って、


「それも? そんな話も知ってるのか」


 脂汗は背中にかく。


「君らメンバーの経歴は、一通り、ね。みんな、よく応援に来てたって聞いたよ? 梗さんが一番熱心だったとか」

「なら、この眼の話もか?」

「レース中の事故だっけ。無論、ライセンスは没収」


 しかし、変調はそれまで。

 幻痛は消えうせ、汗も止まった。

 なんせ、


「昔の話さ。もう、ずっと昔の」


 かつては、それはそれは失望した。思ったことが現実になるなら、幾度世界が滅んだことだろう。小学生の分際で授業をふけては窓ガラスを割って歩いたり、自分の愛車に火を付けて壊したりもした。

 けれどもう、ずっと昔の話だ。


 だから、何事もない。今の自分を構成する重要なパーツではあるが、憧憬や懐古を持ち合わせてなどいない。

 今の自分が好きだと、てらいなく言えるくらいには。

 こちらの笑みが変わったことに気づいたのか、


「偉いよ。一度でかい栄光を手にしたら、すがってしまうのが人間だ」


 滅多にできることじゃない、とまっすぐに讃えてきた。

 言うとおり、難しいことではあるが、だとしても自分の手柄ではないことを、颪はわかっている。


「だとしたら。だとしたなら、梗さんに感謝だ。あいつのおかげで、俺は新しい夢を見つけたからな」

「……そっか。君も、汀・桔梗に救われた一人か」


 顔は影になってしまっているから、機微がわかるはずもない。落ちた声音に、落胆にも近い不機嫌を悟るばかり。

 疑問の隻眼で見やれば、三枝は口元に苦さを浮かべ、


「何もかも救いたいんだろ、彼は。まともじゃないし……正直、反吐がでる」


 厳しい言葉と同時に、階段が終わった。

 がらんとした廊下を左に折れ、「たーすーけーてー」が風に乗って聞こえてくる渡り廊下へ。

 その間、互いに言葉はない。が、颪は苦笑いを堪えきれず、つい声をあげてしまう。

 意外と怪訝を眉に寄せる三枝に、


「言うとおり。まあ、言うとおりさ。とりあえず、あいつの両親は救われてねぇ」

「なんだよね……っと、到着かな?」

「三枝さーん! は、早くー! 新境地に目覚めそうです!」


 揺れる声が大きくなるにつれて、三枝の顔は顎を突き出して「めんどくせぇ」に近づいていく。

 それでもサッシに巻きつけられている荒縄を手にとると、窓から体を乗りだして、


「久しぶりなのに、相変わらずだなぁ」

「ほんと、みんな元気すぎまして」


 挨拶に、姿の見えない桔梗の、やけに明るい返事。敵意害意がまったく見えない声音に、数秒前まで「反吐がでる」とまで言っていた青年も苦笑。


「その親分がよく言うよ。あ、こら、暴れるな!」


 器用にロープを手繰ると、見もせずに後ろへ投げていく。そのペースは、桔梗が痩躯であることを鑑みても、常人のものではない。

 ほう、と感心して見つめていると、ふと横を忍び足で通り過ぎる、小さな人影が。


「ん?」


 大きな瞳に真剣を詰め込んだ生徒会会計で、口元には人差し指を立てている。

 黙れ、という合図なのは察するけれども、さて、忍び足で三枝に近づいていく意図がわからない。

 そんな少女に目を奪われていた隙に、窓縁に桔梗の手がかかった。


「いやあ、助かりましたよ。アニさんがもう、こういうプレイにハマっちゃいまして」

「おいおいおい。影摘みとナニをしているのかな?」

「ははぁ、ナニと言えば……おや?」

「うん?」


 腕を引かれながら顔をのぞかせると、ばっちり旭と目が合ったらしく、長めの前髪を揺らして小首を傾げた。彼の様子に気づいた三枝も、訝って首を回す。

 この時既に、彼女の両手は握り合わせられ、人差し指だけが立った状態にあった。


 颪は全てを悟る。

 旭の悪魔のような意図を。

 三枝がその意図を回避しえないことを。


 少女の震脚が響き、全身が捻られ、


「南ぁ無三っ!」

「にっ⁉ いぃ……!」


 気合い一閃、小さな指にありったけの一撃を込めて、内閣特別調査室長の肛門へ突き込んだ。

 スーツ姿が、びくんと跳ねて背筋が伸び、わなわなと震えながら膝から崩れおちる。


「うわぁ……第二関節までいってたよ……?」

「なんだ⁉ おい、旭、何事だ⁉」


 当然の疑問だが、指を構えたままの旭は完全に無視して、倒れた被害者へと近寄り、


「これが宣戦布告がわりよ!」


 容赦のない二撃目を放った。

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