6:罪の重さと罰の形と

 誰かの泣きじゃくる声に、彼は目を覚ました。


 霞む目にうつるのは、夕日に染まり始めた白い天井。

 鼻をくすぐるのは消毒液の匂い。

 どこ? の疑問は声にならない。

 おや? と思って鳴き声の主を探せば、緩く波打つ茶髪を束ねた少女が、彼の手を握って額に押しあてながら号泣していた。


 初めて見る幼馴染の横顔に、少年は嘆息する。

 終わったんだなあ、と。

 言葉ほどの感慨を得ることもできないままに。


      ※


 覚醒から二ヶ月後。


「以前の生活を取り戻すのは難しいですよ」


 いくつかのパターンテストを繰り返した結果を、医師はそう表現した。

 頭蓋陥没の折に脳が損傷を受け、認識と集中力に、甚大な影響を与えている、とのことらしい。

 それを聞いた両親は泣き崩れ、言葉を重ねて彼を責め立てた。

 少年は、謝るしかできなかった。


      ※


 四ヶ月の入院生活の終わりの日。

 寒梅の香りが漂う病院前に出迎えてくれたのは、あの日一緒だった彼の友人たち。

 かつては暗い顔をしていた彼らだが、その日は全員が「おめでとう」と笑っていた。

 だから、彼も笑って応えた。


「ありがとう」


      ※


 無意識がまどろみに向かう契機は、顔を撫でる湿った柔らかさと、耳をくすぐる水音だった。

 細い体にのしかかる、布団にも似た重みが心地よい。

 寝ぼけたまま思わず両腕を回して、


「あら?」

 ……おや?


 顔の愛撫がやみ、声が間近から聞こえた。

 霞む目をあければ、


「おはよ」


 口元に血を滴らせたマーカラが、猫目の形がわかるほどの極至近で笑っていた。

 見渡せば、無人の保健室が。

 ……ああ、ナナさんに殴られて。

 汀・桔梗は状況を理解すると、


「で、あなたは何を?」


 同じベッドの中でマウントポジションをとっている影神に、微笑みながら首を傾げてみせた。

 女は長い舌を見せつけるように、


「鼻血を舐めてたわ」

「なんですって? くう、なんてハイハードルな趣味なんだ! 僕だって負けませんよ! えーっと……ダメだ! どうしても乳の下側しか思いつかない!」

「元気ねぇ……流れてたから、もったいないってだけよ」


 血液の中の魔力を喰っていたと、言っているのだ。

 はあ、と納得して、枕にひどく重い頭を戻す。

 失血のせいだろうか、それとも昔の夢のせいだろうか。

 どっちもだろう、と結論すれば、


「うなされていたけど?」


 少年の顔色に気付いたのか、影神が頬に手をあてがってくる。

 ああいけない、とすぐに頬の張りを取り戻すと、


「顔をペロペロされて、いい夢を見てましたよ」


 冗談を込めて、嘘をつく。

 つかれた彼女は、厚い唇を笑う形のまま、金の目をすっと細めた。


「あの子らが心配する理由がわかるねぇ」


 なぜです? と、返すよりも早く。

 保健室のドアが開かれ、


「キキョウ、ユキにまた殴られたらしいな。だいじょ……っ⁉」

「あら」

「やあ、アニさん」


 アニェスはそのまま凍結。

 ベッドの中で抱きあう男女が朗らかに挨拶するも、ヒビの入った鉄面皮は、すぐにドアを閉めて姿を隠してしまった。


「あっれ⁉ おーい、どうしたんだい⁉」

「馬鹿ね、キョウさん。あの娘、妬いてるのよ」

「なんだって⁉ 大丈夫だよ、アニさん! アニさんにも、鼻血舐めさせてあげるから!」


 と、ドアが開いた。

 正確には外された。


「おいおい、アニさん! 人間界も長いんだから、ドアの開け方くらい……あれ? どうして外したドアを担ぎあげてるのかな……うわー! それシャレなんないよ!」

 回転のついた二〇〇×一〇〇の木の塊が、保健室の窓を大激怒に任せてぶち破っていった。


      ※


「よし、定例生徒会を始める」


 夕刻の迫る空が映る窓を開け放って、アニェスが宣言した。

 長机には上座から、


『生徒会長 汀・桔梗みぎわ・ききょう(二年)』

『副会長  阿古屋・透あこや・とおる(三年)』

『副会長  アニェス・マルグリート(二年)』

『書記   瀬見内・颪せみうち・おろし(三年)』

『会計   八頭・旭やず・あさひ(二年)』

『平    凍沢・夕霞しみさわ・ゆうか(三年)』

『実働隊長 七目・雪ななつめ・ゆき(二年)』

『ペット  マーカラ・カルスタイン(猫)』


 と、それぞれの役職と氏名が書かれた黒の立体プレートが並んである。

 そのうち、生徒会長と書記の席が空白だ。


「シータと一年は、朝の所業に怯えて欠席よ!」

「颪くんは、今校門に着いたそうですから、もうすぐ来るはずです」

「んじゃあ、会長! 今日の議題をどうそ! ん!」


 阿古屋は、右前方に伸びる渡り廊下へ向けて声を張れば、


「まず、僕をここから下ろすってのはどうかな⁉」


 荒縄で三階から吊るされる桔梗の声が、校舎全域に響き渡った。下の駐車場では、指をさして笑っている教員が数名。

 彼の必死に応えるのは、吊るした張本人であるアニェスだった。


「否、保健室で破廉恥な行為に及んでいた罰だ。諦めろ」

「まあ一応、多数決を取ったらどうだ? まがりなりにも、生徒会長が提示した議題だ」

「ナナ、そんなことしたら梗さんのためにならないわ! あんなに面白いのに!」

「確かに、ん。俺は反対で、アニェスも反対」

「言い出しっぺだけど、俺もだ」

「ちょっと! 皆、酷すぎますよ!」

「くく! 大勢が決したから、好感度稼ぎ⁉ 感度がいいのは胸だけにしときなさいよ!」

「ななななに言ってるんですか!」

「おーい! 君たちの悪いとこは、当事者をないがしろにするところだよ!」


 第一議題、終了。


「じゃあ、次の議題だな。ん」

「その前に、朝に遅刻した理由を報告するのよ!」


 立ちあがった旭が、小さな指を向かいに座るアニェスに突きつける。

 全員に注視された彼女が、


「安心しろ。盗聴器は壊してある」


 指の先に、砕けたゴマのような物を乗せてみせた。目を凝らせば、それが精密機器であることは知れる。


「しかし、毎度毎度、三枝さんも飽きねぇな。ん」


 阿古屋が、腕を組みながら苦笑い。

 全員、三枝・和也さえぐさ・かずやを知っている。それは四年前に接触した政府の人間であり、「魔術を使う」というでたらめな能力者であり、少年らの敵対者であった。

 彼が行う情報収集の手段は、シンプルな盗聴。

 少年らが監視対象となり、アニェスが保護下に入ってからは、接触するたびにこっそりと仕掛けられるようになった。


「今回も、こちらの髪の毛に紛れ込ませてあった」

「いつも思うんだけどな、女にこういうの付けるアイツの神経ってどう思う?」

「まあ、トイレとかお風呂とか、全部筒抜けになると考えると、女の敵ですよね」

「待って! よく考えて! アイツ、男にも付けるわよ! これってつまり……!」

「は⁉ なんてこった、ん! ‘ラブマスター’恐るべし……!」


 生徒会員が螺旋式に会話を巻き上げていくのを、影神であるマーカラは、一切口を開かずに、微笑みながら眺めていたのだが、


「一時、キキョウのことを執拗に訊いてきたことがあって、しばらくしたら訊かれなくなったな」

「そんなの、もうテッパンじゃない!」

「そんな……男同士なんて、男同士なんて……!!」

「梗くんが……! 梗くんのおしりが……!!」

「ユッカもナナも落ち着け! 失われたモノじゃなくて……明日を見るんだ! ん⁉」

「アコにしては良い事を言ったわ! 次は……シータね!」


 どうも着地点を見失ってしまったようだ。

 だから、


「そろそろ次の議題にいかない?」


 微笑む女は痺れを切らして、会議の進行を促す。

 全員が、はた、と自分を取り戻して「お、おう。そうだった」という顔で席に戻った。

 阿古屋が咳払いし、


「んじゃ、盗聴の心配がなくなったとこで第二議題だ。ん」


 視線を投げてよこした。


「新メンバーの紹介。桔梗のペット、影神マリスのマーカラさんです。ん」

「はーい、よろしく」


 明るく挨拶をしてみるが、拍手はまばら。


 ……ま、友好的に、とはいかないのはわかっているけどね。


 最初は、彼らの精神的支柱である、汀・桔梗を喰おうとしていたのだから。

 特に、本来であれば影神の存在を許さない影摘みの少女は、碧眼に力をこめる。

 けれど、マーカラは気になどせずに、


「で、アコ? 昼に言いかけたこと、聞いてもいいの?」

「なんだっけ? ん?」

「私を襲った、スーツでサングラスの男の話」


 と告げれば、全員が同情のため息をもらした。アニェスまでもだ。

 ……え? なに?


「そいつぁたぶん、いま話になった三枝・和也だ、ん。無茶苦茶強かったろ?」

「不意を討たれたこともあったけどね、逃げるので精一杯だったわ」

「サエグサは今、貴様を探している。自分は知らんと嘘をついておいたから、こうして盗聴器を壊す必要があった」

「もし居場所を知ったら飛んでくるだろうし、そうなりゃ、弱ってるアンタを俺らは守ってやれねぇ。ん」

「それはありがと」

「キキョウのためだ。貴様の感謝は必要ない」


 あらそう、と微笑むと、


「あ! ウッチーに三枝さぁぁん! これはいいとこに! ちょっと助けてくれません⁉」


 外のハングドマンが、話題の名前を全力で叫んだ。

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