8:正しくあるために、何を供犠とすればいいのだろうか

 うはあ、とか、うひぃ、とかいう楽しげな奇声に、影神はさすがに口が塞がらない。


 ……恐ろしくないの?


 相対する彼我ともに、撃滅を目標に威力を放っている。特に、影摘みの少女が放った衝撃波は、ごく狭い領域ではあるがアスファルトを切る程だ。

 人の身では、致命所に足る。

 だというのに、笑いながら近づいて、あろうことか甲冑の上から胸を揉もうとしている。

 まさに、正気を疑う情景だ。

 鉄面皮が、さすがに困惑を眉根に寄せて、


「キキョウ、放せ。このままでは隙だらけだ」

「大丈夫だよ。ほら、かかってこないじゃないか、というか、これ楽しいなあ」


 アニェスが体を振ると、少年の痩躯は軽々と右に左に振り回されて、そのたびに、やはり楽しげな奇声があがる。

 その折に見えるのは、彼の左肩の、


「……傷?」


 その肉は大きく抉られていた。よく見れば、傷は胸部にまでいたり、かなりの筋肉が削がれているのがわかる。古い傷だから、すでに痛みもないのだろうが、それでも欠けてしまって戻らないことには変わりがない。

 それもあれほどの傷なら、バランスが悪くて機敏に動けず、筋肉が足りなくて運動量も出せない。

 間違いなく、非力な存在だ。

 その無力を、最もよく知るのは本人であろうはずなのに、


 ……どうして、平気で飛び込んでこれる?


 カゲツミ同士の戦いは人知を超える。大半の人間は、破壊の威力に怯えるだけだ。中には腕に覚えのある輩もいるが、九割方は勘違いで命を落とす。残り一割は、影摘みの協力などを得たり異常な能力を有する「人知を超えた人類」である。


 だが、汀・桔梗はどれとも違う。

 前には出るが己の無力をよく知り、無力である故に「人知を超えた人類」には成りえず、無力と知って臆すことない。

 思えば、命を吸われると知って、自ら唇を重ねてもきた。


 ……恐ろしいとは思わないのか?


「思わないんでしょうねぇ」


 いったい、何故? 

 自分は死を恐れるからこそ、強者として、弱者である少年の命を奪おうとした。

 それが自然であり、当然だ。

 が、彼はそれに抗い、与えることに躊躇を見せなかった。


 ……何故?

「それがわかれば」


 思わず独りごち、ばつの悪そうに目をあげるが、敵対者たちは楽しげな行為を続けていて、聞こえた様子もない。

 だから安心し、薄く自嘲しながら言葉を続ける。


「救いに報いる理由と手段を、知ることができるのかしら」

 ……ついさっきまで喰う気でいたのにねぇ。


 命を得るために奪おうとしていた人間に、逆に、命を与えられた。

 事実を噛みしめると、ならこの感情はなんという名なのだろうか、と自己回顧。

 興味、だろうか?

 近い気もするが、遠い気もする。

 さて、と疑問を強めると、


「傷つけあって、何になるというんだ」


 件の少年の口が、意味のあることを真剣な声音で発した。

 思案を止め、目を細めながら見つめると、


「確かに、世界のスタンダードは『勝ち、得る』だよ。競争主義にとっては重要で正しいことだけど、なら『憎いから倒す』は正しいことかい?」

 向かいあう影摘みは困惑を深めて、自分の腰元から外界を覗いて、綺麗事を吐く主に眉をひそめている。

 はて、なら自分は?


 ……別に、この影摘みが憎いわけでもないしねぇ。


 苦笑を見せると、


「だから武器を捨てよう」


 その申し出は構わない。だいたい、こちらは最初から無手だ。

 目をしならせながら両手を見せると、桔梗は意図を察したらしい。

 うん、と一つ頷きを見せると、


「僕に考えがあるんだ。少し待って」


 皆が、? と首をひねる中、にこ、とやけに明るく笑い返す。ほどなく軽い足音が二つ近づいて、


「油持ってきましたよ! って、梗くん抜けてる⁉」

「ナイスタイミング! さあ、オイルが到着したし」


 両手に一斗缶を下げた夕霞と旭が、息をせって現れた。

 やはり皆の疑問符は取れないままだが、少年は構わず親指を立てて、


「キャットファイトで勝負を決めよう!」


 とびきりに頭の悪い発言をぶちまかしてきた。


      ※


 ……は?


 とりあえず言葉の意味がわからないアニェスだったが、その不穏な響きに、思わず眉根と瞳を見開いた。

 こちらの反応など見えていないのか、彼女が守ると誓った半裸は、生き生きと説明を続けている。


「体を油まみれにして、くんずほぐれつのガチンコバトルですよ! 素手ゴロなんで、怪我の心配もなし!」


 ふむ、


「ユニホームは水着で色は自由! 上気する肌に、荒げる吐息、そして食い込んではズレていく小さな着衣……! ポロリもあるよ!」


 やはり、良くないことだった。

 ちら、と影神を盗み見れば、まだ驚きに固まっている。

 ヌルい輩だ。これしき、日常にほんのりスパイスを振った程度だというのに。

 とはいえ、彼の欲望丸出しで収納の素振りがない言動に、突き合う訳にもいかない。


「否……」

「けしからん!」


 拒否の言葉を掻き消したのは、阿古屋・透の怒声だった。


「まったくもってけしからん!」


 両手を広げ、全身で怒りをアピール。桔梗の愚発言の余波も消えないうちの激情のため、周囲は忘我のまま、生徒会長に歩みよる副会長の挙行を見守る形に。

 アニェスは冷静に頷き、


 ……トオルなら大丈夫だ。


 グループ最年長の一人であり、比較論上は常識派だ。部活では後輩の信頼も厚く、友人も多い。当然人心をよく知るだろうし、幼馴染に物言いすることにためらいもない。


 ……彼に桔梗の叱責を任せて、自分は影摘みの本分へと立ち返ることにしよう。


 思い、影神に向きなおろうとして、

「なんで早く言わないんだ! カメラが準備できねぇだろ! ん⁉」

 ……は⁉


 勢いよく、顔を向け直すと、動画撮影に切り替えた携帯電話を構えている。


「そうよ、梗さん! さっき戻った時、水着も用意してきたのに!」

 ……は⁉

「やめましょう! いくら、アニェスさんでも、こんな所ではしませんよ!」

 ……は⁉


 こんなところも何も……というか、ユウカの中で自分はどんなことになっているんだ⁉

 わかったことは、仲間の全員が自分と違うものを望んでいる、ということ。

 かくなる上は非常に不本意であるが、同じ被害者候補に恃むしかない!

 と、鋭く視線を投げやった瞬間、黒衣の女は笑っており、


「キミとならいいよ?」

 ……は⁉


「僕ですか⁉ それはもう、キャットファイトどころの話じゃなくなりますよ⁉」


 何を言っているんだ、貴様らは!

 渦巻き立ち昇る狂気に取り残されて、アニェスは覚えた目まいに、額ごと手を当てる。


 ……どうなっている。


 いつも通りといえばそれまでだが、腑に落ちない点が一つ。


 ……何故、貴様は平然と輪の中に入れる……⁉


 自分であっても、あの魔界のような惨状に飛び込めるようになるまで、一年はかかった。現状、取り残される始末なほどだ。重ねた時間が増した分だけ当時よりも魔界度は上がっているだろうし、やはり、影神の言動は特異を通り越しているのではないか?


 ……そうか。


 結論は一つ。


 ……精神操作、まではいかないが、精神誘導か!


 であれば、会話の流れは彼女にとって望む誘導の結果であるから、殺意さえ感じられる螺旋式アッパー会話のただなかにあっても、平然としていられるのはまったくの道理だ。内容が普段とさして変わらないことには目をつむろう。

 そして、こちらが会話に取り残された理由にもなる。


 ……自分が影摘みだからだ!


 ならば、すべきことは一つ。

 皆を助けなければ。優先順位は、キキョウが一番、他が最下位だ。万が一を考えると、桔梗に最も距離が近い阿古屋は、排除する必要がありそうだ。いつ洗脳が完了して襲いかかるかわかったものではない。


 ……否。彼だけではないだろう。継続性のある能力ならば戦後も危険であり、あらゆる危険は排除されなければ! よく気がついた、自分! さすが四年も実地で戦闘を続けているだけはある! そう、些細であっても疑いは根から切り取らなければ意味がない!


 大剣を担ぎ直すと、


「自分はキキョウを守るためにここにいる!!」

「あれ⁉ 切っ先、こっちに向かってない⁉」

「おかしくね、ん⁉ 発言も大概アレだけど、どっちにしろおかしくね⁉」

「今、お前たちの目を覚ましてやる! だから、落ち着いて殴られろ!」

「「うわーっ!」」

「逃げてー! アニェスさんの正気度がゼロになってますよー!」


 夕霞の声が、スタートの合図。

 汀・桔梗発案の「異種間キャットファイト」は強制中止となり、代わりに、無手の高校生と完全武装のカゲツミによる「夜の校舎で捕まえて(後、大剣によるお目覚め打撃)」が、悲鳴とともに開始された。

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