7:校門の会
「まさに『校門に肛門』だけに『カイチョーにカンチョー』だと思うんだよね。特に小等部の子らは」
長めの前髪が視線を隠すから、桔梗が纏う悲愴感が大きく見える。
アニェスが放った衝撃波によって破られたワイシャツが飛び散る中、彼の体は門のスリットに挟まって動けないままだ。
「ほ、本当に抜けませんよ、これ!」
「いいんだユッカ……僕はここで、ずっと君たちを見守っているから……」
「こんなくだらないことで、最終回みたいな空気を出さないでください! ほら、じっとして! ひっぱりますよ? せーの」
「痛い痛いたたた! 千切れる! 本当の意味で、下半身が一人で立っちゃう!」
「うーん無理かあ……何か、滑る物があればいいんですけど。ロー……」
「ローションね⁉」
「ローソクです!」
「身動きのできない梗さんに⁉ ユッカ、鬼畜ね……!」
「ちーがーいーまーす!!」
腕を振りながら抗議する夕霞に、阿古屋は苦笑して助け舟を。
「食堂に行きゃ、調理油がトン単位であるはずだぞ」
「確かに! じゃあ、ちょっと行ってきます!」
「待ちなさいよ、ユッカ! 私も行くわ! 今晩使う分をゲットするの!」
「何に使うんですか! てか、それ窃盗ですよ⁉」
いやお前もだ、と笑う少年は、暗い校舎へ駆け去っていく二人を見送った。
背後では剣戟が響いており、動を持たないのは自分と門に挟まった幼馴染だけ。
だから、誰にも聞かせたくなかった言葉を、ようやく放つ。
「梗さん、知ってたんだろ?」
「アコは、何を疑っているのかな?」
「これだよ」
ポケットから、丸めたルーズリーフの端を取り出して、桔梗の眼前に突きつける。彼は文面を、声にした。
「負傷した影神が逃走中……」
「アニェスが持ってきた。で、あいつはお前に隠し事はしないし、こと影神となりゃ、判断を聞かないはずがない」
彼に残された唯一の着衣である学生ズボンのポケットをまさぐり、几帳面に畳まれたルーズリーフを取り出すと、やっぱり、と肩を落とした。
桔梗は、笑顔でこちらの言葉を待っている。
受けた阿古屋は、相変わらずだ、と明色の吐息。
「四年前に俺らが初めて巻き込まれたときも、梗さんは影神を助けようとした。人を喰うことしか考えていないクソ野郎だったのにな」
「お話はできたからね、なんとか説得したかったんだよ。努力もせずに、異物だから排除って考え方は、僕は嫌いだ」
「知ってるさ」
だから、皆が苦労を訴えながらも、彼を支えるのだ。
桔梗の表情はフラットだ。
絶え間ない笑顔の他にさまざまな顔色を持つが、無というのは珍しい。冗談以上のマイナスの表情を持たない彼にとっての、最大限の怒りと悔恨の発露だ。
言葉もまた、それに従う。
「けど、あの時は助けられなかった」
「助けられなかったってお前……結局、そいつの一撃で胸から肩の肉を抉られて、三階から落とされたんだぞ」
「その後で、市街地で襲われていた市民を助けていたアニさんが合流して、アコたちが彼を倒したんだよね」
その通りだ。
「お前の命を助けるには、ああするしかなかったじゃねぇか」
弱々しい抗議。そこを責められては、阿古屋に返す言葉はないからだ。
頷いた桔梗は微笑みを取り戻すと、
「わかっているよ。僕が至らないばかりに、皆に迷惑をかけたんだ」
「……せめてあの時、アニェスがいてくれりゃあ……」
「アコ」
咎められ、
「影神の配下だった影罪が人を襲っていたのを、助けてくれるよう頼んだのは僕だ」
「わかってる、わかってるさ」
この話は、どこまでいっても着地点はない。ずっと昔に見失ってしまっている。誰もが自分のせいだと言い、誰もがお前のせいじゃあないと言い続けて、四年が過ぎたのだから。
だから阿古屋は、話を打ち切るように手の平をひらひら揺らすと、だらりと下がった幼馴染の肘を取り、
「で、お前は、また救いたがってやがる」
「そうだね」
「反省しない奴だよ」
「そうだね」
「だからユッカとかアニェスとかに怒られるんだ」
「そうだね」
門へ向けて押しやる。
桔梗も腰を捻ると空白面積を最大に利用して、肩をすぼめて、奇天烈な拘束から逃れえる。
いともあっさりと抜けることは、阿古屋にとっても予想済みであったが、
「なんで、素直にユッカに抜いて貰わなかったんだ?」
「アコ、何か言いたそうにしてたからね」
は、と呆れと照れに笑うと、手を貸して立ち上がらせ、
「うるせぇ。とっとと行って、怒られてこい」
※
アニェスは、鉄靴でアスファルトを踏みしめる。
重い鎖でも落としたような音を鳴らして、大地からの反発力を刀身の勢いへ乗せると、右から左へ、横殴りの一撃を見舞った。
衝撃波を纏う刃は、
「見えているわ!」
しかし、翻り夜空を目指す黒のドレスを捉えることはできず。
大気に減算された衝撃波が、木々をざわめかせるのみだ。
大振りの一撃を見舞った体は、腰が入り、肩が回っている。刃のない右半身側が、完全な無防備に。
保護色の中より、白磁の面が犬歯を輝かせながら舞い降りる。
影摘みの死角側より、ピンヒールを瞳に突きたてようと、押すような蹴りを放った。
「これはどう⁉」
「スカートで脚を上げるなど、淑女とは思えん選択肢だ!」
アニェスは、回ったまま体を引き戻しつつ、首を捻って鋭い踵を頬にかすらせる。
次は自分の番であると判断し、刀身を肩に担ぐように身を沈めると、
「遅い!」
縦切りの予備動作を止めるために、女が五指を広げて柄尻を掴む。
「弱い!」
が、そのまま強引に、押しこむように切り入ると、影神は観念して空いた手で、勢いが完全に殺された刃を受け止める。
押し、引くが、相手も攻勢に出るために伺っており、どちらも決め手を欠いたまま、一度飛びのき、距離を作った。
今のところ、互角に競り合っている。
その事実はアニェスにとって、
……屈辱だ。
相手が負傷し疲弊しているから互角なわけであり、本来の力でぶつかれば勝目はないということ。
表情は動かさず、しかし、ほぞを噛む。
アイデンティティに『騎士道』を折り込んでいるアニェスにとって、このようなアンフェアな戦闘行為自体が、許されるものではない。影摘みの不倶戴天である相手だからこそ、選んだ手段なのだ。
だが、目的は果たされず、二重の自責が圧しかかりはじめていた。
払拭するために、アニェスは次の一手を探ると、
「訊いてもいいかしら?」
相手は不意な休戦を求めた。
如何に、と思索する間もなく、向こうは笑うように問いかける。
「責任を取るためにここに居ると、あなたは言ったわね?」
「是だ」
隙を窺いながら、短く返答。
わかっているのだろう。警戒は解かず、それでも余裕を見せるように口端を上げてみせ、
「それは影摘みとして?」
「否だ」
「なら、騎士として?」
……騎士として。
きっとそうだろうと、自分でも思っている。
けれど、素直に是、の答えは出ない。
生じた沈黙に影神は、ふふ、と喉を鳴らすと、
「それは、キキョウに忠誠を誓ったということかしら?」
「是だ」
「いい答えね……けれど、どうして? 騎士なんだもの。忠誠を誓うまでもなく、弱者を守るのは義務でしょう?」
問われながら、なぜだ、とアニェスは思う。
彼女の興味は、桔梗に向いている。自分と彼との関係から、その人格を知ろうとしているようだ。
……影神にとって人間など、ただの食料程度だろうに。
もう少し遣り取りを重ねれば、わかるのかもしれない。が、向こうは問い以上には語らず、こちらの言葉を待っている。
だから、アニェスは薄い唇を開き、
「ならば貴様は、命より重い物を救われたなら、一体どう報いるのだ?」
答えを包んで問い返す。
受け取った女の整った頬に浮かぶ笑みが、愉快へ変わった。
「どうだろう。命が一番大切だからねぇ、ふふ」
緊張する少女など無視して、喉を鳴らし続ける。
アニェスが得るのは疑問符ばかりで、解答は一つも返ってこない。
釈然としないながら、しかし、問答が終わったことは悟る。
次は打ち倒すだけだ。
だから柄を握り直し、相手との距離を測り直し、敵の視線を捉え直し、
「……うん?」
その目が、不審と驚きを掛けあわさって見開かれているのに気がついた。
……なんという間抜け面だ。
否、フィジカルフェイントであろうと注意を締め直す。腰を落として攻めのタメを作ると、不意に背面と胸部の装甲に圧力がかけられた。
焦燥が吹き出し、
……奴の能力⁉ 否、伏兵か⁉
警鐘を叩き鳴らすと同時。
圧力の主が、
「くう! やっぱり甲冑は硬いなあ! まったくおっぱいがわかんないよ!」
頭の悪い発言をぶちまかしてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます