第二話:在りし日を抱えるものだから

1:翌朝の温度

「私の名前はアニェス・マルグリート。カゲツミだ」


 流星とともに地に降った銀髪の少女は、感情のない声で己の名を告げた。

 白の革鎧に覆われた豊かな胸に、嬌声をあげる八頭・旭をぶら下げて。


「おまっ、行動が早すぎだ! あ、こら! ユッカ、ウッチー、梗さんを止めろ! ん!」


 次に会った時、少女は金属製の全身鎧を身に纏っていた。


      ※


 彼が駆けつけた時には、すでに戦端は開かれていた。

 アニェスは愛剣を軽々と振るい、八頭が呼吸を合わせるように絵筆を走らせ、夕霞が弓を構える。

 三人の視線は、一人の男に。

 笑む口元を他人の血で濡らしている、山羊角を生やした巨躯。

 この時、駆けつけた彼の一番近くにいたのは、弓を構える夕霞だった。

 だから、


「やめてくれ! 手を尽くそうと話したじゃないか!」


 後ろから、彼女の胸を手の平でホールド。

 きゃ、から始まる悲鳴が夜を劈き、はずみで、つがえていた矢が放たれていった。


      ※


「あなたたちの翼は自由に飛べるほど大きくはない、あなたたちが飛ぶ空は王者を許せるほど狭くはない」

「内閣の名前を冠するうちらを、まあ、そこまでナメられるもんかね?」


 電話口の青年は、苦笑を強く、敵意を込めてきた。


「いやだなあ。僕らは、恐れてますよ。それこそ、全力を出すことを躊躇わないくらいに」


      ※


 むくげの匂いが満ちる、月のない夜道に、複数の悲鳴があがった。

 アニェスが駆ける足を止め、厳しい眉根で振り返る。

 彼はわかっているから、頷きを見せ、


「助けて」

「……すまない」

「アニさんは騎士だろ? 謝る必要なんかない。当然のことをする時に、許してくれと、そんなことは言わないだろう? だから、あの人たちを助けて。頼む」


      ※


 胸から肩にかけて、繊維の千切れる音がしたと思ったら、熱が走った。

 見えるのは、嗤う影神の、血に濡れた口元。

 組み立て途中の鉄骨の上という、細い足場にある体は、強い衝撃を逃がしえない。

 ゆっくりと、重心が上方向へと向かい、


「暗いなあ」


 視界は月のない夜空に占められていく。

 見えるもの全てが黒の空となれば、今度は街が、上から空を呑み込みはじめた。

 そうして、逆さになった夜の美柳に視界を奪われた彼は、頬を裂いて吹き上げる風に、


「……泣いてる?」


 己の涙が、血とともに昇っていくを見る。

 事実を噛みしめ、


「ちくしょう」


 呟いた自分の声を、彼は確かに覚えている。


      ※


 枕元で、携帯電話が必死に呼び出しを叫んでいた。


 部屋を漂っている麝香の抜けるような甘い香りに、ああ夢か、と少年は呟く。

 桔梗の霞む目が焦点を取り戻していけば、確かに見なれた風景がそこにある。


 六帖そこそこの部屋に、テキストが広げられたシンプルな学習机があり、その隣にはテレビやDVDプレイヤーを納めたメタルラックが。大きな本棚は、歳の割に豊かな蔵書が並んでおり、ほとんどが政治学と経済学のものだ。今は、薄い埃を被ってしまっているが。

 スプリングベッドに腰を沈め、体を起こす予備動作に。

 が、


「……おや?」


 腰から上が持ちあがらない。

 鑑みてみれば、勢いをつけるための腕すら、動かすのが億劫なほどだ。

 まるで大運動会の翌朝のようなだるさに、桔梗は、ああ、と納得の声。


 ……魔力をあげたんだっけ。


 魔力、すなわち生命力の根源を、だ。

 だからかあ、などと納得すると、体を起こすことを諦めて、枕元に手を。

 階下から、皿の割れる音に続けて二人の少女の嬌声と怒声が響くが、賑やかだなあ、などと微笑んでスルー。

 枕に顔を埋めながら、鳴り続ける携帯電話を手繰り寄せた。


 見れば、ディスプレイ表示は「僕の嫁」。

 お? と疑問符を重いまぶたに浮かべながら、通話ボタンに指を。


「おはよう、シータちゃん。いくら待たせても切らない熱烈なモーニングコール、そんなに僕を求めてくれるなんて、感激だなあ」

『……切りますよ?』


 こうして、汀・桔梗の「翌朝」が始まった。


      ※


 美柳という町は、過去に大きな区分改革を行っている。


 元は漁業で栄えていた港町だったが、高度成長期の半ば頃に、大都市のベッドタウンであり郊外のビジネス街、という肩書を獲得し成功していった。

 当然、爆発的な人口の増加があったのだが、広大な土地を分譲区とすることで解決。新築から建売、一戸建てにマンションが群立するニュータウンが、各地に形成されている。


 そんなうちの「溝鞍ニュータウン」の公園脇、学生やサラリーマンによる朝の縦隊行列を完全に無視して、坊主頭の少年は立っていた。

 かざした手が愛でるのは、自分の背丈より低い木に咲き誇る、ツツジの赤い花弁。

 五月も近いなあ、と笑みまじりに息をつけば、


「阿古屋さん」


 阿古屋・透が声に振り返れば、出勤や通学に急ぐ流れに逆らう少年が。

 見覚えはあるが、風景との意外な取り合わせに、思わず問いかける。


「シータ? 何してんだ、ん?」


 少年は、人波を器用にすり抜けながら、


「昨日、別れた直後くらいに、校門前で爆発があったと聞きまして」

「んん? いや別に、何もなかったけど」


 嘘だ。

 爆発の原因は、自分たちである。怨敵である影神に対し、身内の影摘みが戦闘を仕掛けたのだ。結局は汀・桔梗の、不埒な乱入によりノーコンテストとなったが。

 しかし、そんなことは、この聡明な後輩に話しても仕方のないことだ。


「俺らが消えた後かもな。で、どうして、お前はここにいるんだ? 家、新市街の方だって聞いてたけど。ん?」

「ですから、心配で様子を見に来たんです。今日、風紀委員会と合同で、抜きうちの持ち物検査をするじゃないですか」

「そうだな、ん?」

「昨日のそれで怪我でもしていて、生徒会役職全員欠席とかになったら、示しがつかないでしょ」

「事前に知ってたからばっくれやがったな、桔梗を吊るせ! ってな具合か」


 今年度の生徒会長は、そんなキャラクターということで、一般生徒は認識している。

 フレンドリーというか、舐められているというか。

 それでも八割を超える支持率は異様であり、


 ……認めてはくれているんだなあ。


 と思う。

 綾峰学園は小中高一貫校である。つまり、高等部からの編入組以外のほとんどが、汀・桔梗のかつてを知っている。彼が負傷し、入院生活による留年を経ていることも。

 本来、彼と肩を並べて学んでいくはずだった阿古屋は、寂しく笑んで吐息。


「だけど、あいつの家、よく知ってたな、ん?」

「出る前に電話をしたので……ですけど、賑やかなお家ですよね。お母さんかな? 女の人の声が、後ろで何かを捲くし立てていましたよ」

「ま……うん、確かにな」

「いいなあ、と思うんですよ。僕のうちはちょっと家族が疎遠で……仲の良い家族って、どういうのだろうなあ、って……あ、そろそろ行かないと」


 やはり、市街に向かう人の流れに逆らって、二人は歩き出した。

 汀邸に向かいながらシータが、羨ましい、と何気なく呟く。

 苦味が、阿古屋の眉間に沁み込んだ。

 シータは、こちらの「思わず」とついてしまう顔に気付く様子がなかったから、なんとか消し去ろうと努力を。おそらくは、ちぐはぐな顔になっているだろう。


「皆さん、幼馴染なんですよね?」

「ん? あ、ああ……梗さんと俺とユッカが近所で、他は小等部だな。と、アニェスは中等部の頃か。ん?」

「そうなんですか? いや、そうは見えない仲の良さですけど」

「なんだかんだで、四年も一緒にいるからな……と、着いたぞ、ん?」


 敷石をひいた小さな庭の先には、四人暮らしを想定した、大きくはない一戸建てが。

 ブラウンの壁は、ここ数年のうちに張り替えたものだから、痛みも少なく新築のようにも見える。

 が、実際は築十八年で、桔梗と同い年だ。

 彼の両親が、彼を育てようと、彼のために建てた家なのだから。

 幾度も遊びに来たことがある。こちらの親の都合で、泊まりに来たこともあった。

 古い記憶が、懐かしさによみがえるものだから、阿古屋は動けずに、ただただ外壁を、窓を眺めるばかり。

 と、シータが一歩出て、呼び鈴を押した。


「どうしたんです? ぼーっとしちゃって」

「ん。いや……まあ、驚くなよ、ん?」


 忘我の理由は、極めて感傷的だ。だから説明する気になれず、とりあえず忠告によって誤魔化した。


「え? 驚くな、って……」

「まあ、待ってろ」


 すると、小走りに廊下を鳴らす足音が聞こえ、鍵が開けられ、ノブが回り、


「待たせた……トオルにシータか」

「は?」


 アニェスの無表情が現れた。

 目を丸くするシータに、首を傾げるアニェス。

 沈黙に、一拍おき、二拍おき、三拍めで奥のガラス戸が開き、


「要求は単純よ! 家賃の代わりにその乳肉スリットへ、下から手を入れさせろと言っているの!」

「別にいいけど、大家はキョウさんでしょ?」

「マジですか⁉ くう! ちょ、ちょっと待ってくださいね! 八頭っちゃん、マジック! 僕の額に『手』と書くんだ!」

「天才⁉ 梗さんはやっぱり天才だわ! は⁉ ほら、あれ! シータよ!」

「あら」

「やあ」


 突風のような、螺旋式アッパーを叩きつけられた。

 阿古屋は、うわー順応してるー、と黒いパーティドレスを翻している影神に感心。

 が、中等部の少年は、現実を受け入れられないらしく、


「どうした、シータ。そんなに目を開くと、目玉がこぼれるぞ?」


 わなわなと震えながら住人たちを指差すと、


「阿古屋さん! 僕、こんな家族いりません!」


 初対面がいるにも関わらず半泣きで怒鳴りつけ、


「こんな、家族、いら、ない?」

「くく! 梗さん、一語ずつ確認する必要なんかないわ! そのままの意味よ!」

「やっぱりかい⁉ 僕と家族になりたいけど、このままじゃあ嫌だって⁉ わかった、僕は変わろう! さあ、挙式はいつにする⁉ 急がないと六月はもう目の前だよ⁉」


 加速度のついたカウンターをお見舞いされて、


「いいから学校行きますよ!」

「「はーい」」


 ツツジのように頬を赤くした中学三年は、強硬策に出た。

 阿古屋は腹を抱えて笑っていると、やはり笑う影神と、ばっちり目があう。

 互いに笑みを深くするが、わずかな警戒を漂わせる。まだ、彼女とはそんな仲だ。


 ……なのに、誰も彼も、変わりゃしねぇなあ。


 だからため息をつき、彼らの「翌朝」がこうして始まった。

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