4:生徒会室の凶行

 校舎の二階にある綾峰学園高等部生徒会室は、雑多だ。


 長机が二つとパイプ椅子が並べられ、質素な会議卓を囲むように、学園祭で使用する案内板、運動会のクラス別のプラカード、各種パンフレットの山に、リスとウサギのきぐるみ、会議用のAV機器を納めたラックなどなどだ。

 だから広さの割に狭苦しくもあり、今年度の主である汀・桔梗は、肩をすくめて作業を行っていた。


 長机に広げるのは、マラソン大会の折に各方面に提出する書類の山。

 一般道を使用するための警察に提出する許可要請が最優先で、残りは学長への許可申請など身内への形式だけだ。そもそも、山になっている九割が、参加学生への「有事の際に保証はしません」書類であり、生徒会長はその全てにハンコを押していくという、嫌がらせに近い慣例に則っているだけのもの。


 その三割も崩さないうちに、会長は集中力が切れたのか、首と肩を回す。

 目は、自分の右後ろへと向けられ、


「やっぱり口つけないか」


 白い包帯の巻かれた黒猫を見やった。

 自分の上着の上で丸まってはいるが、皿に注がれたミルクは減っていない。

 怪我は思いのほか浅かったが、食欲がないのが心配だ。


 けれども、強制してどうなるものでもないので、彼女の空腹を待つことにして、桔梗は自分の仕事へと戻る。

 現時刻が五時半。部活動と掛け持つ面々のため、皆が集まるのはおそらく六時を回るだろう。

 それまでに、書類の山を半分にはしておきたいのだが、その労力を思うと、笑顔で嘆息。

 だから思わず、


「猫の手も借りたいね」

「なら貸してあげる?」

「ほんと?」


 愚痴への親切な応答に、桔梗は笑って振り返れば、


「いやあ、ありがた……え?」


 両頬を、包帯を巻きつけた冷たい白い両の手でホールドされた。

 眼前では、長い美しい黒髪を波打たせる白面の美女が、艶濃く笑っていた。

 知らない人だ。というか、放課後の生徒会室に黒のパーティドレスを翻しながら登場なんて、ぶっちゃけ正気を疑うが、


「だがそれがいい!」


 誰何より先に、激情が桔梗の口を奔らせる。


「なんです、その下乳が眩しいドレスは!」

「斬新な切り口の褒め言葉ね」


 女は嗤い、鋭い犬歯を輝かせると、貪るように唇を重ねてきた。


      ※


 戸惑いの唇を、舌で強引に割った。

 歯茎をしごき、口腔を押すように舐め回すと、抵抗するように相手の舌が動く。が、巧みに絡め取っては押し引きを制し、観念した獲物の唾液に舌を垂らした。

 粘膜が触れあうたびに、飢えた体が、欠けているものを貪欲に吸い込んでいく。


 これが彼女の食事だ。

 少年の下唇を吸いながら、


「おいし……」


 いったい、何日ぶりの食事になるだろうか。弱りきった体では、獲物に接触するのも容易ではなかった。

 惚けの眼差しで顔を離す。

 少年は、呆然と見つめている。女は、ふ、と嗤い、


「手足に力が入らないでしょう?」


 答えがないのは、是、ということだ。生命力の低下を認識した脳は、末端から切り捨てていくのだから。


「私は人を喰うの。人の命を維持する、生命力そのものを」


 賢しい連中が魔力と呼ぶものだ。


「可哀想だけど、私もすごくお腹が空いていてね」

「はあ」


 おや、と眉を驚きの形に。

 まだ、声を出せるだけの余裕があるとは。

 それどころか、


「それじゃあ、物足りないでしょ?」

「え、ちょ……っっっ⁉」


 逆に、唇を重ねられた。

 戸惑いの唇を、舌で強引に割られた。

 歯茎をしごかれ、口腔を押すように舐め回されると、抵抗のために舌を動かす。が、巧みに絡め取られては押し引きを制され、獲物の唾液に舌を湿らされた。

 行為としては逆であるが、結論は同じ。

 粘膜を通して、女に少年の魔力が注がれていく。


 ……なんなの?


 口の自由を奪われたまま、彼女は自問する。

 最初の接触で、命の危険を感じなかったとは思えないのだが、躊躇なく自分から二度目の接触を図ってきた。

 今までに彼女が喰らった人間たちは、恐れ慄き、でなければ無謀を発揮して武力抵抗を試みている。それが普通だろうと考えていたから、戸惑いはこれ以上にない。


 ……もしや。


 よぎるのは、自分を傷つけ追いつめた者たちのこと。


 ……この子も、戦うことのできる人間なのかしら?


 だとしたなら、危険だ。自分は、全快には程遠い状態にあるのだから。彼らと同戦力とすれば、到底勝ち目がない。

 だから警戒をして、彼の頬を抑えていた両手を、細い腕へと移す。

 と、


「え?」


 途端に、少年の体が膝から崩れた。

 華奢な彼女の体も巻き込まれて、


「……ちょっと?」


 彼が上になったまま、部屋のドアが、壊さんばかりの勢いで開かれた。


      ※


 空白は、二秒だった。

 直後、


「梗さんが、ホントにケモノに手を出してるわ!」


 八頭・旭が廊下へ向かって、地球の裏まで通りそうな声で叫んだ。

 桔梗は、訝って腕の中を見れば、包帯の巻かれた黒猫が、嗤うように一鳴き。

 はあ、と微笑んで吐息をつくと、携帯電話のカメラを構える少女に、


「訂正を! 訂正を求めますよ!」


 とりあえずシャッターは、まだ押されない。

 なので、弁解を叫ぶ。


「手を出したんじゃなくて、手を借りているんです!」

「器具が猫だなんて、ずいぶんアバンギャルドね! 正気度が下がりそうだわ!」

「くう! 八頭っちゃんのヒワイ脳は、今日も度し難いなあ!」


 今度こそ、フラッシュ付きでシャッターが連打された。

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