3:招集の合図にいきりあがる

 阿古屋・透は、やはり水呑み場に陣取ったままだ。

 空の朱は色を強めはじめている。彼の憩いの場も、幾ばくもしないうちに野球部やラグビー部、サッカー部に蹂躙されるだろう。


 それがわかるから、ぎりぎりまでこうして満喫しているのだ。止んでしまった風が、いささか悔やまれるが、風向きが変わりつつあるのだろう。待っていれば、いずれ体温を冷やしてくれることだろう。

 だから、乳酸の溜まった両足をだらりと下げながら、


「んなこと言われてもな、ん?」


 メモを開いて、眉を厳しく寄せている。

 剣道部特別待遇員、アニェス・マルグリートから手渡されたメモに目を落としたのは、これで五度目だ。何度読もうとも内容が変わるわけはなく、阿古屋にため息を要求するだけ。

 空に向けた目を、六度目の再読のために落そうとした矢先、


「阿古屋さん!」


 幼さの残る声が、自分の名を呼んだ。

 咄嗟に、メモをポケットにしまい込んで顔を上げれば、駆け寄るのは銀髪に夕映えをはねる戸次・シータ。

 中等部からの出向員の登場に首を傾げ、


「どした、ん? また、梗さんがなんかしたか?」

「いや……いえ、したんですけど、そうじゃなくて」


 この子も、二週間そこそこでだいぶ順応してきたなあ、と内心で笑ってしまう。


「臨時生徒会を開くそうです」

「は? 何かあったのか、ん?」


 綾峰学園高等部生徒会副会長として、記憶の限りに案件を引き出す。

 今は、大きな案件はGW前のマラソン大会ぐらいのはず。それも、道路使用許可などの書類は慣例通り処理すればよいはずだし、イベントアイデアも明日の定例会で最初の打ち合わせをする予定になっているし……

 果たして、臨時で何を話しあうつもりなのか。

 こちらの疑問に気がついたようで、シータが説明を足す。


「先ほど、昇降口でメスの野良猫を拾ったんです」

「それを生徒会で飼おうってか? ん?」

「そうですけど……今の説明で、よく言いたいことが解りましたね」


 感心する後輩へ、鷹揚に笑って頷くと、


「その猫、怪我してたんじゃないか?」

「え? ええ、それは酷い……どうしてです?」

「ま、だとしたらなおさら捨て置けない奴だからさ」


 はあ、と返事はするが、いろいろと引っかかっているようだ。

 仕方ねぇよな、と阿古屋は吐息。


 汀・桔梗の言動は、幼馴染である彼であっても度し難いところがある。

 今回のように猫程度なら可愛いもので、迷子の子供を三人ほど引き連れて待ち合わせ場所に現れたり、約束をドタキャンして近所で独り暮らしをしている老人と一日中話をしていたりもした。

 要は、見捨てておけない質なのだ。

 だから、仕方ないと言っては乱暴であるが、


「仕方のない奴さ」


 としか言えない。

 半笑いのような言葉を受けたシータは、不可解そうに眉をひそめると、


「どうして、皆さんは桔梗さんの肩を持つんですか?」

「どういうこと、ん?」

「人が良いことはわかりますけど、ダメなものはダメと言わないといけないんじゃ? 特に生徒会の皆さんは、ちょっと異常ですよ」


 ……そっか、そうかもな。

 客観意見を新鮮に感じる自分に驚き、つまり周りは全員自分と同じ感性で動いているんだな、という自覚に苦笑。

 けれども、阿古屋にも言い分はある。


「じゃあ、シータ。お前さん、あいつの肩の傷を見たことあるか? ん?」

「は? いや、そもそも、初耳ですけど……何か、あったんですか?」


 怪訝に問い直す少年へ、阿古屋は小さく頷く。

 生徒会で、会計補佐という役職を得た彼には、話しておくべきだろう。そう、副会長は判断したのだが、


「ああ、うん。そうだな……」


 繊細な話だ。話す方にも、話される方にも。だから努めて軽く、何事もなかったように語りだし、


「ん?」


 真剣な面持ちでこちらを見つめるシータの両脇から小さな手がそれぞれ伸びて、少年の胸部を、


「あうひゃあっ⁉」


 全力で揉みしだいた。


      ※


「ちょちょちょ! やめっ……誰です!」

「貴様の上司よ、会計補佐!」


 シータが身をよじらせるたびに、彼の小柄な体にすら隠れてしまう少女の姿が。

 色彩豊かな白衣の裾がたなびくが、自身に溢れるその不敵な笑みは崩れもしない。


「や、八頭やずさん! いったい何を……!」

「壊滅的に物分かりが悪いのね! いい⁉ 一度しか言わないわよ⁉ 貴様を見かけたから、忍び寄って乳を揉んでいるの!」

「いや、全ての項目に関して動機が不明なんですけど!」

「一から⁉ 一から説明しないとダメなの⁉ 私は梗さんのように甘くはないってこと!」

「し、質問に答えてくださいよ! ああ阿古屋さん、助けて!」


 助けを求める最中も、生徒会会計、八頭・旭やず・あさひの小さな手は止まらない。

 話の腰を暴力的な展開でぶち折られた先輩は、呆然と見つめるばかり。


「また、コンクールの新作がうまくいってないのか……?」

「みたいです」


 すまなそうに相槌を打つのは、旭と一緒に現れた穏やかな表情の少女。


「ユッカ。弓はもう上がりか、ん?」

「ええ。なので、生徒会室に行こうと」


 弓道部員、凍沢・夕霞しみさわ・ゆうかは、癖の強い長髪ときっちりと着込んだ制服から溢れんばかりの豊胸を揺らして、小首を傾げた。

 幼馴染として、正直見なれてしまっている阿古屋は、反応もせずに、


「なんだ、臨時生徒会の話、聞いてたか」

「え? いえ、アニェスさんがこれを持ってきたので……」


 手には折り目だらけのルーズリーフが乗っている。

 自分が受け取ったものと同じ物だろうとわかるから、


「じゃ、なんか関係あるかもな……シータ、誰々に生徒会の話をした?」

「いやまだ副会長だけで、ってか助けてくださいよ!」

「ナマ言ってんじゃない! こんな薄い胸をしてからに! 貴様、ユッカを見習いなさいよ! もっと繁殖することを考えなさい! ホルモンを出すの!」

「僕は男です!」

「……助けなくていいんですか?」


 自分がネタにされたせいもあり、どん引きの夕霞が訊ねるから、


「旭、梗さんが猫を拾ったらしいぞ」

「ホント⁉ あのバカ、ついに新境地開拓⁉」


 好奇心に瞳を輝かせ、旭が駆けだす。放り投げられたシータは息荒く崩れ落ち、何事かを呟いているが、阿古屋の耳には届かない。

 同情はするが。


「俺らも行くか」


 動けない少年の体を担ぎあげると、不意に風が吹きつけた。

 木々がざわめきだす。

 それを見上げて阿古屋は、


「なんだか嫌な風だな」


 などと、まったく理にかなわない感想をこぼした。

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