第4話 閉ざされた希望 前編



「ただいま~」

カツラ達を見送り、キョウを家に送り届けたコータローが自宅へと帰宅した頃には、既に外は夕焼けに染まっていた。

何の変哲もないに2階建ての一軒家。母子家庭で母は夜遅くまで働いている為、家には妹しかいない。

「返事くらいしろよ・・・・・・」

「ドンマイだね~相棒」

返事が返ってこないことに一抹の寂しさを覚えつつ、コータローはリビングに足を踏み入れる。部屋内は薄暗く、不気味なまでに静かだ。

「あいつ、まだ配信してんのかな」

「ちょっと覗いてみようよ~」

エレンに急かされ、足音を立てずに階段を上ると、部屋の向こうから甲高い声が響き渡る。

「ユズちゃん、楽しそうだねえ」

「まあな、家にいても活動出来るのは今のユズに合ってるからな」

そう呟くコータローはどこか複雑な表情を浮かべつつ、妹の部屋の扉の前に立つ。

「ユズー・・・今大丈夫か~?」

コータローは蚊の鳴くような小さな声で呼び掛ける。実は以前、不用意に部屋に入って妹に大激怒されたこともあるため、慎重にならなければならないのである。

「配信終わったのかな~」

「さあ」

そっと扉に耳を当てるとさっきまでの喋り声がぱたりと止んでいた。

「ん?・・・のわッ!?」

その瞬間、勢い良く扉が開いた。思わず転びそうになるコータロー。顔を上げると、眼前に妹のユズが不機嫌そうな表情で立っていた。

「あ、ただいま・・・」

「・・・・・・おかえり」

「今日母さん遅くなるらしいから、何か作るか?」

「いらない、カップ麺食べたし」

「そ、そうか・・・・・・」

「用はそれだけ?」

「あ、ああ・・・」

「じゃ」

バンッ

そう冷たく吐き捨てると勢い良く扉を閉められ、エレンは呆然と立ち尽くすコータローと扉を交互に見つめた。

「相棒・・・・・・」

「ま、いつもこんなものさ」

それでもコータローは、塩対応した妹に怒ることも無く、気にせず階段を降り始めた。

「昔はもっと素直で明るかったんだけどな。画面の向こうでは変わらず笑顔なんだろうけど」

「・・・・・・」

コータローの普段見せることのない悲しそうな顔を、エレンは黙って見上げていた。


「ハァ・・・・・・」

ユズは大きな溜息をつくと、全身を脱力させながらベッドの上にダイブし、うつ伏せのまま枕に顔を埋めた。

「マジで疲れた・・・・・・」

机の上には大型のPCが置いてあり、画面には二次元のキラキラした美少女の絵が映っていた。

ユズは所謂バーチャルYouTuberだ。顔を出さずにこのキャラクターを演じて配信や動画投稿をしているのである。

「・・・いつまでこんな事続けるんだろ私・・・」

が、そう呟くユズの瞳は光が消えていた。目の下にはくっきりと隈が出来、髪も全く手入れされておらず毛先はボサボサ、現在着ている部屋着すらもヨレヨレの白いTシャツと兄のお下がりらしいボロボロの短パンで、正しく堕落を象徴していた。とてもPC内の美少女とは似ても似つかない。

以前はこのような姿ではなかった。夢に向かってひたむきに頑張り続ける少女だった彼女が変わり果ててしまったのは、ある事件がきっかけだった。


***


ユズには一人の親友がいた。二人はアイドルを目指し、歌にダンスと日々切磋琢磨し合う仲だった。

「ユズちゃん、大人気アイドルになって、ファンの皆を笑顔にしようね」

「うん、私達ならきっと出来るよ!頑張ろうね」

親友は前向きで誰よりも優しく希望に満ちていて、ユズにとって憧れでもあった。そんな彼女と夢を志す日々は尊くかけがえのないものだった。

だが、アイドルとして人気が出てファンも増え出した頃、二人の人生に陰りが見えてきたのである。

「ユズちゃん・・・最近誰かかが後をつけてる気がするの・・・私怖くて・・・」

ある日親友からかかってきた一本の電話。スマホから聞こえてくる彼女の声は掠れ、恐怖で震えていた。

「だ、大丈夫だよ。もし何かあっても、絶対私が守るから」

ユズは必死に怯える親友を励まし続けた。

しかしストーカー被害は次第にエスカレートしていくばかりだった。警察も頼ったが当てにならない。有名税のようなものだから仕方が無い、寧ろ自意識過剰なだけじゃないかと心無い事も言われた。

「ほんと警察も役立たずだよね!こっちはすごく困ってるのに」

「・・・うん・・・」

親友の顔は心身共に追い詰められ、かつての面影がないくらいやつれている。あれほど宝石のように輝いていた瞳に光はない。

「ファンを疑うなんて・・・本当はしたくないんだけど・・・最近の握手会で一人だけおかしいファンの人がいるんだよね・・・握手の仕方も気持ち悪いし・・・時間も長いし・・・なんか視線もやらしいし・・・私の考えすぎかな」

疑心暗鬼になりつつあり、ブルッと身を震わせながら両腕を抱える。

いつもファン思いで誰にも優しい彼女がここまで他者への嫌悪感を赤裸々に語るなんて信じられなかった。

ユズはそんな日に日に別人のように弱っていく親友の姿が見るに堪えられなかったが、気休めの言葉しかかけることが出来なかった。

「だ、大丈夫だよ。何があっても私が守るから!」

「・・・ユズちゃんはストーカーに遭ったことがないから、そんな無責任な事言えるんだよ」

「え・・・?」

目に涙を浮かべ、ギュッと歯を食い縛り、堰が切れたように突然喚き散らした。

「ユズちゃんなんて自分がされてないからってホッとしてるんでしょ!?解ったような事言わないでよ!」

「・・・・・・私はそんなつもりじゃ」

「もういい!」

そう吐き捨てると、そのままユズを置き去りにして駆け足で走り去ってしまった。あまりの衝撃に、後を追う事すら出来ずただただその背中を見送った。


これが二人の最後の会話となるなんて、思ってもいなかった。


***


「ねえ・・・なんで・・・なんで出ないの?」

翌朝、ユズは昨日の事を謝りたくて何度も電話をかけた。が、一行に繋がらない。ストーカーの件もあって何かあったのではと心配で心臓の鼓動が早まる。

そんな時着信音が聞こえ、反射的に電話に出た。

「!もしもし!!・・・・あ、マネージャー・・・?どうしたんですか?」

しかし聞こえてきたのは望んでいた声では無く、沈んだ声色のマネージャーだった。

「・・え・・・嘘でしょ・・・?」

その報せを聞き、全身から血の気が引き手からスマホが落ちる。その内容はユズに絶望を与えるには十分だった。


別れた後で親友は自宅に侵入した男に殺された。犯人は彼女のファンで、よくライブを観に行ったり握手会にも参加していた。妄想癖が酷くルールも守らないガチ恋勢であり、厄介なファンとしてスタッフや他のファンからも警戒されていた。

そして彼女への愛を伝えようとしつこく付き纏い、ついに自宅に侵入して待ち伏せして関係を迫った。しかし拒絶され抵抗を受けたことで逆上したのだ。

だが、彼女を殺害した後、我に返った犯人はパニックになり、後を追うように自殺したらしい。

一人のファンのあまりに身勝手な行動で、一人のアイドルの未来が奪われてしまった。


「何もできなかった・・・守るなんて言ったくせに・・・」

親友の死は繊細なユズの心に消えない傷を刻みつけた。守れなかった自責の念や罪悪感、そして自分もファンに命を狙われるかもしれない恐怖に思考が覆われ、人間不信に陥ってしまった。

精神を病み人前に立てなくなったユズは芸能界を引退。それを知った有象無象のマスコミが家を取り囲み、無遠慮にフラッシュを焚き続ける。

「・・・やめて・・・わたしに関わらないで・・・!」

そのせいでさらに心を閉ざしたユズの耳に、誰かの怒声が聞こえた。


「てめえらいい加減にしろよゴラァ!迷惑してんだよこっちはよお!」

それは、兄・コータローの声だった。金属バットを振るいながらマスコミの前に現れたコータローは、血管が切れる程に憤怒しバットを地面に叩き付けながら叫んだ。その鬼神の如く暴れる姿に身の危険を感じたマスコミが散っていくのを見送ると、コータローは、ユズの元へ向かう。

「・・・ユズ、もう大丈夫だぞ。俺があいつら追い返したから」

部屋に籠り、毛布に包まって震え続けるユズに、コータローは扉越しに優しく声をかけた。

ユズにとってこの時の兄はこの上なく格好良く思えた。

「・・・ありがとう・・・後ごめんね、お兄ちゃんに迷惑かけて」

「気にすんな。だけどここも危ないな、近いうちに引っ越そう」

「・・・うん」

すすり泣きながらか細い返事をする妹から、未来と笑顔を奪った全てのものが憎くて仕方が無い。だが結局何の役にも立てず、悔しさから拳を握りしめる事しか出来ない自分が無力に感じた。


***


引っ越しを終えてから、ユズは学校にも行かず部屋に籠って四六時中ゲーム

を続ける自堕落な生活を送っていた。

本当なら夢半ばで殺された親友の分まで頑張るべきなんだろうが、今のユズにそんな勇気は持てなかった。

自己嫌悪と罪悪感に苛まれる日々が続いたが、ある日コータローがユズの部屋の前に姿を現した。

「ユズ、聞こえるか」

「・・・・・・何」

コータローは唾を飲み、意を決して口を開く

「俺は・・・・・・お前の歌が好きだった」

「・・・え?」

「アイドルとして努力したり、前を向いて頑張ってるお前を応援してた。だから、今すぐとは言わない・・・でもいつかまた夢を目指して欲しい」

コータローは柄にも無くユズへの想いを赤裸々に伝えた。

「・・・・・・でも今は違う」

ユズは扉を開けて兄の眼前に立つ。

「私は途中で逃げた臆病者・・・夢からも・・・ファンからも友達からも・・・自分からも・・・こんな私に今更何が出来るの」

ユズは下を向きながら全身を震わせる。

「私は怖い・・・・・・外にも出たくない!もう誰も信じられないんだよ!!!」

張り裂けるような声で泣きじゃくりながら訴えるユズを、コータローは優しく抱き締めた。

「そんなことはない。誰だって辛い事があったら逃げたくなる。大切なのは、もう一度振り返る勇気と覚悟だ」

そう言うとコータローはノートパソコンを差し出した。画面には美少女のキャラクターが映し出されている。

「これは・・・?」

「知り合いの絵師にちょいと頼んでさ、バーチャルアイドルの明星きらりだ。」

「・・・何それ」

「えっと、可愛いだろ?」

コータローは少し照れ臭そうに笑いかける。

「まあ、悪くないじゃん」

 ユズもまた、照れ臭そうに微笑んだ。コータローにとって、久しぶりの妹の笑顔だった。

「こいつはな、明星の如く輝いて皆に笑顔と希望を届ける、そんなアイドルって設定なんだ」

コータローの声色が明るくなり、意気揚々と説明を続ける。

「それで、このキャラを私に見せてどうするつもりなの?」

「えっと・・・今すぐ人前でアイドルやるのは厳しいだろうから・・・このキャラを演じて、ネットで皆の前に立てば良いんじゃ無いかなって・・・声だけだし顔も出さなくて済む」

「なるほど・・・」

「このキャラクターの絵にお前という魂を吹き込む事によって、初めて完成する。夢への道は険しいかもしれないけど、回り道でも寄り道でもなんでもいい。とにかく前に進む事が大事だ」

「お兄ちゃん・・・・うん・・・私、もう一度やってみる・・・いつまでもこのままだと、あの娘に顔向け出来ないしね」


こうしてユズは今までの自分を捨て、美少女キャラクター「明星キラリ」の姿で活動を始めた。

主な活動は既存曲のカバーやゲーム実況、雑談。囁き声でリスナーを癒やすASMRなどにも挑戦した。アイドル時代に培ったトーク力と持って生まれたカリスマ性を遺憾なく発揮し、たちまちのうちに再生回数を伸ばし、チャンネル登録者数を倍増させ、一躍人気配信者となった。

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