第7話

 慌ただしく駆けていく馬にしがみつきながら、魔法を使い続けること一時間強、ようやく目的の山の麓へと到着した。

 私達は馬から降り、人が今まで何度も通ってできたのであろう、踏み鳴らされた道の入り口に馬を留める。


「この山に親父がいるんだ」

 そう言って、山への入口めがけて駆け出そうとする青年を私は制止した。


「けほっ、ちょっと待って下さい。まずは、居場所を調べましょう」

 私は疲労感を感じながらも、杖を高く持ち上げる。

 馬に揺られ続けた体の筋が伸びるのを感じる。

 そして、普段自分を支えてくれている杖がいつもより少しだけ重たくも感じていた。


 私は集中するため少しだけ目を瞑る。

 そして、『失せ物探しの魔法』を発動させた。

 この魔法の効果は単純。

 イメージした形のものを見つけるという魔法。

 この魔法に限らないことだが、魔法も弓矢と同じで、できるだけ高い位置から発動させた方が効率が良い。


 人が立っている姿、走っている姿、屈んでいる姿、倒れている姿、それぞれをイメージしながら発動させていくと、それぞれに該当する姿があった。

 それぞれ二人、一人、三人、一人。

 走っている人以外の六人は皆一箇所に集まっているようだ。

 そして、もう一度の探知で明らかになった、走っている人を追いかける大きな獣の姿。


「見つけました。急ぎましょう」

 私は目を開け、いつものように杖を持つと、改めて魔法を使う。

 すると、風に舞うようにして私と青年の体が浮き上がる。

「わっ、何だこれ」と慌てる青年の声が聞こえる。

「緊急事態なのでこれでいきます。けほっ、怪我をしたくなければ、できるだけ体を小さくしてください」

 本来は荷物の運搬を補助するための浮遊魔法。

 そして、それと併せて使うのは、本来なら突風で相手を動けなくする『攻撃魔法』とされているもの。


「飛びますよ」

 そう言った直後、私達は空に突き飛ばされたかのように飛び上がった。

 私は背後から聞こえる悲鳴を無視しつつ、体勢を整えて二点を見る。

 その内一点は、木が揺れている。

 あそこにワーベアがいるのだろう。

 私は、杖を握る自分の手に力が籠もったのを感じた。




 日の注ぐ森。

 木々の間を縫うように、そして時折巻き込むようにして倒れた木々には人々から「硬耳」と揶揄される、食べようとすれば硬すぎて一苦労するが薬にすれば鎮静作用のあるキノコが群生し、そのキノコの合間を縫うようにして、春には新芽がピリリと辛く、春の訪れを感じさせてくれた野草が夏本番に向け倒木の上へ上へと蔦を、そして新緑の葉を伸ばしていた。

 その倒木を飛び越え走る人の影、そして、硬耳共々倒木を踏み壊しながら走る大きな影があった。


「ちくしょう、合図はまだかよっ」

 つい、そんな言葉を発してしまう。

 怪我人を守るために、囮を買って出てからどれくらいの時間がたっただろうか。

 冒険者として体力をつけていなければ、軽装備とはいえ装備を身に着けたまま、ここまで逃げ切ることはできなかったであろう。

 しばらくはまだいけそうだが、時折木々を目隠し代わりにして撹乱しながら走り続けるという、この化け物との追いかけっこは正直堪える。

 怪我人の治療と避難は仲間に託した。

 そして、怪我人を支えて、この山道を避難させるのは時間がかかる。

 それはわかっているのだが、どうしても弱音が頭を過ってしまう。


 俺を追いかけてきているのは、おそらくワーベア『変異種』。

 この変異種は通常のワーベアよりも一回りほど大きな五メートルに近い体格を持ち、弓も短剣も刃を通さないほどに皮膚の頑丈さが上がっている。

 それに加えて、ワーベアが本来なら苦手とする火に対しても耐性を獲得しているのだろう。

 俺たちが使った火を恐れる様子もなく、火矢で体毛に火が点いたとしてもその火がすぐに消えてしまい、明らかに普通ではない。

 推奨ランクはおそらくBの魔物。


(こんなとき、グリスがいれば…)

 リーダー不在の今、Cランクといえ、俺らが戦うには荷が重い相手だった。

 攻撃を一当てしてからすぐに囮作戦に変更したまでは良かったが、徐々に減っていく体力を自覚している分、内心焦りを感じている。

 

(ひとまず、このあたりをもうしばらく、ぐるぐるとすれば…)

 そうやって思考を割いていたからだろう、倒木を飛び越した先にあった枝に足を取られて転倒してしまったのは。


「やべぇっ」

 すぐ後ろで聞こえた破壊音に俺は左腕につけている小盾、バックラーを構えながら飛び上がるようにして後ろを振り向く。

 するとそこでは、ワーベアが鋭利な爪が生えた巨大な左腕を突き出してくるところだった。

 それを間一髪、受け流し、バックステップで回避する。

 嫌な汗が流れた。

 互いの距離は十メートルもなく、ここから逃げ切るのは厳しそうだ。


「覚悟を決めるしかないか」

 腰に括り付けていた短剣を抜く。

 パーティの軽戦士として普段から前線で敵を引きつけるのが仕事とはいえ、普段は大剣使いと弓士の援護、そして神官騎士の回復がある。

 しかし、これから援護はない。

 生き残るには、目の前の魔物を倒すしかない。


 目の前で二本足で立ち、唸り声を上げるワーベアに対して、軽戦士は不敵に笑う。

「へっ、上等だ」

 そう言って駆けた。

『速度上昇』

 三歩の距離を一歩で駆け、二歩、三歩と二足歩行で立つワーベアの元へと詰め寄った。

『三連撃』

 短剣で腹部に連続で突きを放つ。

 本当なら喉も狙いたかったが、高すぎて届かない。

 手に伝わる鈍い触感にその突きのどれもが有効打になっていないことが分かる。

 毛と硬い皮膚や皮下脂肪に守られているようで傷つけはするも、出血には至っていない。


 痛みを感じてか、ワーベアは大きく腕を振るう。

 それを飛び退き、回避したところに、今度は巨体を生かした体当たり。

 俺が回避することができず、小盾を構え、衝突する瞬間に後ろに飛ぶことで威力を殺した。

 威力を殺したとはいえ、その威力は凄まじく、十メートル以上飛ばされ、幸運なことに地を転がった。

 飛ばされる方向がもう少しずれていれば、木に背をぶつけたり、倒木に打ち付けられていただろう。

 そうなっていれば、最悪意識を失っていたかもしれない。

 全身を打ち付けた痛みを堪えて立ち上がると、ワーベアは倒れた俺を追撃すべく、走ってきていた。


「マジで、やばいな」

 そう呟いて迎撃のために構えたときだった。


 急に木々がざわめき出す。

 その吹き荒ぶ風の強さ、悲鳴にも似た上空を駆ける風の音にワーベアも異常を感じたのか、その場で立ち上がり、耳をそばだて、鼻を鳴らす。

 木々のざわめきも、風の悲鳴も、それらはこちらに迫るように徐々に大きくなってきていた。


「何かが来る」

 そして、変化は唐突に。


 上空から、突風がワーベアの頭に叩きつけられた。

 何本もの大小の木の枝がバリバリとへし折れる破壊音と共に、突風は地面という行き止まりに到達し、行き場を無くした風が周囲に我先にと駆け抜ける。

 俺はその風の衝撃で吹き飛ばされ、地を転がった後は顔を伏してただ耐えることしかできなかった。


 風が止むまで十数秒。

 ようやく顔を上げることができるようになった俺は、ワーベアの方へと目を向けた。

 するとそこには、地に伏して藻掻くワーベアを押さえつけるようにして絡みつく何本もの巨大な植物の根、そしてワーベアの顔全体を覆い、ワーベアを窒息へと導いている水の球があった。

 そして、藻掻き続けるワーベアの様子を見ている男が一人。

 その顔と「けほっ」と時折聞こえる咳には覚えがあった。


「シックスじゃないか、どうしてここに」

 俺は立ち上がり、数ヶ月前依頼で知り合ったその男、シックスに問う。

 シックスは、ワーベアが気泡を吐き出さなくなり、四肢と顔の動きが無くなったのを確認するとこちらに振り返る。


「けほっ、お久しぶりです。ホワイトキャップのケーシーさん。ワーベア退治にきました。ご無事で何よりです」

 シックスの顔には安堵の表情が浮かんでいる。

 その穏やかな表情を浮かべる少年の背後には、つい先程まであった威圧感が消え、魂の抜け殻となったワーベア変異種の巨体が地に伏していた。

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