第6話

 窓から日が差す。

 嗅ぎ薬は日が昇った頃に無くなっており、部屋に漂う嗅ぎ薬の匂いが薄まってきた、そんな朝と呼ぶには遅い時間。

 

「けほっ」

 私は身支度を整えて、部屋から出る。

 廊下に出ると、周囲の部屋から物音はない。

 冒険者達は早朝からクエストに向かい、日が暮れる前に宿へと向かう。

 特にギルドの格安宿に泊まる低ランクの冒険者、もしくは稼ぎを飲み代に使いすぎて素寒貧の万年貧乏冒険者達は、その日の稼ぎが重要なので、私のように遅くに起きることはない。

 とはいえ、私が好き好んで遅く起きている訳ではなく、単に今回ちゃんと意識を取り戻したがこの時間だったというだけだ。


 この街に着いて二ヶ月が経った。

 メディはこの街に住む、メリトの知り合いである薬師の所で薬師の勉強をしながら働いており、最近は意識があるときにあまり会えていない。

 私は、朝早く起きた日は街の中にある依頼をこなし、日銭を稼いでいた。

 特に資材の運搬といった仕事は、一日中働いて銀貨一枚といい稼ぎになる。

 銀貨一枚を稼ぐことができれば、十日程は倒れてもこの宿に泊まることはできるので、積極的に受けていきたい依頼だ。

 しかし、お金を貯めようとも、寝ていても毎日の宿泊代と生活費でお金は使われていく。

 要するに馬車を借りるために働いているが、お金が貯まらない。


「はぁ」

 思わず溜息を付きつつ、私は建物の一階にあるギルドカウンターへと足を進める。

 このように遅く起きた日には、もう実入りのいい依頼なんて残っていない。

 こんな日はお手伝いに近い安価なクエストを受けるのが私のような駆け出し冒険者には一般的のようだ。

 私も時々これらのクエストをしているが、報酬も銅貨一、二枚程度と本当に実入りの少ないものが多い。

 しかし、私の場合は副ギルド長のサギーさんから、最初に目を覚ましたときに特殊依頼を紹介されていたので、今日はそれを行うことにする。


 ギルドカウンターへと向かうと、そこには腰まである長い艷やかな茶髪を一本にまとめ、少しだけ吊り目でキツく見える深緑の双眸を持つ、ギルド職員のレセが依頼書の整理をしていた。

 私が近づくと、彼女は書類から目を上げる。

「おはようシックス君、三日ぶりね」

 レセは私がカウンターに来たとき、メディに代わりいつも何日ぶりに来たのかを教えてくれる。

 どうやら、今回意識を失っていた期間は短めだったようだ。


「この時間ということは、いつものやつでいいのよね」

 そう言うレセの視線には少し期待が込められているのを感じた。


「はい、いつもの特殊依頼をお願いします」

 このやり取りも慣れたものだ。


 特殊依頼、それは簡単に言えば清掃と整備。

 ギルドの各部屋に洗浄魔法を使って掃除をしていくことだ。

 ギルドの宿は一泊銅貨二枚と破格、しかし、それ故にベッドと寝る場所しかなく、清掃も行き届いている訳ではない。

 冒険者には衛生管理の概念がない者もおり、仕事上がりに汗だらけのまま寝る、返り血が着いたまま寝る、酒を浴びたままベッドで嘔吐する、なんてこともよくあるらしい。

 そこで、この清掃作業はとても嫌われている。


 しかし、そこで役立つのは私の魔法。

 部屋のドアを開け、洗浄魔法を放つと、それだけで部屋の汚れやシミが消え、悪臭も取れる。

 おまけで熱風を部屋に流すと害虫駆除もでき、ベッドも日に干したかのようにふかふかに。

 それを客室だけでなく、ギルド職員向けに与えられている部屋でも行われる。

 当然機密に関係する書類もあることからこの依頼を受ける際には付添人がいて、私が部屋へ入らず、入り口だけで全てを完結していることを確認していた。

 また、ギルド内を回る際に床板の軋む部分や隙間風が吹く部分を見つけると、補強や修復を魔法で行っている。 


 この特殊依頼の報酬は、食事だ。

 私が病気で寝込んでいる間の食事は、この食事券によって賄われている。

 特に体調が酷い際は消化に良い食べ物でないと受け付けないことが多いため、この広場で主に提供されている肉体労働者向けの食事では、栄養を取れないことがままあるのだ。

 そこで、ギルドの清掃の代わりに、寝込んでいる間は消化によい食事を用意してもらうという契約を結んでいる。


 魔法で清掃作業を終えるころには、昼過ぎとなった。

 ギルドの職員の一人が「今日も起きてこないと思っていたから、作っちゃった」と用意してくれていた雑炊を、最初に運ばれた日から長らく借り続けている部屋に持って行って食べる。

 中身は柔らかく煮られた雑穀と細かく刻まれた野菜、そして卵。

 それは塩をあまり使わないようにしているのか薄味で量はさほど多くない。

 しかし、体のことを考えて作ってくれていることはよく分かる。

 それを一匙ずつ、ゆっくりと口に加え、その温かみと一緒に胃袋へと落としていく。

 温かい。

 その温かみは、料理だけの温かみだけではないような気がした。


 食事を終え、洗浄魔法で食器をきれいにした後、食器を持ってギルドの一階へと向かっていると声が聞こえた。


「お願いします、助けてください」

 そこには、体のあちこちにある擦り傷から血を流しながらも必死な様子で頼み込む青年の姿があった。

「ごめんなさい、今は人が出払っていてその依頼を受けられそうな人は…」

 階段を降りていく途中の私と、レセさんの視線が重なる。


「いた」



「けほっ」

 馬を操る青年の後ろに乗り、久しぶりに門の外へと出る。

 街を出る際に衛兵の人が心配そうにこちらを見ている。

 衛兵は街からでることができないという制約があるため仕方ないが、私一人で街の外に出ることになるとは…。


 街から離れていく中で徐々に自然が増えていく。

 青年と馬の荒い息遣いが聞こえる。

 魔法で馬車での旅のときに使用した軽量化、馬と人に疲労低減と定期的な回復、周囲に適温化を発現させる。

 特に回復魔法は頻度を上げておいた。

 街で馬を替えたとはいえ、青年の心境が馬にも伝わっているのだろう、焦りからか疲労が溜まりやすくなっているように感じる。


 今回の依頼内容はワーベアからの逃走経路の確保。

 推奨ランクはC。

 ギルドでは自身のランクのひとつ上までの依頼を受注することが可能になっている。

 私のランクはDなのであまり推奨されていないが、緊急事態ということで処理されたのであろう。


 ワーベアは大型の肉食獣であり、大体は単体で行動している。

 縄張り意識が強い生き物で、縄張り内に大型の生き物が入ると襲いかかってくる。

 三メートルに及ぶ体躯に木々をなぎ倒すパワーを持ち、山を駆ける速さは馬にも及び、鋭い嗅覚と爪と牙を持つ。


「間に合ってくれ、親父…」

 山に入って薬草の採集をしていたところ、ワーベアに襲われ、父親がワーベアの目を引いている内に助けを呼ぶために逃げてきたらしい。

 山には他にも薬草取りなどの採集のため何組かが入っていることが分かっており、彼ら全員を安全にワーベアから逃がすことが今回の私の仕事だ。


「けほっ」

 私は小さく咳を零す。

 それにしても、何組もの人が山に入っていることがとても気になる。

 ワーベアが縄張りにしている山に何組もの人が護衛も連れずに行くだろうか。

 その違和感に何やら嫌な予感を感じつつ、私はそれまでに誰かが怪我をしていないことを祈ることしかできなかった。

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