第2話

 私は水盆に溜められたぬるま湯で顔を洗う。

 水盆にはくすんだ銀髪、そして伸びた髪の間から時折ちらちらとエメラルド色の瞳が映る。

 村の年齢の近い若者たちと比べて、幼く見える顔立ちに「病気のせいだから仕方ない」と内心、何度目になるか分からない溜息をついた。


 看病がしやすいようにと用意された、簡単に着脱ができる部屋着を脱ぐと、少し汗ばんだ体を拭き、村長の養子に相応しい少しばかり質の良い服に着替える。

 そして、革でできた靴を履くと水盆の中に脱いだ部屋着を入れて、水盆を片手に家の戸を開けた。

「ちょっと洗ってくるから待ってて」

 外で待っていたメディは「分かったわ」と頷くと、私と入れ替わりで部屋の中へと入っていく。


 私は外にある洗い場へと水盆を持っていき、水を捨てた後、服には洗浄魔法をかけて物干し竿に掛ける。

 今日の暖かさと日差しなら夕方になるまでには乾くだろう。

 本当なら体をきれいにするのも、物を運ぶのも、洗濯も、乾燥も、何なら歩かず移動することだって全て魔法でできる。

 しかし、魔法に頼らないと生きていけないようにはなるな、それもまた村長から言われ続けてきたことであった。

 魔法は便利であるが、むやみに使って体力を落としては命に関わるかもしれない、と。

 私の知っている大人たちは皆、私に対して同じような話をしたことがある。

 私もその意見には同意するし、なにより魔力を節約するに越したことはない。

 一日に使える魔力もまた有限なのだから。


「メディ、おまたせ」

 私が洗濯物を干して、ドアを開けるとメディが籠に入れていた薬草を種類ごとに机の上に並べ終え、代わりに戸棚にあった瓶を幾つか籠に入れているところであった。

 メディは籠を腕に下げると「じゃあ、行きましょっか」と家から出てきて、私の隣に立つ。

 一歩歩くごとに横に立つメディの籠の中で傷口、咳止め、頭痛薬、気付け薬、胃腸薬とラベルの貼られた瓶がカチャ、カチャと鳴るのを聞きながら、杖を付きつつゆっくりと村へと向かうのであった。


「ケホッ」

 肥料を作っている堆肥場の前を通り、葉が大きく育ってきた野菜畑や穂が伸びてきた麦畑、冬を乗り越え備蓄の減っているであろう倉庫を横目に見ながら、村の中心部へと向かう。

 かかった時間は二十分程度だろうか、調子の悪い日は地獄のように長い道であるものの、今日はいつもより早くついたような気がする。

 少しだけ息が上がっているが、まだ大丈夫。


 村の中心に近づくにつれて、民家が増えてくる。

 この村に住んでいるのは二百名程。

 非常に小さな村ではあるが、皆が協力し生きている。

 村に幾つかある共同の調理場の一つの横を通ると、そこでは子どもを背負った母親や、女の子が料理をしていた。


「おーい、シックス坊。水を入れておくれよ」

 その中から、山に入り仕事を行う男衆にも劣らぬ熊のような体躯を持つ、村の誰もが頭の上がらない最強のおばちゃんが、重たいはずの水瓶を高く掲げてこちらに声をかける。

「はーい」

 私は二つ返事で言葉を返すと、おばちゃんが置いた水瓶へ魔法をかける。

 すると、残りわずかとなっていた水瓶の底の方から、水がこんこんと湧き上がる。

 それを見たおばちゃんは「ありがとうね」とこちらに手を振ると、また料理へと視線を戻した。


 そんな村での日常を久方ぶりに体感していると、村の中心にある村長宅へとたどり着いた。

 木造二階建てのこの家は集会所や災害時の避難所兼物資置き場としても使われるため、普段は一階部分に多くの背もたれのないベンチが並んでいる。

 しかし今日は、この前の魔物騒動の名残だろうか、いつもは整然と並んでいるベンチも壁際に敷き詰められるようにして並べられ、その上には多くの食料や薬類、毛布類が並んでいた。

 そこにある物資を、食料、薬、毛布類と三人の男が手分けをしながら調べていた。

 その中の毛布類を調べながら、少し悩んでいる様子の短く刈り込んだ小麦色の髪を持つ、厳つい顔をした四十代の男性。

 それが養父である、村長「チフ」であった。


「ただいま」

 私の言葉に中にいた、男たちは顔を向けると皆が一様に「おお、いいところに」と声を揃える。

 そこには、メディの父親で薬師である「メリト」と狩人の「リュウド」の姿もあった。

「シックス。来て早々悪いが、手伝ってくれ」

 チフは深緑の瞳をまっすぐこちらに向けて話してくる。


「毛布と衣類には洗浄と乾燥、食料は肉類は乾燥、野菜類には保湿と回復を。薬はどうだメリト」

「瓶に入っている薬は大丈夫だから、辺りに無毒化と洗浄をお願いしたいかな。薬が散らばっているかもしれない」

「ついでに食料の隣にある戦利品代わりの肉は、肉と骨に分けておいてくれ。ああ、皮も剥がして洗浄しておいてくれよ」

 チフ、メリト、リュウド、それぞれが注文を出してくる。

 そのどれもが、目の前にある物資の問題に対して魔法で何とかしろという注文だった。

「久々に会ったのに、注文が多いよ」

 私は少し呆れながらも、自分の用事は脇に置いて、まずはそれぞれの注文をこなすことにした。


 それからしばらくして、部屋の埃や血液等の汚れは全て無くなり、壁際には清潔な毛布、干し肉、収穫したてに見える野菜、そして魔物のものと思われる生物の皮や骨などが整然と並んでいた。

 家に入ってきたときは険しい雰囲気をしていた三人だったが、今ではその雰囲気もなりを潜め、各々が近くにあった適当なベンチに座りながらメディが淹れたお茶を飲んでいた。


「おうシックス、助かったぞ」

 私の隣に座り、そう言いながら無骨な手で私の頭をガシガシと粗雑に撫でるのはリュウド。

 無精髭を生やし、長い鳶色の髪を編み込んで一本にまとめている。

 その瞳は髪と同じ鳶色で、決して悪い人ではないのだが、これまた決して良いと言えない人相とも相まって何とも言い難い迫力がある。


「ええ、本当に。あれを私達で片付けるとなると、色々と問題が起きていたでしょうね」

 温和な表情を浮かべつつも、メディが淹れたお茶の味を確かめるように、蜂蜜色の瞳を細めながら飲んでいるのはメリト。

 彼の髪は私が物心ついたときから一切生えていない。

 本人いわく「幼い頃から薬に触れすぎた副作用で髪が生えなくなった」ということだったが、それを信じているのはメディくらいかもしれない。

 最もメディの場合、自分の身に降りかかる可能性があるからどこか否定しきれないという理由もあるようだが。


「気にしないで。私にできることなら、これくらいするって」

 私がそう言うと、チフは微かに笑みを浮かべながら「それでこそ、私の息子だ」と頷く。

 そして、思い出したかのように表情を真剣なものに変えると、私の方を見て問う。


「ここに来たということは、メディから話を聞いたのか」

 その変わりように違和感を持ちつつ、私は返答する。


「いや、何か冒険者の人が私に関する話をしていた、としか聞いてないよ。だから、父さんから何か話があるんじゃないかって思ってここに来たんだ」


「あー、まあそうなのだが」

 その言葉を聞いて、口淀み、少し悩むような素振りを見せた後、チフは言葉を続けた。

「シックス、お前は今回の一件で魔法使いとして冒険者ギルドにスカウトされている。それもギルドマスターから直々にだ」

 私はその言葉を聞いて、首を傾げた。


「私が冒険者って絶対に無理だよ」

 私の言葉に周りにいた全員が大きく頷く。

 言い出したチフも同様に。


「それは分かっているが、能力の高い魔法使いということで問題が発生している。今まではお前が病弱すぎて外へ出すことができなかったという理由もあるのだが、それでも外との交流がなかったため問題になることなかった。しかし、今回の件でお前の存在が明らかになった」

 それの何が問題なのか分からずに首を傾げていると、チフは落ち着いた様子で私に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。


「本来所属がはっきりしない魔法使いというのは危険人物として取り扱われるのだ。このまま放置すると、この村は危険人物を匿っていている村で、王国に対して反乱の意志ありと捉えられても仕方ない。それは私達にとって望むことではないのは分かるだろう」

 私は頷く。


「そこでシックス、お前には大きな負担になるだろうが、所属を明確にするため、冒険者ギルドに登録をしに行ってもらうことになる」

 そう言葉が続くのも仕方ないことだと、チフの真剣な、しかし心配を隠せていない表情を見て、私は納得するしかなかった。


 それから、チフと話をする中で、旅立ちは三十日後という話が出たのだが、旅立ちときはあっという間に来た。

 その間にしたことの代表例と言えば、毛布だけで外で寝る特訓だろうか。

 暖かくなってきたとは言え、今までの私は外で寝ることなんて考えられなかった。

 しかし、この村からギルドがある街までは馬車で移動しても片道十日以上かかり、道中は野営が基本となる。

 そのために、野営に耐える特訓が始まった。


 リュウドさんは少しでも寝心地がよくなるようにと、寝床の作り方を教えてくれ、メリトは魔物や動物避けの薬の使い方を教えてくれた。

 馬車の乗車人数、そして村の運営を考えたところ、メディだけが旅に付いてきてくれることになったようで、私と共に野営の練習に励んでいた。

 その間「少しでも体力をつけな」と、おばちゃんが食事を多めに差し入れてくれたり、村長や村人たちが時折大丈夫かと様子を見に来てくれた。


「ゲホッゲホッ、ゴホッ、ゲホッ」

 その結果、私は準備期間の三十日中、二十七日を寝て過ごす事になり、発熱、咳、鼻水、頭痛、食欲不振、筋肉痛、悪寒という症状のまま出発の日を向かえた。


 その日の昼間、村長宅の一階にあるベンチに毛布に包まれた状態で横たわっていた私を誰かが見て「大丈夫なのか」と言ったのは微かに記憶に残っている。

 意識は朦朧としていたが「分からん」や「メディという専属の薬師がついていくので」といった言葉は聞こえていた。

 そこから誰かに担がれたであろう衝撃で私の意識は途絶えた。

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