背負う覚悟②


「⋯⋯お前の敬愛してやまない神にか?」


 サタンの漆黒の瞳は、暗く冷たい眼差しでジッとマリアンヌの次の言葉を待っている。彼に嘘など通用しない事をこれ迄の経験から学んだマリアンヌは、その心の内を偽り無く明かした。


「ええ、そうよ。たとえ悪魔に魂を売ったとしても信仰までは捨てていないわ。でも、神様は悪魔と契約した私を見捨てるでしょうね。⋯⋯けれど、きっと慈悲深い神様ならオリヴァーを守ってくれるわ。私は、そう信じてる」

「ハッ⋯⋯とんだ茶番だな。考えてもみろ、愚かな人間よ。神に願っても、信じても最期まで救いなど無かっただろう? 現にお前たちを救ってやったのは誰だ?」

「そ、れは⋯⋯⋯⋯」


 マリアンヌは頭では理解していても、その問いの答えを口にしたくなくて言い淀んだ。

 しかし、それを見兼ねたサタンが答えを口にする。



「俺だ。⋯⋯俺たち悪魔が、無知で世間知らずなお前に知恵を貸してやってる。本当はお前も分かっているはずだ。お前達人間が信仰する神なんかよりも、悪魔の方がよほど人間に親切なんだよ」

「⋯⋯⋯⋯でも、大きな代償が必要じゃない」

「そりゃそうだ。誰しも見返りもなしに他人に尽くすなんてありえないだろう? それに、無償や善意などよりも対価があった方が信用出来るではないか」

「⋯⋯⋯⋯それも、そうね」



 サタンは先程から苛立ちを隠すことは無く、マリアンヌへの言葉も鋭い棘を帯びている。そのことを不思議に思ったマリアンヌは窺うように彼へと尋ねた。


「サタン様、なんだか朝から機嫌が悪いんじゃない⋯⋯?」

「⋯⋯ふん。お前が誰のモノなのか理解していないからだ」


 サタンは心底面白くなさそうな顔をして、吐き捨てるようにそう言った。



(もしかして⋯⋯ 昨日、私がサタン様じゃなくて、神様に祈ったことをまだ根に持ってるのかしら? それに、曲がりなりにも悪魔と契約しているのに、今でも変わらず神を信仰しているわけだし⋯⋯。でも、だからといって今の言葉は聞き捨てならないわね)


 マリアンヌは小さくため息を吐いた後、サタンの大きな間違いを訂正するために口を開いた。


「サタン様⋯⋯一つだけ言わせて頂戴。私の魂はいずれ貴方のものになるけれど、私の心は私だけのものよ」


 マリアンヌの言葉にサタンは目を丸くした後、あざけるように鼻で笑った。


「ハッ⋯⋯! 心なんて形の無い不確かなモノは要らぬ。俺様は、お前の魂さえ手に入ればその他はどうでも良いのだ」

「⋯⋯そうね。サタン様には理解できないでしょう。でも、心は人間にとって一番大切なモノよ⋯⋯。だから、貴方たち悪魔には絶対にあげない」


 マリアンヌはニッと口角を上げ、挑発めいた笑みをサタンへと向ける。その碧の瞳は揺らぐことなく、真っ直ぐに前を見据えていた。



 朝日が登り、薄暗かった部屋に光が差し込む。太陽の光が優しくマリアンヌの顔を照らした。

 悪夢を見て飛び起きたマリアンヌの寝覚めは最悪であったが、遠くでピチピチと小鳥のさえずりが聞こえてくる爽やかな朝の訪れであった。



 朝の新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込み、大きく吐き出す。


「気持ちの良い朝ね。今日からもまた⋯⋯よろしくね、サタン様」


 マリアンヌはそう言って、強い意思を込めた瞳でサタンに向かって微笑んだ。

 もう、マリアンヌの瞳には先程までの迷いなどは微塵も感じられなかった。







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