悪夢②


「⋯⋯⋯⋯っ!!」


 ————暗闇の中、息を呑むマリアンヌが見たものは血塗れのエミリーだった。

 いや、正確にはエミリーだったモノというのが正しいだろう。


 既に事切れて、冷たくなったそれをマリアンヌは恐怖に震える瞳で見つめる。

 改めて目の当たりにする自らが手にかけた人物の亡骸。思わず手をついて後ずさったマリアンヌの顔は血の気が引いて真っ青になり、心臓はバクバクと速く脈打って、息苦しそうにゼエゼエと浅い呼吸を繰り返していた。




 しばらくの間、呆然とエミリーの死体を見ていると後ろから何やらくぐもった唸り声が聞こえて来る。ハッと我に返ったマリアンヌは咄嗟に振り返った。

 足元のエミリーの死体に気を取られて忘れていたが、声の主は先程までマリアンヌを追いかけていた影からであった。




「マリア、ンヌ⋯⋯よくも⋯⋯よくも、ォ⋯⋯!」


 影が発した聞き覚えのある声にビクリと肩を震わせながらも暗闇にも大分慣れてきた目を凝らして見ると、徐々にその影の姿が露わになる。

 栗色の髪に真っ赤に充血した赤茶色の瞳、そばかすの付いた頬。その正体は、マリアンヌが最期に見た死ぬ間際のエミリーの姿であった。

 彼女はあの時と同じく、恨めしげな視線でマリアンヌを睨みつけ痩せ細った青白い腕をこちらに向かって縋るように伸ばしている。



(逃げなきゃ⋯⋯! これに捕まったら⋯⋯私は⋯⋯⋯⋯!)


 本能が警鐘を鳴らし、マリアンヌはすぐさま立ち上がって逃げようとする。しかし、不思議な事にマリアンヌの足は金縛りにあったかようにその場からピクリとも動かなかった。



「な、んでっ⋯⋯!?」


 狼狽しつつも足元を確認すると、先程までピクリともせず既に息絶えていると思っていたエミリーが、マリアンヌの細い足首を折らんばかりの力で掴んでいた。



「なンデ⋯⋯ころシ、タノ?」

「ひっ⋯⋯!!」


 ギョロリと落ち窪み浮き上がった瞳と目が合う。血のように赤い瞳からドロドロと流れ出る赤黒い液体がぽたりぽたりとマリアンヌのドレスに染みを作る。

 怯えるマリアンヌを見てニタリと笑い、およそこの世のものとは思えないしわがれた声を発するエミリーに、マリアンヌは声にならない声を上げた。





✳︎✳︎✳︎





「!!」


 暗闇から途端に意識が浮上し、パチリと目を開いたマリアンヌは勢いよくベッドから飛び起きる。

 マリアンヌの額からは脂汗が吹き出し、着ていたパジャマはグッショリと汗で濡れていた。更には、ぼんやりともやががかった思考にドロリと纏わりつく不快感。

 マリアンヌの気分は最悪であった。



「はぁっはぁ⋯⋯⋯⋯ゆ、め⋯⋯?」

「なんだ、騒々しい。眠る時くらい大人しく出来ないのか、お前は」

「サタン⋯⋯さま⋯⋯?」


 暗闇の中で助けを求めた悪魔が目の前にいる。その事に胸を撫で下ろしたマリアンヌは幾分か落ち着きを取り戻し、状況を把握するために辺りを見回す。



 そこは、ウィンザー公爵家に来てから嫌というほど見慣れたマリアンヌの寝室だった。カーテンの隙間から覗く薄暗い景色を見るに、まだ日は登りきっていないようだ。


(良かった⋯⋯。やっぱりあれは夢だったのね⋯⋯⋯⋯)



 安堵から深く息を吐いたマリアンヌは、寝起きざまに声をかけてきたサタンを見やる。彼はというと、マリアンヌの眠っていたベッドの足元に浅く腰かけて呆れた顔でこちらを見ていた。


「随分とうなされていたが、一体どんな良い夢を見ていたんだ?」

「⋯⋯⋯⋯」


 サタンは、未だに青い顔をしているマリアンヌに「この俺が聞いてやろう」と言って、上機嫌に口角を上げる。



「⋯⋯実は————」


 サタンの提案にマリアンヌは一瞬躊躇ためらうようすを見せたものの、自分一人で抱え込む覚悟は出来ずにおずおずと口を開くのだった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る