手に入れたいのならそれなりの

何度も言って

「もう惚れた腫れたはやめることにする」


「あら、そう」


 午後1時のカフェテリアには柔らかい日差しが差し込んでいる。今日は1限だけだったから、講義が終わったらすぐに帰っても良かったのだけど、図書館でレポートに使う資料を探したりしているうちにこんな時間になった。固くて美味しくない購買のBLTサンドをかじりながら速水はやみの顔をちらりと見ると、眼鏡の奥の目と目が合う。


「俺は女性のなんたるかを理解した」


「理解するまでだいぶ時間がかかったじゃない」


「女性はそんなに簡単ではないのだ、まき


 得意げに中指で眼鏡を上げると、コーヒーを啜る。コーヒーとか苦いもの本当は好きじゃないくせに。簡単じゃないのはあなたを見ていればわかる、とは言わないでおいた。


 速水とは1年の時同じクラスになってからの付き合いだけど、それから2年と少し、この男に彼女がいたところは見たことがない。本人曰く、自分は「女性の味方」だそうで、全ての女性が愛しいのだそう。1ヵ月に一度色んな女の子に告白しては無惨に振られて、を繰り返している。私からしていれば中々ガッツのある男だ、とは思うけど、一般的な意見は違うらしい。


 この間、学科オープンの講義で違う学科の女の子とたまたま話す機会があって知ったのだけど、この男、学内では結構な有名人で、「告白通り魔」とか「色欲の化身」とか呼ばれているらしい。なにが女性の味方なんだか。あなたが味方しているはずの女性たちからは、真逆の評価を受けているじゃない。


 別に見た目がそこまで悪いわけではないし、頭も良くて話していると感心するところもあって面白いのに、モテない理由はやっぱり、ちょっと理屈っぽくてめんどくさいこの性格だろうな。あと、不誠実に見えるところかしら。誠実な男はコロコロ好きな女を変えないだろうし。


 そんなことを考えている間に、速水はコーヒーに砂糖をサラサラ注いでいる。こういうかっこつけを最後まで貫き通せないところもモテない理由の1つかもしれない。


「で、惚れた腫れたをやめてどうするの。好いた飽いたにでもする?」


「いや、もう女性の味方はやめることにした」


「え?」


「思えば不誠実だったのだ、俺は」


 そうね、という言葉は、速水の本当に悔しそうな顔を見たら引っ込んでいた。本当に悪気なくやっていたのだ。この男は。


「全員本気だったのだがなあ……」


 紙コップを揺らして、溶けきらず底に溜まった砂糖を動かしながら寂しそうに呟く。それもそれでどうなのだろうとは思うけれど、切り替えが早いと言えば、まあ……。


 そもそもしっかり告白してしっかり振られているのだから、次の好きな人ができるのなんて悪いことでもなんでもないはず。結局、女Aに告白した舌の根も乾かぬうちに別の女Bに告白するなんて不誠実、なんて考えているのは女性だけなのかもしれない。男には何人も好きな人がいる。かの有名な鬼型宇宙人の女の子も言っていたではないか。


 右手に持ったままになっていたBLTをトレイに置いて、冷え切ったココアを飲む。昼休みが終わったカフェテリアは、まばらに学生がいるだけになっていた。日差しが移動すると共に、私のココアと速水のコーヒーは冷えていく。


「でも、女性のなんたるかを理解したんでしょ?」


「理解したからこそ、女性全員の味方である必要はないと思うに至った」


「ふーん」


「これからどうするか聞いてくれないのか」


「さっき聞いたじゃない」


「相変わらず冷たい女だ……」


 色欲の化身とか呼ばれている男とこうしてランチしてあげてるだけでもかなり優しい女だと思うのだけど。まあ、今日は珍しく落ち込んでいるようだし、お優しい私が話を聞いてあげましょうか。


「それで?女性の味方をやめてどうするの」


「結婚する」


「……は?」


「だから、結婚することにした」


 ケッコン……と聞こえた気がしてココアを飲む手が止まる。


 ケッコン……って結婚のこと?愛を誓いあうあれ?協力して暮らしたり、指輪を交換したりするあの……結婚?まさかこの流れで血の跡ってことはないだろうし……。私の聞き間違い?


「えーと……結婚って……」


「相手はお前だ」


「はぁ?」


「俺はお前と結婚するぞ、牧」


 たまたま近くを通った黒いカーディガンの男子学生が、こちらを二度見したのが目の端に見えた。手元のスマホを見るふりをしてこちらの様子をうかがっている。わかる。わかるわ。なんでもない昼下がりの大学構内で結婚、なんて言葉が聞こえてきたらとりあえずそうするわよね。私もたぶんそうする。しかもそれを口走ったのが、通り名を口にするのも憚られる学内の有名人だもの。しょうがない。しょうがないけど今はあっちに行って。


「……何を言っているの?」


「お前は俺のことが好きだろう」


「本当になんなの?」


「さっき言っただろう。俺は女性のなんたるかを理解したのだ」


 お前も女性だからな、と言って私を見据える目に、嘘はないように見えた。だって、いつか見たくもないのに見てしまった告白シーンと同じ目をしていたから。特に思い出したくないのに頭にこびりついていた、実習棟裏の薄暗い階段と、そこに立つ速水の映像が脳内で再生されて、目の前の速水と重なって混乱する。


「結婚しよう。牧」


 目の前の男は、2年前に見たときと違う言葉を発した。確かあの時は、付き合ってくれ、だったはず。そしてそれは、長い黒髪を2つに結わいたミニスカートの女の子に贈られた言葉だった。私、どうして今プロポーズされているの?どうして今、あの時の映像が繰り返し再生されているの?


 どうして今、少しだけ嬉しいなんて思っているの?


「彼女作りがうまくいかないからって結婚?色々飛び越えすぎじゃない?」


「別に、交際期間が終われば結婚するのだから問題ないだろう」


「あなた、私のこと別に好きじゃないでしょう」


「何故そう思う?」


「え?」


「俺はいつでも本気だ」


 そう。この男はいつでも本気だ。私が一番それをよく知っている。告白した女の子のことは、いつでも本気で好きだ、と話していた。それはそれはもうたくさん話を聞かされたので、そこに関しては嘘はないとわかる。


「……私が嫌だと言ったら?」


「俺がお前をどれだけ愛しているかをじっくり話そう」


「私に結婚するメリットがないじゃない」


「愛にメリットがいるか?」


「あなた、自分が周りからなんて呼ばれているのか知っているの?」


「ああ。だから女性の味方はやめたのだ」


「それで?」


「これからはお前だけの味方になる」


「別に嬉しくないわ」


「いや」


 速水が一度言葉を切って、下を向く。


 自分でも、一体何が起こっているのかよくわからない。たぶん、理解しようとしていないのだろう。目の前の男が、ちょっと変わったこの男が、またいつも通りよくわからないことを言っている。ただ、いつもと違うのは、ちっとも面白くないかわりに、自分の鼓動がやけに速く、速水の顔が真っ赤だということだけ。


「お前は俺のことを放っておけないはずだ」


 どうして、と言葉が出る前に、速水が次の言葉を継いだ。


「優しい女だということは、前からわかっていた」


「冷たい女、じゃなかったの?」


「どちらも持ち合わせたいい女ということだな」


「そう」


 速水のトマトのような真っ赤な顔を見ていたら、反対に自分の気持ちは落ち着いてくるのがわかった。一度落ち着いてみると不思議と余裕が出てくるようで、自分の本心はわかった上で、混じりあった感情がどういうものなのかもわかってきた。さて、では目の前で震えるこのトマト男を、どうしてやろう。


「お願いするときの態度って、そういうものだったかしら」


「……俺と結婚してくれ、牧」


「1度や2度じゃ、足りないわね」


 そう。1ヵ月に1度くらいは言ってもらわなきゃ足りない。






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