暗澹

カフェオレ

第1話

 いくつもの山を越え、深い森を抜けた先に暗澹あんたん村はある。

 暗澹村では年の初め、村民により村一番の聖人である聖塊せいかいが選ばれる。聖塊は一年間村民を観察し、その年の終わり村一番の悪人である悪塊あくかいを選ぶのだ。

 聖塊に選ばれた悪塊は村の安寧を保つ神、暗澹様に生贄として厳かに捧げられる。暗澹様に悪塊を食してもらうことにより村の汚れは一掃され、暗澹村では清らかな一年を迎えることが出来るという……


 *


 寂れた農村に汚い、今にも朽ち果てそうな小屋がある。冷え冷えとした印象を受けるのは気温のせいだけではないようだ。そう男は感じていた。

 朽ち果てそうな小屋の薄い引き戸が壊れないよう、それでも家主には聞こえるように男は叩いた。

 しばらくすると、うつろな目でこちらを見つめる少女が出てきた。

「お前が今年の悪塊だ。カナミ」

 冷え切った冬の朝。カナミの住む粗末な小屋の前で聖塊ロウ大人たいじんの低い威厳のある声が響く。

 カナミは狼狽えることなく、引き戸を閉めようとした。どうせいつかは自分に回ってくるだろうとは思っていた。それが思いのほか早かっただけだ。

「待てカナミ。この意味が分かるか? お前は明日死ぬのだぞ」

 カナミには家族がいない。両親は幼い頃流行り病で死んだ。近縁者や近所の者が引き取りを買って出たが生来の可愛げのなさが災いし、様々な家を転々とした挙句、この粗末な小屋での一人暮らしを余儀なくされた。だから悲しむ者などいない。カナミはそう思っていた。それに彼女自身この世に未練はない。十五年という生涯に幕を閉じるだけのことだ。

「構いませんよ。私が死んで喜ぶ輩なんてたくさんいるでしょうし。清々してますよ」

 カナミは自虐的に答えた。

 暗澹村では十二歳までの子供は学舎まなびやで様々な教養を養い、十三歳からは大人として村社会で生きていく。しかしカナミは勉強が嫌いなうえ共同体を窮屈に感じていたため、学舎には通わず全く教養を身に付ないままでいた。

 幼い頃は学舎の教師の施しや盗みで飢えを凌いでいたが、学舎を出るとたいがいは仕事につくことになる。だが無教養で社会性、協調性に欠けたカナミは何の仕事をしても続かなかった。肉体労働なら出来ると思ったがやはりここでも人間関係というしがらみからは逃れられなかった。

 職はなかったが容姿に恵まれていたカナミは次第に村の男に体を売るようになった。妻子持ちの男たちに買われることもあり、それが様々な諍いの原因となり暗澹村のがんとまで呼ばれ、村民からは早くカナミを悪塊にしろという声が絶えなかった。

「ただね、ロウ大人。私を慰み物にした男たちや殴りかかって来た女たち罵詈雑言を浴びせた大人たちはどうなんです? あれだって十分醜い悪の塊に見えますけどね」

「分かってくれ、村民の声を抑えるのももう限界なのだ。実際お前の所業にはもう目を瞑ることは出来ん。お前はまだ若く私はきっと改心してくれると期待したが……」

 ロウ大人はここ数年連続で聖塊に選ばれている宗教家だ。十五歳の少女が悪塊に選ばれるというのは異例の事態。慎重な決断を下すのに二年を費やしたロウ大人は深くため息を吐く。

「まあ、今までのこともありますし、中絶した子供の数を考えれば仕方ないですよ」

「しかし、カナミ。お前中絶の際に使う薬はどうしていた? あれは高価なものだろう」

「非合法の薬売りから買いました。安くて効くんですけど、副作用が酷くて……。他にもいい薬いっぱい知ってますよ。飛んじゃう白い粉とか」

 カナミは怪しげな笑みを浮かべる。

「バチあたりめ。やはりあの俗物どもはお前が招き入れていたか」

「まあそれも明日で終わりですからいいじゃないですか。悪塊として村の汚れを一身に背負って食われますよ」

 自嘲気味に笑うと、カナミは引き戸を閉めた。


 *


 ロウ大人が去ってから間も無く、戸を叩く音が聞こえた。

 カナミは再び戸を開けるとそこには、ユウマがいた。

「なんだユウマか。なんか用?」

「さっきロウ大人が来てるのが見えて……。明日は大晦日だろ。暗澹様に悪塊を捧げる日だから……その」

「うん。やっと悪塊に選ばれたけど。それが?」

 ユウマはカナミの幼馴染である。彼もカナミと同様、両親を病で亡くしている。

 幼い頃から真面目な彼は引き取られた先でも可愛がられ、学舎にも休まず通い、今は百姓として義親の跡を継いでいる。

 ユウマは自分と似た境遇のカナミをいつも気にかけていた。不器用で愛想のない彼女を皆が軽んじる中、積極的に付き合いを持ち、悪塊に選ばれるようなカナミの気性を知っていながらもずっと想いを馳せていた。

「それが、じゃないよ! みんな酷すぎる。カナミは今まで苦労して来たし今だって生きるのに必死なのに」

 ユウマは悔しそうに拳を握りしめた。

「もうこれからは必死にならなくていいのよ私。みんなにとってこれが一番いいのよ」

「良くない! カナミ逃げよう。悪塊なんて役割は担わなくていい」

 ユウマはカナミの肩を抱く、しかし彼女はそれを突き離す。

「何言ってんの? 悪塊を捧げなかった翌年何があったか覚えてないの?」

「そりゃ覚えてるよ。そのせいで俺とカナミの両親は……」

 かつて、悪塊という悪習を断ち切ろうと聖塊が悪塊を選ばなかった年があった。村の倫理観を改めるいい機会とみられたが、その翌年、村では災害や作物の不作、病の流行が起き地獄の一年と言われた。カナミとユウマの両親が亡くなったのはこの年だ。

「何の役にも立たない、生きる価値のない私でも最後は役に立って死んでやるさ。ほら、早く帰んな。私と話してるところ見られたらおじさんとおばさんに怒られるよ」

 そう言うとカナミは無理矢理戸を閉めた。

「カナミ! 俺は諦めないぞ!」

 引き戸の向こうからユウマの悲痛な叫びが響いた。


 *


 なぜユウマはこんな自分を気にかけるのだろう?

 カナミが男の本性を目の当たりにするより以前、彼女はそんな疑問を抱いたものだ。

 勿論、今はその理由はよく分かっている。ユウマは自分のことを憎からず思っているのだろう。しかし、自分はそれに応えてやれるような人間ではない。カナミはそう自分を納得させていたし、実際ユウマに対して、幼馴染以上の気持ちを持ったことはない。

 カナミは一人嘆息する。どうせ私は社会に爪弾きにされる落ちこぼれだ。ユウマと関わるだけ迷惑をかける。彼の優しさには感謝している。だが彼女の心を癒すまでに至ったことはない。

 この心の闇は。暗澹とした気分を晴らすのは誰であろうと出来るはずがない。そんな宿命を課せられてるとカナミは勝手に考えている。いや、そう考えなければ自分の生き方を肯定出来ないからだ。

 短かった人生。心残りは——あの人に会いに行かなきゃ。

 カナミは腰を上げると、出かける準備をした。

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