第32話 私のフローに手をだすな4

 どうしてこんなに匂いに敏感になったのだろう。

 フロー様がいると確信している自分がいる。

 思い当たる節はニッキーのことしかない。

 あの、小さな穴から匂いがする。

 高くそびえる壁を見上げて、足場を数か所確認する。

 壁は七メートルくらいだが、窓までは五メートルくらいだろう。

 常人の力では難しい高さだ。けれど、ニッキーは?

 彼女は私の体を使った時、易々とカザーレンの壁を上って侵入していたのだ。


 ニッキー、起きて。

 フロー様を助けるから。

 私は深く息を吐いた。

「トリスタン兄さん、私、あそこまで行きます。駆け上がるので飛ばしてください」

「は、はあ?」

「小さい頃よくアルベルト兄さんがしてたでしょ?」

「まさか、爺ちゃんの屋敷から逃げる時にやったアレか? あの時より二倍は高さがあるぞ?」

 兄にも助けてもらえばなんとか行けるはずだ。昔、兄といたずらして逃げた時のように頼んでみた。

「やってみます」

「やってみますって……はあ。わかった」

 覚悟を決めて中腰になったトリスタン兄が、両手を組んで足をかける場所を作って構えてくれた。私は五メートルほど下がって助走をつけた。


「ぐおおおおっ!」

 トリスタン兄の気合の入った声が上がった。

 私の足がのったタイミングで渾身の力で腕を振り上げる兄。

 一つ目の足場に目指して駆け上がり、二つ目の足場にジャンプした。

 しかし、二つ目の足場が崩れ落ちて目的の小さな窓に届かなかった。

 ガシュッ

 窓の少し下にミスリルのダガーを刺して、腕一本で体をギリギリ支えた。

「ふう……」

 ブランと体を少しだけリラックスしてから体勢を整える。

 私の体は今ダガーと腕一本に支えられている。

 なんていうか、きっと私一人の力じゃないな。

 いくら上に投げてもらったとしても、ここまでの跳躍力はきっと、ニッキーなしではできなかっただろう。

 確実に身体能力が上がっている。

 しばらくその場で片手で休んでいると下にいるトリスタン兄さんがこちらを呆けて見ていた。


「ちょっと待ってくださいね」

 もう片方の手をわずかな石の隙間に、ダガーを握る手に力を入れ、ぐっと腹筋を使って足を上に持って行くと小窓に足を入れた。

 よし、窓ガラスはないようだ。

 一か八かだが、フロー様の匂いしかしないから大丈夫だろうと体をいれた。

 中側も高い位置だとまずいと思ったが、後ろを見ると普通の部屋だった。

 ゆっくりと体を下ろすと驚いてこちらを見ている赤い瞳と目があった。


「フロー様……」

 確信していた通りにそこにはフロー様がいた。

 すぐに飛びつきたかったが、先に部屋の中にあったベッドにロープを括りつけて窓の外に垂らした。

 これでトリスタン兄が登ってこれるだろう。

 さっそく私は振り返ってフロー様に近づいた。

 彼は手枷と足枷をされて椅子に座らされていた。

「これ、ワザとですか? 外していいですか?」

 作戦かもしれないので一応聞くと首を振って手枷を私の方へ持ってきた。

 喉になにか魔法陣が浮かんでいるのでこれで声が出ないのだろう。

 そっちは知識が無いのでどうしようもない。

 彼を拘束する手枷に腹が立って、ダガーで切り刻んでやろうかと思ったが壁を登ってきたトリスタン兄が『なにやってんだ!かせっ』と言って、持っていた針金で外してくれた。

 こういう細かい作業はトリスタン兄が得意で助かる。


 手枷が取れるとフロー様はすぐに喉の魔法陣を解除した。

 パリン、と小さな音がしてそれはすぐに消滅した。

「ケホッ……どうして、ジャニスがここに?」

「すみません、昨晩からお帰りにならないので心配で」

「え」

 そう答えるとフロー様がポカンとしていた。

「まさか、それだけで? てっきり任務から外されて怒ってきたのかと……。大人の男が一晩空けただけだよ?」

「そうですけど」

 トリスタン兄に言われたことを、またフロー様に言われるとは思わなかった。

 ちょっとバツが悪い。

「本当にそれだけでここまで?」

「だから、そうですってば」

 私が答えるとフロー様は言葉をつまらせた。

 他になんの理由があるというのだ。


「まるでニッキーみたいなことを言うから……。浄化は進んでいるんでしょう? ジャニスがニッキーのふりをする必要はないのに」

「え……どうして」

「時間がないからその話は後でしよう。もうすぐ見張りがくるから」

 フロー様はそう言って立ち上がると足についていた枷は自分で外した。

「あれ? 自ら捕まっていたのですか?」

 それを見てトリスタン兄が聞いている。

「囮になっていたが魔法封じの手枷と足枷をつけられて、声を出さないようにされていたんだ。魔力を暴発させたらいつでも取れたけど、それだとこの地域一帯消滅してしまうから、証拠も無くなる。ちょうど、どうしようかと思ってたんだ」

「消滅?」

「アルベルトができれば組織のメンバーはちゃんと捕まえたいと言っていたから、到着するのを待っていたんだけど。まさかジャニスをよこすとはね。約束が違う」

 トリスタン兄に向ってフロー様が低い声をだした。

 ビクリとして兄は言い訳した。

「カザーレン様、違うんです。あなたの位置は偽装されていて、ココから真反対の古城にアルベルト兄さんの部隊が誘導されています」

「どういうこと?」

「あなたを心配した妹も私を脅して古城へ向かっていたんです。でも、突然こっちからあなたの匂いがすると言い出して……」

「じゃあ、ジャニスが僕を探し当てたってこと?」

 そう言ったフロー様は信じられないと私を眺めた。

 その彼の顔が嬉しさを全面に出していて、私は頬が熱くなった。




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