03-02「Jane Doe」




 手続きと事情聴取から解放されたのは、すでに夕闇の迫る頃だった。


 聴取自体は、リサが〝制度〟の担当者であることを提示したら割とすぐ終わったのだが、聞きしに勝る事務手続きの面倒さには、「参った」のひと言しかない。

 空腹よりも疲れが勝って、夕食を高等部の学生食堂で簡単に済ませ、わたしたち三人は生活相談センターのある特別棟まで戻ってきていた。


 一階のカウンターを抜けて、エレベーターで上階へ。

 奥側にエイブリーが、手前にわたしとリサという立ち位置である。

 四階のボタンを押した拍子に、リサの黒いレザージャケットが揺れて、懐を垣間見せた。

 彼女の脇には、先ほど警備局から取り返したらしい拳銃が収まっている。


「それ、私物なんですか?」

「これか? 今時、持ってるやつは結構持ってるもんだよ。行くとこに行きゃ、出店でジャンク・フードを買うくらいには、簡単に手に入る」


 そんなことは絶対にない、とわたしの常識は否定の叫びを上げたがっているものの、現実としてリサは持っているし、何なら眼前で何発も撃っていた。

 サービスの良いことに、実物をホルスターから抜き、照明に掲げて見せてくれる。

 銃把の一部に木製の素材が入っている以外は、真っ黒の金属感が重厚で、光を反射して光沢を出していた。

 てっきり、相手のものを奪ったのだと思っていたが、どうもそうではないらしい、と気付いたのは聴取の段階になってからだった。


「職員用の仮眠室があります。今日は、ここで寝泊まりするといいでしょう」


 エレベーターを降りてから、エイブリーが一室の前で足を止めた。

 仮眠室といっても、中はそれなりの広さだ。

 家具の類が少ないというのもあるだろうが、二人部屋である寮のものと比べても遜色ない。


「あんたの寮は、マークされてるかもだしね」

「そこまで割れてますか?」

「あたしなら、そうする。あんたが実家通いなのか寮生なのか分からなくとも、割合で言ったら後ろの方が多いんだ。しかも寮の場所自体は、学園のサイトを見たら部外者でも分かる。とりあえず、何人かは張り付かせておこう、ってなもんだろうさ」


 窓際のテーブルに直接腰掛けたリサが、ポケットをまさぐる。

 取り出したスティック・シュガーに、「ラス1だ」と呟いて封を切った。

 わたしも、促されて簡易ベッドに座り込む。


「まァ、さっきみたいな目に遭いたくなけりゃ、ひとりではうろつかないことだ」


 まさか、と首を振る。

 この状況で、さすがにそこまで学習能力のない人間じゃない。

 付き合いたてのカップルに負けないぐらいには、リサの傍を離れるつもりはなかった。


「寝る時は、おふたりもここで?」

「あたしはその予定だが……なんなら、一緒に寝てやろうか?」


 おどけて笑ったリサに、エイブリーが咳払いをひとつ。


「リサ、真面目に警護するのですよ。……寝るとなったら、三人では少々手狭でしょう。春川さんが床に就くのを見届けたら、見回りもかねて私は下に戻ります」

「そうしてくれ。あァ、そのまま眠っちまってもいいよ。年寄りに夜更かしさせるのは、ちょいと気が引けるからね」

「春川さん。彼女は夜行性ですから、不寝番には向いています。ええ。ですから、一睡もさせなくて大丈夫です」

「合理的なだけさ。夜中にトイレに行きたくなっても、起こす手間が省けるだろう?」


 へらりと笑みを返すリサを見遣って、エイブリーが肩を竦める。

 小言も嫌味も、まるで通用しないのを褒めるべきか呆れるべきか。

 しかし意外と仲は悪くなさそうなふたりのやり取りをしばらく眺めてから、話を戻した。


「それじゃあ――わたしは、いつまでここに? その、今日明日は大丈夫ですけど、長引いたら、着替えとか……」

「すぐに帰れる。そのために――まずは、こっちからも手を打たないと、ね」


 軽く手を打ち合わせて、リサがジャケットの内ポケットから手帳を取り出した。

 ぱらぱら、と捲りながら、テーブルの上に設置されていた受話器を取り上げる。


「手を打つ?」

「守りを固めて向こうの出方を待つってのは、どうにもじれったいし、きりがない。あんたの精神衛生上にも、早期解決が望ましい」

「そりゃあ、できることなら。でも、どうするんです?」

「教訓だ、深雪。いいか? 相手がマフィアだろうと、こういう時は、びびったら負けだ。連中がまだ自分たちに主導権があると思い込んでる間に、死角からどぎつい一撃をくれてやるのさ。二度と立ち上がれないくらいの、〝ノック・アウト間違いなし〟なやつをね」


 呼び出し音が部屋に響く。

 ハンズフリー設定にしたリサが、受話器を天板の上に置いた。


「――『はい、ACAP』」

「中央管区のダリル・ルイス部長につないでくれ。二藍の関係者だ」

「『名前を伺っても?』」

「秋月リサ。伝えてもらえれば分かる」


 少々お待ちを、と電話を受けた女性の声に遅れて、保留中のクラシックが流れる。


「AC……なんです?」

「ACAP――(Akatsuki City Armed Police)だ。融通の利かない方の警察さ。民警と比べればね」


 聞き馴染みのない単語に首を傾げたわたしに、リサが手帳を閉じてから、詳しい解説をくれる。


 時々挟まれるエイブリーの捕捉を加えて整理すると、つまりこうだ。

 武装警察(AP)とは、先の戦役以来、犯罪が急増し治安の悪化も著しくなった社会の安定化のために設置された準軍事的組織で、マフィアやテロリストなど、通常の警察では対応できない脅威を中心に対処し、有事においては軍の予備戦力として運用されるもの――らしい。

 よく分からないが、そこらへんにたむろしている表の警察――そして、わたしを見捨てたくそったれの――と違って、こういう事態では頼りになるようだ。

 立場上、荒事に巻き込まれるリサとは、それなりに太いコネクションがあるとの話だった。

 学園の商業区にある飲食店の店員よりは、顔馴染みだという。


 しばらくして、名も知れぬ古典の名曲は唐突に終わりを告げ、電話口から低い男の声が聞こえてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る