02「It’s a deal.」②




 昼下がりの二藍学園。


 その商店区画にあるオープン・カフェのテーブルで、わたしはホットドッグにかぶりついていた。


 正確には、向かいでサンドイッチを上品に食べているエイブリー女史と同席で。





「良い食べっぷりです。追加で注文したいなら、私に遠慮することはありませんよ」


「ど、どうも。……それじゃ、店員さーん」




 ランチタイムはとっくに過ぎている。


 店内のカウンター席で暇を持て余していたと見える店員が、手を挙げたわたしに気付いた。


 クロックムッシュに、オレンジジュース。


 年上の店員は、のんびりとした調子で注文を取り、また店内に戻っていく。


 飲まず食わずとまではいかないが、今日は起きてからあまり口にしていない。


 昨日と一昨日は記憶が定かでないが、大したものを胃袋にくれてやったということもなかったはず。


 思い出したように身体が空腹を訴え出したのは、やはりエイブリーのおかげなのだろう。


 誰かに話を聞いてもらうだけでも気が休まるとはよくいうが、今回は具体的な解決のアドバイスまで貰っている。


 学園生のための救済制度とやら。


 それがどれだけの効果を発揮してくれるかはまだ未知数だが、ひとりでベッドの上にうずくまっているよりは、いくらか前に進んでいる。


 そう思っていればいい、とわたしは割り切ることにした。




「……それで、相手の人っていうのは、何者なんです?」


「言ったでしょう。こういう問題の対処に精通した、打ってつけの人材です。あなたが、いま必要としている」


「それじゃあ、何も言ってないのと同じっす――です」




 皿の上に残ったフレンチ・フライポテトまみ上げて、わたしは背もたれに身を預ける。


 交代の要員が戻ってきた相談センター棟を後にして、わたしとエイブリーがテーブルを同じく遅いランチに興じているのは、何も一連のやり取りを通して意気投合したから、というわけではない。


 〝受話器の向こうにいる人間〟に会いに行く、と言ったエイブリーが、このカフェを待ち合わせに指定していたのだ。




「約束の時間は?」


「あと五分。もっとも、電話が鳴ってから起きたようでしたので、時間通りかは神のみぞ知るところです」


「そりゃ健康的で。が必要っす」


「ええ、まったく。仲良くなったら、行ってらっしゃい」




 したり顔で紅茶のカップを傾けるエイブリーに、わたしは藪蛇やぶへびだと口をつぐんだ。


 辺りを見回す。


 学園の敷地内を迷路のように走るストリートの交差点。


 細かな通りが何本も集まって円形の広場を形成している、その一角に位置しているカフェからは、周囲の様子がよく見渡せた。


 こういう状況でなければ、お気に入りの場所を見つけたと気楽に浮かれていただろう。


 あるいは、こういう状況だからこそ、「無事に乗り切ってから、またここでランチを食べるんだ」などと奮起するべきところだろうか?


 それは、わたしのキャラではない気もする。


 いつだって、コップに水は半分しかないと思って生きてきたのだ。




「春川さん。気持ちは分かりますが、あまりそわそわするのはお止めなさい」


「でも……えーと、キャンベルさん? キャンベル先生?」


「どちらでも結構」


「キャンベル先生。こうやってる間も、連中がわたしを探してるかもしれないんです。落ち着くなんて……」


「そうでしょうとも。私は、警戒するな、と言っているわけではありません。ただ、四六時中気を張っていては、いざという時に身体が駄目になってしまいます。心配せずとも、不安を抱いて恐れている内は、何も起こらないものです」


「夏場の虫と幽霊みたいに、ですか?」


「そのリストに、ギャングとマフィアを加えればよろしい」




 簡単に言ってくれる。


 平凡な15才の女の子に対する要求としては、かなり無茶な部類だ。


 ただ、エイブリーの言うことにも一理ある。


 それは確かだった。




「先生は、何度もこういう経験を?」




 何かしゃべっていないと落ち着かないので、エイブリー自身のことについて振ってみる。


 わたしと一緒にいるところを見られでもしたら、追手は彼女も情報を知っているのだと判断するだろう。


 相談に乗っているだけだ、という言い分を、犯罪組織が考慮してくれるはずもない。


 この件に関わり続ける限り、彼女が荒事に巻き込まれる可能性というのは常に付きまとうのだ。


 それが分かっていて、エイブリーはあまりにも泰然たいぜんとしている。


 びくびくと落ち着かない自分が情けなくなるくらいに――。


 その理由は、単に年の功というだけでもあるまい。




「私自身は、ただの非力な老人ですが。……そうですね。相談員としては、それなりに裏側を垣間かいま見てきました。土地柄か、ここでは色々と不思議なことが起こります。あなたのように、いきなり町の暗いところに入り込んでしまう生徒も、決して珍しくはないのです」


「……それが分かってたら、転入先にここを選ぶこともなかったっす。絶対に」


「春川さん。あなたはどうして二藍学園へ?」


「ひと月前に、親が蒸発しまして」




 エイブリーが顔をしかめるのが、はっきりと分かった。


 わたしはわたしで、今まで誰にも言わなかったことがあっさり口から出てきて、びっくりしている。


 これも自棄やけのなせることか。




「あ、いや、今のは正しくないっす。最後に顔を見たのも思い出せないくらいなんですけど、それでも生活費だけは送られてたんです。ある日、それがぱったり途絶えて、このままじゃ生きていけないなって」




 エイブリーの反応を待たず、しゃべり続ける。


 ほんの少し風変わりな、平凡な女子高生としての生活が、いきなり終わりを告げたあの日。


 あの時ばかりは、わたしも本気で参った。


 人生で二番目に。


 一番は、目下進行中だが――。




「それで、色々調べてたら、この学園に行き着いたんです。貧乏なら入学金も免除で、奨学金は返さなくてもいいって話だし、寮暮らしだから住むとこもある。そこにきて最大の理由は、保護者のサインが要らないって点っす。渡りに船、というか……まァ、今になったらそれもとんだ泥船だったわけですけど」


「沈みはしませんよ。そのために、私たちがいるのですから」




「――そうとも。大船に乗ったつもりでさ」




 不意に、横合いから声が掛かった。


 わたしたちが腰掛けているテーブルの間近に、人の立っている気配。


 意識の外から現れた人物に顔を向けようとして、戸惑う。


 ――何故か、両隣に人が立っていた。




「えっと、クロックムッシュでぇす。オレンジジュースも」


「……どうも。ありがとうっす」




 テーブルの上に、新顔が増えた。


 ふわふわとしたセミロングの髪をなびかせて、店員のお姉さんがきびすを返す。




「約束の時間ちょうど。あなたにしては、殊勝なことですね。リサ」


「飛んできたんだ。久しぶりの〝相談〟だっていうからね。――座っても?」




 うなずくと、リサと呼ばれた女はわたしの隣のイスを引いた。


 細身のパンツ・ルックに、レザージャケットを羽織っている。


 上着の色と同じ、肩に掛からない長さの黒髪で、流暢りゅうちょうな日本語を話してはいるが、顔立ちから見るに混血ハーフなのだろう。


 あえて付け加えるなら、美人だ。わたし好み。


 いささか眼付きが悪――鋭いものの、それはそれでクールな感じがする。




「大体の話は、そっちのしかめっ面から聞いてる。秋月あきづきリサだ。高等部三年」


「春川深雪です」




 とっさに名乗り返してみたが、内心では驚いていた。


 この時間帯で制服を着ていないから――といって、二藍学園はいくつかある制服から好みのタイプを選択する形式で、めったに選ぶ者はいないが私服もその中に含まれている。ちなみにわたしはセーラー派だ――少なくとも大学生だろう、と思っていたのだ。


 大人びた雰囲気が、特に。




「おっと、食べながらでいい。あたしも、起き抜けだからね――失礼」




 顔を向けたままのわたしを促して、リサは上着のポケットに手を遣った。


 煙草たばこでも取り出すようなしぐさだ。


 相談員とはいえ、あくまで教師待遇なエイブリーの前で?


 大胆な真似をする女だ、というわたしの予想は、次の瞬間にくつがえされる。


 引き抜かれた彼女の指に挟まれていたのは、確かに細長い棒状のものだった。


 しかし、煙草にしては長すぎる。何かの禁煙グッズだろうか?


 わたしの視線を気にした様子もなく、リサはその先端を破り、ひっくり返して中身を手のひらにぶちまけた。


 真っ白い、粉だ。


 しろいこな。


 はっ? ええっ⁉ なんで⁉


 映画やらでよく見かける光景が頭を過ぎって、そして実際にリサは帯状に広がったそれをひと息に吸い上げた。




「っふー。そうそう、よろしく深雪。――あたしが今日からあんたの相棒パートナーだ」




 顔を上げてから、にへらっと笑ってリサが言った。


 ……やべー女きちゃったじゃん、これ。











「彼女は、シュガー・ジャンキーなのです。重度の」




 人通りのない、資料棟が立ち並んだ区画だった。


 事務手続きが必要だということで、高等部の教務課棟へ向かっている途中である。


 先頭を行くリサの背中をながめていたわたしに、エイブリー女史があきれた口調で言ったのだ。




「はい?」


「まさか、勘違いしているはずもないとは思います。ですが、ええ、伝えておきます。彼女が先ほど口に含んだのは、ただの砂糖です」


「……あァ、ですよね」


「それ以外の何だと? ……とはいえ、定期的にを摂取しなければ調子が出ないというのですから、病気には変わりありませんが」




 前を向いたまま吐き捨てるエイブリーに、わたしはこっそりと安堵の息を吐いていた。


 よかった、だった。


 というか、一瞬でも疑ったわたしがどうかしていた。


 普通に考えて、ただの学生がそんな真似を公然としでかすわけがないのに。


 過敏になっていたのだ、と認めざるを得ない。


 猛省していると、不意にリサがこちらを振り返った。




「秋月先輩?」


「リサでいい。――さて、深雪。あたしらはこれから頭がダイヤモンドより硬い何かでできた連中の巣窟に乗り込んで、あれこれと尋問を受けるわけだが……その前に、ここだけで話を付けとこう」




 ジャケットのポケットに手を突っ込んだまま、リサがわたしを見据みすえる。




「わたしは、まだ何も分かってません。分かってるのは、今わたしが殺人ギャングから追われてること。それを何とかしてくれる制度があるって聞いて、キャンベル先生に紹介されたのがあなただってことだけです」


「詰めたいのは、その何とかって部分だ。




 笑みを消したリサの眼付きが、わずかに鋭くなる。


 わたしとしても、願ってもない申し出だった。


 まだ腹の奥に居座っている不安を追い散らすには、具体的な方法を教えてもらうほかない。


 彼女に、何ができるのかも含めて――。




「そもそも、あんたが見たギャングとやらはどんな野郎だった?」


「リサ」


「必要だから聞いてる。分かってるだろ、先生」




 事件のことを思い出させるのは、と躊躇ためらったらしいエイブリーに、リサが眼を遣る。


 本当に彼女がこの件に対処してくれるつもりなら、知りたがって当然だ。


 ここは、依頼したわたしが先に誠意を示すところだろう。




「……三人組です。全員が男。撃ったのは、リーダーっぽい大柄で、髪を後ろにで付けてるやつ。英語を話してましたけど、アジア系でした。何人なにじんかまでは……」


「撃たれた方は?」


「そっちは、白人でした。スーツ姿で、ひとりだった。遠目にも感じの悪いやつで、しばらくしたらリーダーの男と揉めて、乱闘になったんです」


「……あんたは身を隠しながら様子をうかがってたらしいが、会話の内容は?」


「さっぱりっす。めちゃくちゃ早口だったし、こっちは中学英語すらギリギリ及第だったくらいで。英語を話してるんだろうなってことしか……あァ、でも、ひとつだけ」


「何だ?」


がどうとか……」




 の衝撃に塗りつぶされて忘れかかっている記憶を、どうにかしぼり出す。


 だから、間を置かず続いていたリサの質問が途絶えたことに、すぐには気付けなかった。




「それから、わたしはとんだヘマをやらかして、連中に気付かれた。逃げるうちに、追手がどんどんと増えていって、しまいには十人以上になってました。その時にも、連中は英語じゃない、何だか分からない言葉をずっとさけんでた。わたしは必死で駅に駆け込んで、どうにか学園まで戻ってきた。それから、誰にも会わずに二日引きこもって、今ここに立っている。そういうわけっす」


「……オーライ、分かった。それじゃあ、今度はあたしが質問を受け付ける番だね」




 ややあって、リサが口を開いた。


 わたしのつたない情報から何かを察したのか、あるいはただ流れの確認をしたかっただけなのか。


 いや、どちらでもいいことだ。


 それよりも聞きたいことが、いくらでもある。




「リサ先輩は、いったい何者ですか?」


「普通の学園生さ。あんたと同じね。ただ、あえて違う点を挙げるとすれば、あたしは授業に出席しなくてもおとがめを受けたりはしないってだけ」


「どういう意味です?」


「単純な理屈だよ。アイときたらアムamになるくらいにね。学園生にとっちゃ、真面目に授業を受けて生活を楽しむのが仕事だ。だけど、あたしはそれが免除されてる。分かるだろう? 


「……それが、救済の制度」


「ご名答。学園にとって、使い勝手が良くて、そんでもって安上がりな飼い犬。それがあたしらだ。善良な学生のために、ほこりと血を被ってやるのがお仕事。その代わりに、単位も推薦も思い通り。特別給金だって出る。暇なときは、みんなと同じように授業を受けるしね」




 ひとつ息を吐いてから、リサが肩をすくめる。


 当たり前だが、彼女の語る生徒像については、学園の公式パンフレットには記載がなかった。


 転入にあたって、何度も読み返したからそれは確かだ。


 裏口入学というやつか?


 それはそれで、特別な試験があってもおかしくはない。


 ひょっとすると、まだ全員の顔を覚えていないクラスメイトたちの中にも、リサと同じような生徒がいたりして――。


 まァ、いたところで、わたしには見分けようもないのだが。




「つまり、だ。あたしはあんたを守る。それから、連中が追って来られないようにもする。その骨折りの分だけ、学園からそれなりの自由と金をもらう。




 封を切ったスティック・シュガーをくわえてから、リサが腕を組む。


 黙って聞いていたエイブリーが「行儀の悪い」と小言を漏らすかたわらで、わたしはリサの眼を見つめていた。


 守る、と彼女は言った。


 そりゃあ、守ってくれるならわたしとしても不満はない。


 その上、追って来られないようにもしてくれるなら、


 だが、一体どうするつもりなのだろう。


 リサの頭からまで見回す。


 背丈はあるが、それだって小柄なわたしと比べてという話で、特別に高いわけでもない。


 身体つきは確かに引き締まっているものの、筋肉もりもりマッチョウーマンじゃあないし、むしろ局所的に肉が付いた見てくれは、〝強そう〟よりも〝煽情的〟といった方が的確だ。


 ぱっと見では、彼女が大柄の男たちに立ち向かえる想像がつかない。


 まさか、触れずに相手を倒せる超能力者だ、なんてファンタジーぶりもないだろうし。




「先輩が来てくれた理由は分かりました。でも、どうやって連中に対処するんです?」


「用心深いな。納得するまで首を縦に振らない性質たちか。こういう状況じゃ、長生きするタイプだが……」




 眼をらさないわたしに、リサが片腕を返して手のひらを見せる。




「あんたの言いたいことは分かってる。大口を叩く前に、、だ。そうだろ?」




 したり顔のリサが言い終えるのと示し合わせたかのように、前後で足音が鳴った。




「なっ⁉」


「つけられてたよ、カフェから。やっぱり、あんたの客で間違いないね」




 倉庫と呼んで差し支えない建物たちの間を、申し訳程度に区切る通用路。


 清掃員のような格好に身を包んだ男たちが現れたのは、まさにその入口からだった。




「学園の警備を、見直さなければなりませんね」


「限界があるさ。商業区画にゃ、一般人だってうろちょろ出入りするんだ。止められるもんじゃない」




 距離を詰めてくる男たちを前に、平然と会話するエイブリーとリサが信じられない。


 わたしはあの夜ほどではないとはいえ、もう足にのに。


 追手は向かいの通路からも顔を出し、その数は全部で四人と見えた。


 体格はまばらだが、そろいも揃って人相が悪い。




「騒グナ。声上げたラ、殺す」




 片言の日本語が、いかにも不気味だ。


 わたしとエイブリーをかばうように立ったリサの肩越しに、男のひとりが真っ黒いものを大げさに突き出すのが見えた。


 耳の奥がじんじんと騒ぎ出す。




「り、リサ先輩」


「落ち着きなよ、深雪。誘い込まれたのは、あたしらじゃない。このの方さ」




 突き付けられた銃口を意に介した様子もなく、リサが咥えていたものを吐き捨てる。


 広場のカフェから追手の存在に気付いていたというなら、少なくとも彼女には何らかの意図があって、わざと人気のないこの場所に足を運んだということだ。


 誘拐するにも口封じするにも向こうが有利なこの状況で、どうしようというのか。


 隣に立ったエイブリーが、わたしの肩に手を置いた。




「黙レ! しャべるナイ! オマエラ全員、連レてク――」





「――だ、深雪。よォく見てなよ」




 ばされた腕を振り払うや、勢いそのままにリサが男の持つ拳銃に手を伸ばす。


 不意をかれた男が腕を引こうとした時には、すでに銃身がしっかりと握り込まれていた。




「――ッ⁉」




 つかんだ腕を引き寄せつつ、相手のふところに踏み込む。


 声を上げる間もなく、男の顔面にリサのひじ撃ちが突き刺さった。



 背後から怒号が上がる。


 打ち倒された仲間の姿に、残りの追手たちが一斉に得物を取り出そうと構え出したのだ。


 いきなり、リサが振り返った。


 固まるわたしの横を抜けて、バンッ、と衝撃が飛んでいった。


 真後ろにいた男が、悲鳴を上げる。


 撃った。銃だ。リサが、撃った。


 いつの間にか右手に握られていた拳銃に気付いた瞬間、もう一方の腕がこちらに伸びてきた。


 首の後ろに回された左手に引かれて、わたしは顔面から彼女の胸に飛び込む。


 鼻先で感じる柔らかさと匂いに、場違いな思考が過ぎった。


 わたしの頭を抱え込んだ格好のまま、リサの右手が立て続けに銃声を響かせる。


 くるりと上半身をひねって、もう一発。


 それで、銃声は途絶えた。


 解放されたわたしの眼前で、男たちが血を流してうずくまっている。


 ある者は腕を、ある者は足を。


 男たちのすぐ傍には、それぞれの得物らしき拳銃や刃物が転がっていた。


 素早い動きで――わたしの手をつないだまま――リサがそれらを遠くに蹴り飛ばしていく。




「リサ! 撃つなら撃つと、先に言いなさい! 春川さんのトラウマを刺激するような真似を――」


「ショック療法だ」




 壁際に退いていたエイブリーの説教に、リサは振り返りもせずに言った。


 まさか彼女の言う通りではないだろうが、いつの間にかわたしの震えも止まっている。


 あっという間に追手を制圧してみせたリサへの頼もしさからか、それとも、もっとに包まれたからなのか。


 いやいや、それはさすがに、思春期が過ぎるというものだが――。




「――チェハアァァァァァァァァッ‼」




 弛緩しかんした空気を引き裂くように、突然と頭上から気勢が上がった。


 影が飛び込んでくる。


 とっさに向けられたリサの拳銃は、新手の蹴りではじき飛ばされてしまった。


 すぐさまわたしを壁際に押し遣ったリサの正面へ、再び地を蹴って相手が跳躍する。


 ひと跳びの間に何度も繰り出される連続蹴りを、リサは上から肘を叩き込むようにしてすべて打ち返していった。


 両腕を振り払ったリサに合わせて、相手も跳び退すさる。


 回転しながら着地した新手は、腰を深く落として左右の腕を天地に構えた。




使。面倒そうなやつのお出ましだ」




 間合いを取って対峙するリサが、こぶしを握ったり開いたりしながら言った。


 若い女だ。


 秋水を思わせる涼しげな美貌に、すらりと伸びた手足。


 リサよりも、三、四つくらい年上だろうか。


 すでに倒されている男たちとは別格の相手だというのが、引き締められたリサの表情から窺える。



 先に仕掛けたのは、女の方だった。


 両腕を振り回しながら、数歩の距離を瞬く間に詰める。


 風を切って打ち掛かる女の攻めを、リサが真っ向から迎え撃った。


 横ぎに振るわれた右腕を弾き飛ばし、続けざまの左手を止める。


 直後、女の前蹴りがリサの腹を打った。


 一歩後ろに下がった瞬間、女が飛び上がってリサの頭を太腿ふとももで勢いよくはさみ込む。


 大技だ。


 鋭い打撃音と共に、リサがよろめく、


 だが着地するまでの間隙を、リサの蹴りも見逃さなかった。


 女が弾かれて、再びふたりの距離が開く。




「リサ先輩っ」


「大丈夫だ。これ以上、頼りないとこを見せるわけにゃいかん」




 かろうじて腕を戻して威力を殺したらしいが、リサは真剣な表情で頭を振っていた。


 作業着の腹部に付いた土ぼこりを払って、女が油断なく構える。


 今度は同時に踏み出して、リサの蹴りと女のそれが空中でぶつかった。


 打ち合いになる。


 右を払えば左が、両手の突きをかわせば蹴りが飛んでくる。


 女の流れるような連撃は、さすがに武術の動きだ。


 打ち込んで止められた一手が、次の瞬間にはそのまま二手に変化したりする。


 敵ながら感嘆してしまうほどの強さだった。


 だが、リサにしても防戦一方ではない。


 むしろ、互角といってよかった。


 もう数十手は打ち合いながら、変幻自在な女の攻めを止め、躱し、反撃してみせている。


 片方が突き蹴りを食らっても、すぐさまもう片方が返される。


 激しい応酬に、傍観するしかないわたしは圧倒されていた。


 


 なんてすごい。


 秋月リサは、わたしを守ってくれるという人は、こんなにも強い。


 強くて、何より勇敢なのだ。


 銃を持った男たち相手にも動ぜず、常人とは思えない動きの武術使いにも立ち向かう。


 それも、他人のために。


 絶対に敵わない、殺される、と思って震えていただけのわたしとは、まるで違う。




「――ッ!」


「お気付きか? プロにしちゃ、時間を掛け過ぎたな」




 互いの打撃が決まって、束の間のにらみ合いが起きた時だった。


 遅れて、わたしも理解する。


 遠くの方から、人の気配が近付いてきていた。


 どうやら大勢だ。


 人通りのない資料棟区とはいえ、この辺りは学園のメイン・ストリートからそれほど離れているわけではない。


 何発も響いた銃声に、誰も気付かないというのはさすがに無理がある。


 にしても、反応が早すぎないか?


 こちらに迫る気配は、ちょっと様子を見に来たというような感じでもないのだが――。


 ふと隣に立っているエイブリーを見遣れば、その手には通信端末が握られていた。


 合点がいった。


 わたしが夢中になってリサを応援している間に、彼女が学園の警備局へ通報したのだろう。


 俄然がぜん勢いを増した女の技を、リサは躱していく。


 れたようにり出された両腕をそろえての殴打を、リサはしゃがみ込んで紙一重にやり過ごした。


 女の腕が戻り切らない内に、片腕を地面について今度はリサが両脚の揃った蹴りを見舞う。


 これが、まともに入った。


 吹き飛ばされて倒れ込んだ女は、すぐに起き上がって構え直す。


 しかし、そこまでだった。




「――学園警備局だ! 全員動くな!」




 鎮圧用の重装備に身を包んだ十数人が、すぐそこまで来ていた。


 一瞬、女の視線が倒れたギャングたちに向けられる。




大姐大あねご……‼」




 ひとりが叫んだのに頷いてから、ばっ、と女が身を宙におどらせた。


 そのまま、三階建ての資料棟の壁を蹴って、隣の棟の屋上へ姿を消す。


 人間技とも思えない、見事な跳躍だった。




「――深雪。大丈夫か?」




 女の逃げていった方を呆然と眺めていたわたしの傍に、いつの間にかリサが立っていた。


 あれだけの立ち回りを演じた直後だというのに、彼女は息も切らしていない。




「わ、わたしは、なんともないっす」


「そりゃよかった。どうにか、及第点ってところか」




 笑みを浮かべたリサに、わたしはまばたきを数回返す。


 どういう意味なのか、すぐには分からなかった。


 わたしたちの前を、警備員たちが駆けていく。


 大半は女の後を追って、残りは男たちを拘束する役回りのようだ。


 事情聴取の相手は、エイブリーが務めてくれている。


 ややあって、わたしはギャングたちが現れる直前にリサが言ったことを思い出した。




「あたしの仕事ぶりは、まァ、こんなもんだ。ちょいと手こずったが」




 連行されていく男たちを見遣ってから、リサがわたしを見つめる。






「それじゃ、改めて――取引成立、で良いかい?」






 差し出された手を、わたしは迷わず取っていた。


 それだけじゃ足りず、リサに思い切り抱きつく。


 当然、わたしの顔面は柔らかさに包まれるのだった。




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