02「It’s a deal.」①
いきなり光が差した。
路地を飛び出した先で、原付がこちらに突っ込んできていた。
「死にてえのかっ⁉ 馬鹿が――」
驚愕の面持ちでハンドルを切った運転手の男が、わたしの寸前で左に
ごめんなさい、とだけ告げて、また駆け出す。
足を動かしながら、半身になって後ろを振り返った。
怒声を上げる男の傍をすり抜けて、猛烈な勢いの追手が迫っている。
見なきゃよかった。
追いつかれたら絶対にただじゃ済まなそうな雰囲気の追手に、腹の奥が落ち着かない。
捕まったら、わたしもあんな風になってしまうのだろうか。
赤い水たまりの中で動かなくなった、あの男のように――。
冗談じゃない。
たまたま迷い込んで出くわしただけなのに、夜中の路地裏で撃たれて死ぬ?
遺体もきれいに処理されて、見知らぬ男と仲良く並んで魚の
〝行方不明〟のひと言で、翌朝の新聞やらテレビ・ニュースやらをほんの一瞬だけ
そんなことが、あってたまるものか!
わたしは、まだ高校一年生で、青春の真っ盛りでっ、ファースト・キスすら未経験なのに‼
息を弾ませながら、がむしゃらに駆ける。
転入してきたばかりで土地勘はないが、さきほど通った道くらいは
とにかく、大通りに出たい。
人の多いところに出さえすれば、追手もそうそう手荒な真似はできないだろう。
――と、思いたい。
道端の酔っ払いや浮浪者に見送られつつ、わたしはようやく繁華街のストリートにまで戻ってきた。
「~~~~ッ! ~~‼」
人波に安堵する暇もなく、広い車道を挟んだ対岸に、こちらを指さして
追手の仲間だ。
理解すると同時、わたしはとっさに人通りの多いところへ駆け込んでいた。
何度も通行人にぶつかって、それでも懸命に逃げる。
怒声を投げ掛けられ、当たった相手に掴まれた腕を振り払って、足を動かし続ける。
駅前まで戻っていた。
夜中でも、行き交う人の数は多い。
いくらも進まないうちに、後ろからの気配だけでなく、左右からも声が上がった。
先回りされていたのだ。
追手の数は、すでに両手の指で数えられる上限を超えている。
横断歩道の信号機を律儀に守ってくれる連中だったら、どんなに良いか。
通行人を突き飛ばして追ってくる
川の向こう側、わたしが通う
この時間でも、まだ動いているはずだ。
階段を駆け上がり、また転がり落ちるように降りる。
派手にこけた。
鈍痛に苦悶の
乗り場は眼の前。追手も、すぐそこまで迫っていた。
「~~ッ⁉ ~~~~、~~ッ!」
間近で聞こえるわけの分からない言葉が、頭の後ろ辺りをひりつかせる。
ホームに駆け込んだ。
懸垂式の車両の群れが、警笛に急かされながら口を閉じようとしている。
床を蹴った。
ほとんど倒れ込むように、わたしの身体がドアの内側にタッチダウンされる。
足の先まで、
振り返って見上げた先で、隙間から
伸ばされた指先がドアからあとほんの数センチというところで、小さな駆動音と共にぴたりと口が合わさった。
「……お客様にお願いします。駆け込み乗車は大変危険ですので――」
しばらく、息を荒げて放心していた。
その間に、モノレールは駅のホームを出て、川に架けられた大橋の下に
不意に聞こえてきた車内アナウンスの合成音声に、じんわりと感覚が戻ってくる。
思い出したように、わたしは手近な席に腰掛けた。
寮生の多い二藍学園の警備は万全と聞く。
追手たちも、さすがにそこまでは付いて来れないだろう。
車内の客はまばらだった。
ようやく静けさを取り戻した耳の奥の方で、こびりついた怒声と、初めて生で聞いた銃声というやつが響いていた。
背もたれに身を預ける。
肩に走る痛みが、すべて現実だと訴えている。
学園に着くまで、わたしはずっと窓の向こうに眼を
二日後。
わたしは授業をサボタージュして、学園高等部の施設に足を運んでいた。
〝学園生活相談センター〟の看板が吊るされたカウンターの前に腰掛け、事前に書かされた質問用紙を差し出す。
対面に座っている相談員が、首から下げていた老眼鏡を装着した。
気品のある良い笑顔だ。信頼できそう。
「ええと――『ギャング同士の銃撃事件を目撃してから、眠れぬ夜が続いています。どうしたらいいんでしょうか?』……いけません、春川さん。相談に来る場所を間違えています」
「間違えてないっす。学園生の悩みを解決してくれるセンターですよね。何とかしてください」
真顔になった相談員の老婦人に、わたし――春川深雪も極めて真面目に返した。
というより、
なんせこの二日、眠ろうと思っても浅い眠りを繰り返すだけで満足に寝れず、追手が来ているかもしれないという不安から、学園敷地内どころか生徒寮からも出なかったのだ。
食事も喉を通らず、心身ともに参っていた。
歌舞伎役者も
「分かりました。話を聞きましょう。……場所を移した方がよろしいですね」
立ち上がった老婦人が、視線を奥に遣った。
周囲を見渡しても、わたしと彼女以外に人の姿はない。
本来なら高等部は授業中の時間だから、それも当然といえば当然のことだ。
相談を持ち掛けてくる生徒たちを老婦人がひとりで回しているとは思えないので、他の人員は偶然席を外しているのだろうか。
このまま話していても、聞き耳を立てる人間に気を取られるようなことにはならないが――。
それでも、彼女はわたしの雰囲気から余人に漏らすべきでないと気を
素直に従って、通されたのは六~八畳ほどのこじんまりとした一室だった。
ドアを
表のカウンターからは一面のガラスで区切られていて、老婦人はわたしに着席を促しつつ、目隠し用のブラインドを下ろしていった。
わたしは手前のソファに、老婦人はその対面に位置取る。
「先に言っておきますが、こちらからの質問には、何か差し
形式めいた文言に、
「私はエイブリー・キャンベル。相談室長で、過去には教会の克服プログラムにも参加していました。――もちろん、主催側ですが」
わずかに笑みを浮かべたエイブリー女史に、わたしはやや遅れて、彼女が冗談を言ったのだと気付いた。
自分のことながら、余裕のなさを自覚させられる。
そういえば、他人と話すのも二日ぶりなのだ。
緊張を
「春川
「リラックスなさい。ここには、あなたを害するものは何もありません」
たどたどしく話すわたしに、エイブリーはさりげなく手を添えた。
急かすことなく、わたしが話し始めるのを待っている。
一度、大きく息を吸って、吐いた。
「その、夢に見るんです。男の人が倒れてて、あっいや、その前にバンッって音が鳴って、血がいっぱい出てた。撃たれたんだ、って気付いて……それから、撃った男と眼が合うんです」
「……続けて」
「実際には、眼なんて合ってなかった。暗かったし。わたしは、そう、積んであった廃材を蹴って、それでバレて。追いかけられて、後ろから、また音が聞こえるんです。バン、バン、バンって。わたしのお腹も、真っ赤になって、そこで終わり。また最初から、何度も、何度もくり返して……」
言葉を絞り出す内に、膝に遣った拳にも力が入っていった。
思い出しただけで、
追われているというストレスの他に、厄介なのがこの悪夢だった。
いや、結局はストレスが原因で見てるのか?
とにかく、起きた時には汗だくだし、短時間に眠ったり起きたりするからまるで休んだ気がしないし、頭痛はするし。
自分自身でも初めて知ったことだが、どうもわたしは繊細な
トラウマというやつだろう、とはすぐに思い至った。
事故のニュースとかで耳にする話ではあるが、まさか自分もそうなるとは思いもしなかっただけに、ベッドの上でひとり苦笑をこぼしたものだ。
ざまあないな、と。
「……あなたの心が弱いわけではありません。誰だって、そうなる可能性を持っているのですから。――病院には掛かっているのですか?」
「病院? ……あっ、すみません、分かりづらくて。最後に撃たれるところは夢の話っす。実際に、わたしがけがをしたわけじゃ――」
言い切るまでもなく、エイブリーは
いきなり会話がかみ合わなくなった、みたいな感じで。
病院と言われて、どうにか思い付いたことを口にしたのだが、どうも違ったらしい。
首を傾げるわたしに、エイブリーが声色を変えた。
「春川さん。銃撃事件というのは、いつ、どこで目撃したのですか?」
「二日前っす。駅前の繁華街から、奥に入ったところで」
「二日前? それも、この町で?」
驚きを隠せない様子で、エイブリーが眼を
そういえば、肝心なことを言ってなかった。
かみ合わなくて当たり前だ。
エイブリーは、わたしが過去のことでPTSDを引きずっているのだと思ったに違いない。
もう終わった事件のことで、ずっと
人殺しに追われてる最中なわたしとしては、呑気にトラウマの治療をしに行くという発想にはならなかったが、普通に考えて彼女の問いはセラピーを受けているかどうかの確認だったのだろう。
まぎらわしい表現をした、わたしのミスだった。
「警察には?」
「とっくに電話しましたよ。でも、何回やっても結果は同じっす。まともに取り合ってくれない」
通報したわたしを絶望させたのは、いたずら電話だと決めてかかる彼らの態度だった。
女子高生の言うことよりも、人殺しのギャングの掃除ぶりを信用したわけだ。
テレビやSNSでも、あのことについて情報は何も出てこなかったし。
けれど、誰に信じてもらわなくても、現実は現実だ。
「この眼で見たっす。人が撃たれた。銃で。わたしは、その手下たちに追われてる。捕まったら、同じ目に遭わされるに決まってるっす。警察がどうにもしてくれないなら、他にどこへ行けば……?」
わずかに語気を荒げ、エイブリーの眼を見つめる。
疲れ切ったような思いでいたわたしに、彼女はややあってから口を開いた。
「――確かなのですか? 春川さん。あなたが、追われているというのは?」
「それも、十人以上に。必死の思いでモノレールに飛び乗って、
わたしの答えを聞いて、エイブリーはひとつ頷いた。
疑っていた、という様子でもない。
今の確認に、何か特別な意味合いでもあったのだろうか?
「生徒手帳をお出しなさい、春川さん」
「え? あァ、生徒手帳……生徒手帳?」
思わず聞き返していた。
脈絡がなさすぎる。
「巻末の方を、ええ、274頁です。いいですか? 二藍学園には、様々な事情を抱えた生徒たちが通っています。幼稚舎から大学院、さらには関連の施設に至るまで、志ある若者に広く門戸を開放しているのです。もちろん、あなたもそのひとりですが」
戸惑いながら、エイブリーの剣幕に押されて鞄に
どういう状況なんだこれ。
「ここは、
言われたページに眼を通せば、彼女の説明通りの文言が書いてあった。
一言一句暗記しているのかと疑いたくなるくらいに――。
ん? ちょっと待った。手を、差し伸べるって?
「事が事ですから、あまり積極的に通知はされていませんが。特に生命が
「えっと、つまり――助けてくれるんですか?」
「学園生である、あなたが望むならば。私はその案内を務める者です」
はっきりと言ったエイブリーに、わたしはようやく信じてもらえた驚きか、あるいはずいぶんとご
学園が用意した、救済の制度?
学園が、人殺しのギャングから助けてくれる制度だって?
……そんなのあり?
「安心なさい。心当たりがあります。頼りになる人ですよ」
わたしの肩に手を遣ってから、エイブリーが席を立つ。
それから部屋の奥のデスクに腰掛け、どこかに電話を掛け始める彼女を、わたしは呆気に取られて
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