第2話  第2ラウンド

メンヘラ娘は義父の癌手術日と同じ日に産まれた。義父の腹は開けたが手遅れでなす術なしと閉じられるだけの手術だった。生きるか死ぬかの義父にギリギリセーフで見せられた初孫。もはや抱き上げる力もない義父の足元に少しだけ横たわったメンヘラ娘赤子バージョン。義父の温もりを覚えられるはずもなく、数ヶ月後義父は空の星となった。義父の亡くなった後は遺品整理と相続などの手続きで、長男である旦那の住民票が実家に1人戻ってしまっているのに気がつくのにそう時間はかからなかった。


メンヘラ娘の乳児医療証を申請に行くと「お父さんが同居してないのですね」と区役所の人に言われたからだ。住民票や印鑑証明が相続の手続きで必要だが、乳児を抱えた私に迷惑をかけたらいけないと住民票を少しの間移していた。という言い訳だった。区役所での居た堪れない恥ずかしさと、怒りと、疎外感。私は結婚はしたが、1人なのだと実感した。私は入籍記念日を知らず一度も記念日を祝ってこなかった。入籍は義母が役所に持って行き、2人で出しに行くことはできなかった。何もない結婚だったが、自分はこんな結婚でももったいないと思うことが出来た。


私は一般家庭とはかけ離れた環境で育った。私は母親が18の時の子だが、私には3才上に姉がいる。母親が15の時の子だ。中卒の母親、耳が聞こえない父親が築ける家は想像に難しくない。貧困家庭だ。しかも、情報にも疎く本来なら生活保護状態。家は新聞配達店の2階に間借り。思春期を迎える頃には下で働く配達員に身の危険も感じるような環境だった。


母親はずっと風俗店で働きながら騙されて押し付けられた借金を返し続けていた。父親は新聞配達以外の職業では働けず、そんな家庭に疲れ果てた母親は何度も男を作っては逃避行をし、借金をさせられ捨てられて戻ってくるという事を繰り返すようになり、借金はさらに膨らんで行った。ある夜、夫婦が言い合う声で目が覚めた私は布団の中でじっと聞き耳を立てた。「もうダメだ」「いくらになってるとおもってるの!」「1000万円だよ、どうやって返すの」。中学生だった私にはそれが何を指すか察するのに時間はかからなかった。高校へは行けない、そんなお金はないという事だった。


そもそも、高校へは行けないとうっすら分かっていた私にショックはなかった。自分も風俗ぐらいの人生しかないのだろうとも思っていた。普通の家庭でなんの疑いもなく部活に勉強にと過ごす多くの同年代の群の中でもがくのも苦しい。実際、中学での部活も弟の保育園のお迎え、夕飯の支度を強いられて参加できていないに等しかった。借金の取り立てに逃げ回る生活で学校に行けたり、行けなかったりしていて、勉強は全くわからなくなっていたが、どうせ高校へは行けないと思っていたから放っておいた。


中学3年になり、受験高校を決める時期になっても親は三者面談来ず、担任に散々呼ばれ渋々来た親は公立1本で受験はすると言ったのには驚いた。受験をしてもいいのか、払えるのか、高校に行けるのか。しかし、勉強が全くわからなくなっていた私の学力はどこの高校にも受かるものではなかった。担任が提示した高校は私立のガラの悪い女子高だったが、私立などに通うお金などない。老けて見えたが大卒一年目で中三担任を押し付けられた経験0の家庭科の教師には私の家の事情など想像すらできなかっただろう。親は、受けるのは公立のみ、あとは受けないと言って席を立った。担任は落ちたらどうするのか、確実ではないと散々食い下がったが、私は知っているのだ、1000万円の借金があったら無理なのだと。公立のみの受験は、学区で一番底辺偏差値の高校に行くという事だが、そこすら受かるかどうかの実力しかなかった私は、小学校4年生のドリルからやり直し、受験までに4教科6年分+英語を猛スピードで頭に入れて受験を乗り越えた。塾などなくても、勉強は自分でできると自信になり、この努力がその後『あしなが育英会 成績優秀者貸与奨学金』につながり、親には退学を迫られるものの、自身の成績が身を助け高校卒業することが出来た。あの時、私を助けてくれたのは、高校一年の担任教師だった。彼は奨学金を探し、書類を揃え、最後には保証人にまでなってくれた。私は先生に恥じる事のない人生を自身に誓い、感謝をしながら生きてきた。お陰で風俗に落ちることなく、就職し会社で働く人生を手に入れる事が出来たからだ。


そんな私が高度経済成長からバブル期の銀行全盛期の中で出世街道まっしぐらの義父が築いた「裕福な家」に入り込むことができたのは、旦那がバツイチだったから以外の理由はない。来てくれる人がいるなら文句は言えない。という好条件だからこそ、難関大学卒で出世街道を歩む旦那のところに高卒がのこのこと嫁ぐことができた。結婚式はなし、籍を入れるだけ。バツになった結婚は身内だけの話、近所には言ってないという環境の中であっても義母は近所への挨拶を強要した。私は従順に挨拶を交わすがある時、ゴミ捨て場で「旦那くんのお嫁さんよね、会ってみたいと思っていたのよ、いよいよ一緒に住むの?」どう考えても前の相手と思われていると一瞬で気がついた。その場を笑顔でやり過ごし、私はどう受け応えたら良いかと義母に尋ねると義母は毅然と「息子の恥になるような事は私は言って回りません。必要なら自分で言って」と。私はその時も1人だと感じた。やはり、違い過ぎたのか、私の入り込めるようなエリアではなかったのかもしれないと。


義父の葬儀の時には、旦那の結婚式に呼ばれた親族が集まり、私がメンヘラ娘を抱いていると「あの馬の骨はなんだ」と、結婚式で見た嫁とは違う女だろと言わんばかりの言葉を浴びせられた。「あっちに行ってなさい」義母に言われ、居場所なくメンヘラ娘を抱いていると、住職の奥さんに「長男のお嫁さんでしょう、こんな場所にいるなんてどういう事なの」と叱られた。

あの時には流石の私も挫けた。誰も自分を認め受け入れてくれてない事実に打ちひしがれた。


結婚したいわけじゃない、1人で生きていくのが寂しいから子供だけ欲しかったのだ。交際時、旦那にそう伝えた時、旦那は「家族になる事をかんがえませんか」と、バツになった話をした。しかし、こんな思いをするなら、あの時の思いを押し通せば良かった。何度も1人なのだと感じる事が続き、今後もずっと1人なのかも知れないと思うようになった。だとしたら、生まれたメンヘラ娘は私の全てを注いで2人になろう。私はそんな決意を希望にしてメンヘラ娘を大切に育て始めたのだ。


しかし、目の前のメンヘラ娘は私に向けて

『こないでー』と叫ぶ

私の顔がみたくない。

私のいる家に戻りたくないのだと。


私は1人なのだ。

どうしようもなく。

1人なのだ。


どんなに望んでも最初から

1人だった。




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