☆立入禁止区域


 ちょっと長めの揺れが起こる。

 ガサッ、と高いところからが落ちるような音が、タクミくんの部屋のほうから聞こえてきた。


「あら。地震ね」


 おばあさんになると独り言が多くなってやーね。


 テレビの地震速報はこの辺の震度を2と表示している。


 デート中のタクミくんとモアちゃんは無事かしら。

 外を歩いていると案外地震って気付かないものよね。

 2ぐらいなら大したことはないかしら?


 地震のない国の出身の人は、地震をえらく怖がるもの。

 モアちゃんの『ものすごく遠い星』には地震があるのか、帰ってきたら聞いてみましょう。怖くても、タクミくんがそばにいるなら平気ね。ふふふ。


「何が落ちたのかしら」


 気になるわ。

 再放送の刑事ドラマの犯人より気になるわ。


 タクミくんのお部屋は、元々、夫の趣味の部屋だったの。

 夫は趣味人で凝り性だけど、と同時に飽きっぽい人でもあって。

 何かを始める時に一番いいものを揃えて始めて、飽きたら飾っておく用の……書斎とも違う、物置みたいな部屋だったのよ。


 タクミくんを引き取ることを決めてから、いい切欠きっかけねって二人でこれはいるいらないを言い合いながらだいぶ整理したのよね。

 夫は「またやりたくなるかもしれないから」となるべく手元に残しておきたかったみたいよ。


 でも、不要なものをフリマアプリで売り払ったら結構いい金額になって(相場を調べたらびっくりよ。元がいいもので、一回か二回ぐらいしか使っていないものだったり、廃盤になっていて入手困難だったり、が多かったようね)手のひらを返してニッコニコしていたわ。

 本当にいい機会だったわね。


「突撃、孫の部屋」


 通常サイズのしゃもじを片手に。

 彼女のモアちゃんにすら「入らないで」と言って聞かせているタクミくんのお部屋の前。


 年頃の男の子は親を部屋に入れたがらないものよね。息子のいるお母さんのお友達も「大きな物音がすると、中で何をしているのかって心配になるわ」と嘆息していたものよ。うちには真尋しかいなかったからね。


 初日、タクミくんをこの部屋に案内して「他に必要なものがあれば教えてね」と言ったきり、わたしも入っていないのよ。


 必要なもの、言われたことないわね。

 遠慮せずに言ってくれたらいいのに。


 ああ、最低限寝る場所とお勉強する場所は必要よね? って、真尋の部屋からベッドと学習机は移動させたわ。

 だから、それ以外のものはタクミくんがから持ってきたり、自分のお小遣いの範囲で買い揃えたりしたもの。


 モアちゃんがこの四方谷よもや家に来てから、タクミくんがずいぶんと喋るようになったから驚いているわ。

 これまではわたしが話すばっかりでね。

 わたしがおしゃべり好きなのも、気後れさせちゃってたのかしら。


 物静かで、綺麗なオレンジ色の瞳は伏し目がち。


 冗談を言っても、愛想笑いしかしてくれない。

 もしかして面白くなかったのかしら。

 あらやだ、ジェネレーションギャップ?


 わたしと目を合わせようとしないわりに、わたしの一挙一動は観察している。

 罠がないかって、注意深く、もしくは小動物が捕食者に怯えているような――なんちゃってね。


「お邪魔しまーす」


 お部屋に入って最初に出会った第一村人は、床に突っ伏しているウサギのぬいぐるみ。

 あらあら、かわいそうに。って拾い上げたけども、元の場所がわからなくて困っちゃうわね。

 さっきの物音はこの子が置いてあった場所から落ちちゃった音かしら。


「エモいわね」


 エモいってこういう使い方でいいのかしら?

 若者言葉についていきたいおばあさんなもので……。


 男の子の部屋にウサギのぬいぐるみ。


 きっとタクミくんが小さい頃にお父さんから買ってもらった思い出の品ね。父と息子の絆を感じるわ。タクミくんが生まれてからすぐにご両親が離婚されて、お父さんが、――真尋の旦那が、男手ひとつでタクミくんを育てたっていうし。我ながら名推理。


「ウサギさんごめんなさいね。このままにしておくわ」


 そんな大事なものが出かけているうちに別の場所に移動していたら、タクミくんがびっくりしちゃうわね。

 わたしがこの部屋に入ったことは、ナイショにしておきたいもの。入られたくなさそうだから。入るなって言われると入りたくなっちゃうわよね。


 ウサギさんに謝ってから元通りのうつ伏せスタイルで置いておく。


「これは、家族写真ね」


 学習机の上に気になるものを発見してしまいました。

 写真立てでございます。


 と真尋との間に笑顔の一二三ちゃんがいて、タクミくんはちょっと離れた場所に立っている。

 自分は家族じゃないみたいな……どうしても写らないといけないから、そこに立っているだけ、みたいな……。


「真尋」


 わたしたちのかわいい娘。タクミくんにとっては、義理のお母さん。

 あの男とこの家に挨拶しに来たときと比べると、なんだかやつれているように見えた。化粧していても、頬がこけているのがわかる。一日三食、食べていたのかしら。目の下にはクマがあって、無理矢理笑顔を貼りつけている。


 ああ、かわいそうな真尋!


 無意識に歯を食いしばり、握り拳を作ってしまう。よくないわね。あのときの悲しみが蘇ってくる。もっと早く連絡を取っておけば、こんなことにはならなかった。いつだって後悔は先に立たない。先に立たないから後で悔やむ。真尋の言葉を信じてあげたかった。そうよ。信じていたら、あの事故が起こって、真尋は帰らぬ人になってしまった。


「……」


 あらやだ。

 長居していたらタクミくんとモアちゃんが帰ってきちゃうわね。


 リビングに戻りましょう。

 夕飯は何がいいかしら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る