第19話 つかれてるのよ
チャポチャポ。
胃の中で音がしていて、その音が隣を歩く俺にまで聞こえてくるようで。
「おなかがたぷたぷするとは、こういう感覚のことを言うのだろうな」
モアは自嘲気味に言った。
俺は止めたからな。
もう一度言うぞ。
「俺は止めたのに、欲張って飲むからだよ」
店も悪い。
これ見よがしに『組み合わせてアレンジ!』だなんて書いておくからさ。
そんなこと書いてあったらこの好奇心の塊は「全部の組み合わせを試すぞ!」なんて言い出すじゃん。
そんで残すと悪いからって全部飲むし。
初日に風呂場で本来なら『次の世紀末』に襲来する予定だったと話していた。
ノストラダムス氏の大予言を律儀に的中させてあげようとしている。
つまり、モアは余裕で百年ほど生きる
それとも地球時間と『ものすごく遠い星』とでは流れている時間のスピードが違うのか?
俺の脳裏に浮かび上がるアインシュタイン。
左手で俺の右手を恋人つなぎして、右手ではお腹を庇っている安藤モアことアンゴルモア=宇宙からの侵略者の横顔を見て舌をペロリと出した大天才の肖像を払い除ける。
こいつ、何歳なんだろ。
これまでの数々の行動や言動を振り返ると、だいぶ幼いというか精神年齢は低めだし。
良識あるオトナなら無作為に選んだドリンクを全部混ぜたミックスジュースを「飲む?」と勧めてこないよ。
見かけは十文字零さんっていうモデルさんだから見かけからは判断できない。
真の姿はもっとぐちょぐちょとしたバケモノみたいな――でも、母星でおはしが大流行した話から鑑みるに、わりと近しい姿はしてんのかな。
「午後からは浅草に行きたかったのだが……」
モアは苦しそうに呟いている。
今日のところは諦めてくれよ。
吐かれたら嫌だし。モアだってその服を汚したくないだろ。
また今度行けばいい。浅草なら電車で一本だしさ。
土日は観光客が多いけども、平日なら修学旅行な子どもたちが多いぐらいで済む。
というか、浅草のどこに行きたかったんだろう。
観光地だから色々あるっちゃあるけども。
宇宙人、浅草寺とか浅草神社とかに参拝したいもんなのか?
宗教どうなってんの。
「そこで休まないか?」
モアはお腹をさすっていたほうの手で不忍池のベンチを指差す。
俺と最初に出会った場所に戻ってきたな。
「いいよ」
ハスの花が開花間近の不忍池本体ではなくて、ボート池のほう。
調子さえよければあのスワンボートに乗りたがりそうだなァ。
今も一組――父親とその子どもっぽい組み合わせで、池の上を進んでいる。
カップルで乗ると別れるとかいうジンクスもあるけど、宇宙人はそんなの気にしないよ。たぶん。
「我は別に……」
俺が座った後で、モアは遠慮するような一言をこぼしながら座る。
めっちゃつらそうだし座って休むのは悪かないと思うけども。
休みたいって言い出したのも俺じゃあなくてモアのほうだし。
というか座ってんじゃん。
「スワンボートにいい思い出がないのでな。乗らなくとも、眺めているだけでいいぞ」
「ふーん?」
アンゴルモアの『ものすごく遠い星』にもスワンボートがあるってこと?
地球の技術を持ち帰るにしても、かなりコアなチョイスじゃあない?
他にもあるだろ。優先順位高そうなもんがさ。なんで足漕ぎボートを。
「海にも行きたい。今度は海デートをするぞ!」
海かあ。
サメ映画観た後で言うか。
行くのは別にいいけどさ。
上野からだとどこが行きやすいのかな。
「サメにも会えるか!?」
「人を襲うサメはそうそう出ないよ」
海水浴できるような場所にサメが出現したら、現代日本なら大騒ぎだよ。
まず人が近寄れないようにするだろうし。
「もし陸に上がってくるサメが出ても、我が対処するぞ。タクミには指一本触れさせまい」
心強いなあ宇宙人。
ソフトドリンクの飲み過ぎでダウンしちゃうぐらいには頼りないけど、やるときゃやってくれるんだな。
腕からスマホっぽい端末が出てくるぐらいだし、身体の別のところに武器を格納してんの?
まあ、上陸してくるサメなんてサメ映画でしか見たことない。
普通のサメは海の中にしかいないし。
「水着も買わねばな」
ビーチに行くなら、そうか。
めっちゃ泳ぎそうだなこの宇宙人。海に行って泳いでんの、子どもぐらいじゃあない?
俺は泳ぎたくない。
真尋さんの水着を借りるわけにもいかないもんな。
あの家に残ってんのか知らないけどさ。
実家にどれぐらい服を残しとくもんなんだろ?
「ユニも誘おう」
「あの人来てくれんの?」
デートなのに弐瓶教授も誘うの?
いや、来てほしくないわけじゃあなくて、むしろ来てくれるなら来てほしいよ?
弐瓶教授の水着姿は見たいし……。
「聞いてみるぞ」
モアは買い与えたほうのスマホを取り出して、ラインを起動する。
覗き見るのもなんだか俺が悪いことしてるみたいな気持ちになるから、俺は池のほうに視線を逸らした。
女の子だ。
女の子が水面に両足をつけて立っている。
「ひいちゃん?」
俺は問いかける。
その二つ結びの女の子が、俺にはひいちゃんに見えた。
あの日の姿だ。
試験のために家を出て行った、俺を見送った時の。
義理の妹。享年五歳の、とっても可愛い妹。
ひいちゃんじゃん?
だって、ここは、うちの車が沈んだ場所でもあるから。
立ち上がって、俺は池へと近づいていく。
「ひいちゃん!」
「タクミっ!」
モアに後ろから抱き留められた。
俺の足はあともう一歩で池に踏み込む。
ひいちゃんは声に驚いたように目を見開いてから、翼を広げて飛んでいってしまった。
「ひいちゃんがいたんだ」
俺の目にはひいちゃんの姿に見えていたけども。
翼を広げた姿は水辺にいる鳥に相違ない。
「うん」
モアは俺を抱き留めたままで小さく頷いた。
俺にはひいちゃんがそこに現れたように「タクミは疲れているのだな。我もだいぶよくなったし、帰って休もう」……そうだな。
ひいちゃんに憑かれているのだとしたら、俺は嬉しい。
だって、俺のそばにいてくれているってことじゃあないか。
遠い場所にも、天国へも行かずに、俺を見守ってくれている。
「ははははは!」
今の俺を見て、ひいちゃんが忠告しに来たんだ。
俺は、俺はそう、俺が、俺だけが、……。
「ははは、ははははは!」
顔に爪を立てて、しゃがみ込もうとする。モアに抱き留められているから、前屈みになるぐらいで止まった。頬に指が食い込む。痛い、つらい、苦しい。早く楽にしてほしい。
「うん……」
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