二冊目 Autumn

隣の家のお姉さん

第26話 ママになる

 モアと二人、おばあさまに頼まれた特売のたまごを買って帰るところ。

 上野公園の横を通り過ぎようとしていたら「あ! ママ!」と見知らぬ男の子がモアを指差して言った。


 ママ?


「違うぞ!」


 違うだろうな。そりゃそうだよ。

 しかし、男の子は俺たちに近づいてきて、モアの手を掴むと子どもたちの輪へと引っ張っていく。モアは慌てて荷物を俺に押し付けた。


「ママです!」


 男の子と同い年ぐらいの子どもたちに囲まれたモアはその場の勢いで「ママだぞ!」と胸を張る。

 違うだろ! 流されるなよ!


「ボクはすぐそこのおうちに引っ越してきました。新学期からよろしくお願いします」


 男の子がお辞儀をすると、つられてモアもペコペコしている。

 本当にモアが自分の母親と勘違いしているような。


 いや、ないでしょ。

 モアは三月に『ものすごく遠い星』から地球へやってきた宇宙人だから。

 どこからどう見ても地球人だけども。


 過去に来たのは1999年の7の月の一度きりで、男の子はたぶん、ひいちゃんと変わらないぐらい。子どもがいるなんて話は聞いてないし。俺に対してなんでも喋れと言ったのはモアのほうだから、隠しているわけでもない。他人の空似。


「じゃあママ、五時になったら帰るね」

「わかったぞ!」


 なんだろう。この、モヤモヤした感じ。胸の辺りがザワザワしている。

 モアは子どもたちに「みんなも気をつけて、大いに駆け回るといい!」と呼びかけてから、こちらに戻ってきた。


「タクミも我を『ママ』と呼んでもいいのだぞ」


 ふんふん、とご満悦モードなのが腹立たしくてそのおでこを中指で弾く。

 俺に母親ママはいないよ。そんな高尚な存在は、俺を父親アイツに委ねてどっか行ったし。今どこで何をしているかもわからない。

 モアにその分を肩代わりしてほしいとも思わないので、許可されても絶対に呼ばねェからな。


「あ痛ッ」

「持って」


 預けられた分を返そうとして突きつけると「ちびっ子に嫉妬しなくても。我は必ずタクミの元に帰ってくるぞ」と言ってくる。

 嫉妬じゃないよ。年下に盗られるなんて思ってもないし。


「隠し子ってわけじゃあないよね?」

「違うぞ!」


 それなら、まあ、よかった。

 よかったのか……?


「モアに似ている母親ねぇ」


 超美人妻じゃん。うらやましい。

 こっちとチェンジしてもらえないかな。子どもが見間違えるほどそっくりって相当だしさ。


「なんだか今日は引っ越しのトラックが多いと思っていたが、さっきの子の家であろうか」

「まあ、学校は今夏休み期間中だからな。それこそ新学期から新しいクラスみたいな家は多いんじゃん?」


 などと話をしながら歩いていると、隣の家の前に引っ越し業者のトラックが停まっている。

 借り手ついたんだ。借り手なのか買ったのかまでは知らないけど。あとで挨拶しに行ったほうがいいかな。


「あの人って」


 モアが俺の二の腕の部分を引っ張る。

 視線の先には髪の長い女の人がいて、タブレット端末を見ながら業者と相談していた。

 家具の配置とか段ボールをどこに置いておくかとか、会話の内容はそんなところだろ。この距離では聞こえない。モアは聞こえてんのかも。


「我の目には十文字零じゅうもんじれいさんに見えるぞ」


 コズミック視力強化?

 というか、十文字零さんといえば、モアがその容姿をコピーした人じゃあなかったか。

 まあ、モアはセミロングで、前方に見える女の人はストレートのロング――伸ばしていたらそうなるな?


「ふむ……」


 芸能人に興味がなさすぎて俺は知らなかったんだけども、十文字零さんはわりかし雑誌モデルとして現役でやっている人らしい。テレビ番組には出ていないからおばあさまは知らなかった。ごく稀にお昼の情報番組のファッションコーナーに出るぐらい。

 弐瓶教授の初対面の時の反応がその年代の一般人としては正しい。ファッション誌とか、その手のニュースとかを見るタイプの人ならね。

 知名度としてはそれぐらいの美人が、隣に引っ越してきた。できればお近づきになりたいところ。モアと同じ顔だけど、モアと違って、付き合っても人類が滅亡するようなこともないだろうし。


「タクミ」


 頬が緩んでいたのか、モアから白い目で見られている。

 はいはい、モアもかわいいよ。そんな乗り捨てたり、乗り換えたりはしないって。


「さっきのちび助の『ママ』って、まさかあの人ではあるまいな?」


 ああ、モアと似てるっていうから?

 それに『すぐそこのおうちに引っ越してきました』って言ってたもんな。


「ママさんモデルってこと?」


 最近はママタレントのように、子どもを産んでからでも芸能活動を続けている人も多いからあり得るっちゃあり得るのか。

 俺とそんなに年齢変わんなさそうだけど。さっきの子はいくつなんだろう。


 にしても人妻――人妻かァ……。


「ユニのときはドーナツがあったが、どうしようか」

「どうしようって?」


 俺が聞き返せば、モアは「人間の社会では、近所付き合いが大事なのだろう?」と思案顔をしている。

 とはいえ向こうも同じ顔で同じ背丈の人間宇宙人が話しかけてきたら、……なんて言ってくるんだろ?


「たまごはおばあさまから頼まれたものだから渡せないし……」


 モア、人と知り合う時には何らかの手土産が必要だと思い込んでいないか。弐瓶教授の時の成功体験に縛られちゃいないかな。別に必要不可欠なアイテムってわけじゃあないのに。

 というか、うちに来た時は特に何も持ってこなかったじゃん。


「そばを配るのは向こうだし、まあ、話しかけてみよう」

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