第9話 事故ですか
事故だよ。事故。
六人の命が失われた大事故だ。
正確に言えば、事件でもある。
呼び名はどっちだっていい。四人家族の中で事故現場にはいなかった俺が一人だけ生き残ったっていう結果だけあれば、事故だろうと事件だろうと。
俺は知らぬ間に、被害者かつ加害者の親族となっていた。そういう話。
バイクはガードレールに突っ込んで止まり、八束は宙に放り投げられてからアスファルトに叩きつけられて首の骨を折って死亡したからだ。
ワイドショーではコメンテーターが「痴情のもつれ」じゃあないかと、好き勝手言ってくれていた。他人事だからっていい気になりやがって。
とはいえ、俺に振られてもなーんもわからない。あの父親がどんな言葉を弄して五歳の娘がいる二十代後半の四方谷真尋さん――当時は八束真尋さんか――を元旦那から寝取ったかだなんて、聞けるような仲でもないしさ。
そんな話、息子から父親に聞くか?
父親が運転していた乗用車は八束のバイクを避けようとして歩道に乗り上げ、通行人の五代勇治さんと晴人くんの親子を撥ね飛ばして暴走し、そのまま池に突っ込んだ。
現場検証では不可解なことがわかって、撥ね飛ばした段階でブレーキをかけずに、むしろアクセルをベタ踏みしてスピードを上げていたらしい。
専門家先生は『現場から逃走しようとして、逃げた先に不忍池があり、池に突っ込んでしまった』という見解をニュース番組で述べていた。
そんなバカなことがあるかよ。土地勘がないわけでもないしさ。
俺の父親は免許とったばっかりの若葉マークかな?
こっちに関しても何がどうしてそうなったのかなんて息子の俺にもさっぱりだよ。
あの車、整備不良ってわけでもなかったしさ。わりとキズとか足回りとか気にして金をかけてたっぽいし。
父親と後妻さんとひいちゃんは死んでしまった。死んでしまった人に理由は聞けないので、車内でどんなやりとりがなされていたかはわからない。不忍池に突っ込んだ乗用車は半日後に引き揚げられた。
事故当日はあまりの現実味のなさに、自分の身に降りかかった不幸だというのに他人事としか思えなかった。そうでないと自分を見失ってしまいそうになる、というよりは、脳の回転が追いつかない、というほうが正しい。
なんで乗用車に乗っていなかったかって、あの日は大学院の入学試験の日だったからさ。
これでも周囲から「賢い子」だの「神童」だのと言われて育ち、その言葉を裏付けるかのように成績優秀で、入学試験でもミスがなく満点だった俺だが、不測の事態においては非力であった。
瞬間移動できるわけでもないしさ。
もし事前に事故が起きてしまうことがわかっていたとしたら、試験会場には行かなかっただろう。
ひいちゃんとお留守番してたよ。お二人で勝手にでかけてくりゃあいい。
事故の日に戻って歴史が変えられるのだとしたら、どんな代償でも支払いたい。
もとより俺の人生は存在しなかったようなもんだし。
俺の命でひいちゃんの人生が戻ってくるのなら、それはとてもとても価値がある。
父親と後妻さんが出かけるのなら、どこにでも好きなところに出かけてくれ。
その行き先が天国であろうと地獄であろうと、どちらであったとしても俺には無関係だからさ。
ひいちゃんは、今、どちらにいるのだろう。
天国であってほしい。
果たして天国というものがあるのかどうかは、俺にはわからない。わからないが、せめて幸せではあってほしい。
事故は、あいつらのせいじゃあないか。
恋だの愛だの惚れただのは子どもたる俺たちの問題ではない。
後妻さんの元旦那がぜェんぶ悪かったかどうかなんて、あいつまで死んでしまった現在、知りようがない。
真実は誰も知らない。
知らないから、みんなテキトーなことを言っている。
ひいちゃんが巻き込まれたのは許せない。許せなかった。
ひいちゃんは悪くない。命を落とす必要なんてどこにもなかった。
これが運命だとするのなら、こんな運命は理不尽だ。
許されるはずもない。
生き残った俺には何ができる?
ひいちゃんが俺の目の前に現れてくれたおかげで、俺の日常が変わった。
ひいちゃんは俺の義理の妹にあたるわけだけども、もっと早くに出会えていれば、俺の人生は、――少なくとも、現在のようにはなっていなかったと思うよ。
父親が後妻さんとひいちゃんを初めて連れてきたこのとき、俺は。
『好きになってもらわなければならない』
そう思った。あまりにも近いから、断定してしまいそうになるほどの確信がある。これが自我が芽生えてからこの年齢に育ってしまうまで俺に足りていなかった〝家族愛〟という概念なのだとすれば、この機会で絶対に手に入れなければならないと思う。
ただ、あちらから向けられていたのは鮮明な拒絶だった。
あの目を一生忘れない。一般的な常識に照らし合わせて客観的に状況を鑑みれば、再婚相手に息子がいて、なおかつ自分とさほど年齢が変わらないってのは、受け入れるのに時間がかかるだろう。
第一印象が最悪なのは仕方ないとはいえ、この傷が癒えるのにはそれ相応の時間がかかってしまった。完全には治りきっていないんじゃあないか。こうやって思い出してしまうっていうのは、頭の半分で理解できていても、承服しかねる側面もあるってことだよ。忘れてしまいたい。
というか、俺という存在を隠し続けていた父親にも問題があるよな。
時間をかけて理解していただけるまで俺の存在を後妻さんに説明していれば、初っぱなから俺が拒絶されることはなかったんじゃあないか。
共に暮らしていくのに、俺の存在は無視できなかったはずだ。
あるいは俺をこの家に置き去りにして後妻さんとひいちゃんと共に三人で過ごすための住処を別の場所に用意してほしかった。
もしくは俺を追い出す先を用意しておくとかさ。
やり方はいくらでも考えられるじゃん。
そこまで頭が回らなかったのか、それとも、この短絡さこそが〝恋〟というものなのか。
「おかあさん」
俺が呼びかけると、後妻さんはわかりやすくうろたえてくれた。
血のつながった肉親の行動は、巻き込まれるだけの俺には到底理解し難い。
とはいえ思考は放棄せず、父親の行動が完全に誤りであったと決めつけるのではなく、俺なりにこの時の父親の行動が正しかったのかを考えたのだが、ポジティブに捉えた時は『彼も彼なりに、俺の中に存在しない〝母親〟を埋め合わせようとしてくれていたのではないか』逆にネガティブに解釈した場合は『後妻さんとの〝愛〟を何よりも優先して、自分の付属品たる
後者のほうが可能性は高いが、ただ一人と表現しても決してオーバーな表現ではない
いやまあ、本人には届かないからいいか。死んでくれ。死んでるけど。
前者なのだとすれば遅すぎる。
俺がまだ思春期にも入っていないほど若く――ひいちゃんと同い年ぐらいであればともかく。
単位を取り尽くしてあとは卒業式と院試の日を待つだけの身だったあのとき。
ひょっとして、俺のほうが気を利かせてあの家を出て行けばよかったのか?
……いや、なぜ俺が追い立てられなきゃいけねぇんだよ。
「おにいちゃん!」
父親と後妻さんとの大恋愛に巻き込まれた(俺と同じ)被害者であるひいちゃんは最初から俺を『おにいちゃん』と呼びかけてくれた。幼い五歳児なりにこの複雑かつ不穏な空気を感知して、聡い行動をしてくれたと思う。
この一言に、俺は救われたのだ。
大袈裟だと思うじゃん? でも、俺はこの一言のおかげで、新しい家族内での立ち位置が確定したようなもん。追い出されず、丸く収まってくれたからさ。
けれども、もうひいちゃんはいない。いないのだ。
この人生の中で、俺を救ってくれたあの子は亡くなっている。
どれだけ悔やんでも、帰ってこない。
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